第47話 仮面の下には

 誰かが言った、仮面は残酷すぎる現実から精神を守るための「鎧」であると。

 そう、怪物の白い仮面の下にはいつだって彼女が要らないと願った弱い心が隠されていた。


 割れた大樹の仮面を通った瞬間、バスターとカスミが感じていた現実感と重力が消えて、透明でカラフルな蝶々たちに包まれながら眠りに落ちていく。

 

 再び目を覚ますと、二人は見知らぬ古い家のリビングに立っていた。互いに視線を交わせるのに声を出しても音になることはなかった。視線を落として自分の体を確認してみたら、手足がまるで気泡のように半透明になっている。


(……バスターさんと会話できない……なんか、夢とも違う……誰かの記憶?)


 そうこうしている内に家の扉が開いて、外から小学生ぐらいの女の子と彼女の祖母が買い物から帰ってきた。祖母はキャリーカートから買った食材を取り出しながら優しく孫娘に話しかけた。


「トモちゃん、目ぇ悪くないのに眼鏡なんか掛けちゃって……どうしたの?」


(トモミちゃんだ……)


「おばあちゃんとおそろい!! ほらカミもいっしょだよ!」


「あらっ、そんな嬉しいことしちゃって」


 どこにでもあるような祖母と孫の微笑ましい会話と笑顔に、カスミたちは思わず頬を緩んだ。しかし次の瞬間、記憶の映像は早送りされて女の子は中学生にまで成長した。


 しかし、彼女のそばには祖母の姿がない。

 暗い目を大きなメガネと前髪で隠して、カバンを手に取った彼女は仏壇を一瞥してから出かけた。バスターとカスミが仏壇前に行くと、中には彼女の祖母が微笑んでいる写真が飾られていた。


 カスミは思わず口が開いて何かを言いかけたが、記憶の再生は待ってくれない。仏壇もリビングも液体のように溶けて次の断片を形作る。


 中学3年生の冬。

 藍沢は受験した高校の合格通知を受け取るも、その喜びを共有できる人間が誰もいない。母親は大学の教授でいつも家にいないし、臆病な藍沢には一人の友人も居ない。言葉を交わす知り合いが居ても、彼女の名前をハッキリと覚えている同級生はだれも居なかった。


(ずっと……独りだったのか、トモミ)


 合格通知は本来喜びをもたらすはずが、藍沢は広いリビングで一人涙を流していた。


(トモミちゃ──)


 これは過ぎ去った事象記憶、今更変えようがないのにそれでもカスミたちは動かずにはいられなかった。背後から彼女の震える肩に触れようとしたら、目の前の風景は再び溶け落ちた。


(なにここ!?)


(山?)


 どこか知らない木々に囲まれた山の斜面で、制服を着た十数の人間が何かを発掘している。貼られたテープを貫通して中に入ると、発掘員の中心に立つ藍沢と彼女にそっくりな中年女性を発見した。


「……もう3月だったか! トモミもうすぐ中3?」


「本当、私のこと覚える気ないよねお母さん……もう高1になるんですけど」


「あれ? そうだっけ? ごめんごめん、最近このプロジェクトで忙しくてさ──あ〜、ごめん! 先に帰って……ちょっと、森田くん! 適当にやんなら今すぐ帰っていいから」


「あ…………帰る」


 期待なんてしてなかったけど、それでも新しい環境への恐怖に押しつぶされそうだったから会いに来た。藍沢の瞳の奥の恐怖は後悔に塗りつぶされて、母親から目を逸らして静かに立ち去った。


 その下山の途中で快晴だった天気は突然曇り出した。予定のない雨に藍沢は慌てて走り出すが、濡れた泥で滑って崖から転び落ちてしまう。幸い崖の斜面が比較的緩やかだったおかげで一命は取り留めたが、手足を強打した藍沢は地図にも乗ってない天然の洞窟に滑り落ちた。

 

「……うぅ……携帯……」


 何とかリュックからスマホを取り出すと、画面は衝撃でバキバキに割れている。電源自体はつくので、藍沢はなるべく冷静を保って母親に電話して助けを呼んだ。あとは救助が来るまで大人しくその場で待つだけのタイミングで、藍沢は突如立ち上がった。


「だ、だれ!? ……たすけて?」


 藍沢は洞窟の奥の暗闇に向かって大声を上げる。カスミとバスターも同じ方向に目を向けるも誰も立っていない、どうやら藍沢にしか聞こえない「何か」が存在しているらしい。


 声に導かれるまま藍沢は洞窟の奥へ進み出す。

 洞窟の内部は光が届かず、何も見えないはずなのに藍沢は迷うことなく歩き続ける。しばらく進むと彼女は少し広い空間に出て、そこにある壁や天井は全て水晶になっており、壁奥に埋め込まれた古びた鎧と何かの容器が七色の光を放って空間を幻想的に照らす。


(俺たちと……封印器)


「あなたが……ディリュ────」

 

 藍沢が手を伸ばして水晶壁に触れた瞬間、彼女の意識が途切れて記憶の風景も合わせて弾けて消え去る。


 次の瞬間、カスミとバスターを包む空も地面も真っ白になった。二人の目の前には病床の上で眠る藍沢とそんな彼女を見つめる子供の藍沢が立っていた。


(トモミちゃんは入学してからしばらくの間ずっと欠席してた……周りがクラスに馴染んでグループの形が固まり始めた6月の下旬になってやっと復学した理由がこれだったのか)


「そうだよ……孤立するの怖かったなぁ」


 カスミの心の声が聞こえているようで、病床の横に立つ子供の藍沢が返事する。


(お前は……)


「私は、……恐怖、懐古、不安、自己嫌悪、緊張……そして、彼女の虚無。藍沢トモミを苦しめ続けた元凶……だから、彼女の元に帰るわけにはいかない」


(そんなことねぇ、いらねぇ感情なんて一つもねぇんだよ! ……戻ってやれ、そうすれば藍沢は目覚める)


 子供はバスターを見つめて泣き出してしまう。


「私には……無理だよ…………私、彼女のことが好きなのに、ただいるだけで彼女を傷つけてしまう。戻ったら藍沢トモミは私を抱えきれずにまた絶望する」


(確かにそういう感情と向き合うのは怖いけど、もう──)


 バスターと視線を交わすと、彼はそのままカスミの言葉を続いた。


(もう一人なんかじゃねぇ、俺たちがいる)


「……一人じゃない…………ありがとう。ねぇ、目覚めたらのことも助けてあげて……私と同じ独りぼっちだから」


 子供の藍沢は光の粒子となって病床で眠る藍沢の体に戻る、すると彼女は目をゆっくりと見開いて苦しそうに体を起こす。

 自分を見守るカスミとバスターを見つけると、少し不器用に微笑んでみせた。

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