第五章・夢の獣

第32話 ディリュードですよ!

 チャットの返信を終えると本田カスミは洗面台の鏡で前髪を整え始めた。


「ん? 前髪、短い……?」


 時刻は17時40分、本田ママはもうすぐ夕飯なのに出かける準備をする娘に声掛けた。


「見てよ〜 カスミぃ、一昨日アンタが行った博物館見学、ニュースになってるよ〜」


「ん? 一昨日って──」


「そう、3万年前の兵隊さんの鎧とかがさ、盗まれたらしいよ」


「ふーん……そう」


「冷めすぎでしょ〜 思春期ねぇ」


「ママ、なんか……この会話、前にも……」


 よくわからない違和感を感じるが、リュックにスマホや財布を入れ始める両手を止められない。テレビ画面をチラッと見ながらリュックを背負う。


「男の呼び出し? 入学3ヶ月でもう彼氏ぃ?」


「違いますぅ、男子だけどそんな話したことない子……話したこと──ない?」


「あっそぉ〜 晩ご飯はいる?」


「うん、残して。多分すぐ戻る」


「フラれるやつだ、かっわいそう」


 入学祝いで買ってもらったお気に入りの革靴を履いて外に出る。


 分類するとしたらカスミは間違いなくモテる部類に入る。セミロングの黒髪にパッチリとしたつり目、薄赤い頬に瑞々しい唇。入学してまだ3ヶ月しか経ってないが彼女はすでにクラスの注目の的。

 彼女を呼び出した立花シンスケもまたカスミに一目惚れした男子の一人。


 と言っても二人は会話をそれほど交わしたことがない。


「シンスケくん……いや、違う……?」


 だいだいいつもカスミが視線を感じて見渡すと、シンスケが離れた席で見つめてくるだけ。見つめ返すと逆に視線を逸らされる。

 なのでカスミはこのあとシンスケに告白されても受け入れるつもりはない。


 門扉を開けて一歩踏み出すと、いつものアスファルトの硬さではなく肉のような柔らかい感触が足裏を伝う。


「うわっ!? ひ、人が倒れてる!?」


 ボロ布一枚だけで下半身を隠している大柄の⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎──


「バスt──……」


 紺色のスーツを着たキザな男が倒れている。

 強烈なデジャヴを感じるがよく知らない男だ。


「……あっ、つ、通報……いや、救急車か」


 リュックからスマホを取り出した次の瞬間、男は突如カスミの足首を掴んで何かボソボソと呟く。


「ぎゃああああああ!!」


「……はら……へりました…………」


 カスミの叫びは自宅内まで届いたのか、本田ママは慌てて様子を確かに来た。

 いざ扉を開けると、ほぼ不審者に足首を掴まれた娘が悲鳴を上げながら踏みつけている。


「なにこれ、コント?」





 1時間後。

 本田親子は自宅玄関前に倒れていたスーツ男と食卓を囲っていた。


「ママさん、この照り焼きすごく美味しいです」


「でっしょ〜〜 ほら、男の子はもっとお食べ」


「いや、何で不審者と一緒にご飯食べてるの!? しかもお兄ぃの制服まで貸しちゃうの!?」


 制服はスーツ男に貸してなんかないのに、カスミはなぜか反射神経でそうツッコんだ。カスミは自分の言葉に違和感を感じるも、本田ママは何も気にせずに話を続ける。


「良いじゃん、ねぇ〜」


「いや、通報しろし…………?」


「ほら、美味しそうにご飯を食べる人に悪い子なし、的な?」


「そうです。私は良い子ですよ」


「声デカっ、うるさっ……いや、デカくないか。ごめん、なんか調子悪いかも」


 なぜかそうとは思えないのに不審者のことが懐かしく感じさせられた気がする。思えば兄が一人暮らしする前はいつもこんな雰囲気で食事を囲っていた、そう思うとカスミは小さく笑みをこぼした。

 いや、笑うつもりなんてサラサラないけど微笑んだ。


「なんか、どうでも良い気がしてきた……ねっ、アンタ名前は?」


「?」


「いや、なんで不思議そうな顔してんの?」


「私のこと覚えてないんですか? バ⬛︎⬛︎ー……ディリュードですよ」


 ディリュードと名乗る男は本気だった。その曇りなき真っ直ぐな瞳が自分はカスミの知り合いであると訴えかける。

 しかし、今までの人生でこんなに濃いキャラの男と関わっていたら絶対忘れるはずがない。


「ディリュード、外国人さん?」


「えぇ」


「ぷっ、はははははは! 少女漫画? カスミが「姫様」だって! そしたらアタシは皇后様じゃんね〜」


「姫様って……何の話?」


「私は約定に従ってアナタを守りに来たです」


「約定?」


 ディリュードは今までにないぐらい真剣な顔つきで話すのだから、笑っていたママも恥ずかしがっていないカスミも思わず真面目に彼の言葉に耳を傾けた。


「……なら、ちゃんと食べて体力つけなきゃね。あっそうだ! ディリュードちゃん、自分のお家はどこ?」


「ありません」


「露出狂にホームレスって……あ、ごめん、露出してなかった」


「じゃあさ、お兄ちゃんの部屋空いてるからそこで泊まちゃいなよ!」


「は!? ウチに泊めんの!?」


 ディリュードは箸を揃えて置き、顔についた米粒を拭いて姿勢を正した。


「流石にそこまでお世話になることはできませ────」


 その夜、ディリュードは本田家の風呂を1時間たっぷり楽しんだ後兄の部屋で熟睡した。


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