第15話 ヒビ割れ

「わかった、いいよ! じゃ、空いてる日送るからスケジュール調整しよ」


「了解っす」


 ピッ。


 誘いたかった憧れの相手との通話が終了して、藍沢は糸の切れた操り人形のように全身の力が抜けてその場に倒れる。

 目は見開いているのに何も見つめていないまま天井を注目する。手足は動かせるのに何をすればよいのかわからなくなった。


 気が付けば1時間が過ぎたと思いきや、藍沢は突然自己を取り戻したみたいに立ち上がってはまた、何もない空白の壁を見つめたまま自意識を失う。


 太陽が彼女のアパートの真上を通り過ぎて沈む、そしてまた登り始めて大地を照らす。

 丸一日立った足の痛みのおかげで藍沢はまた床に倒れる。


「あれ……ディリュード来た時の助手……なんか」


 全然瞬きしなかったせいで目は充血しており、頬には涙の跡が残っている。充電切れ間際のスマホ画面を見ると時刻は14時半。


「カ、ムイ……なにか…………たいせつな」


 うまく思い出せないのに不思議な安心感に包まれている気がする。自分は今までなにか悩んでいた気がするけどわからなくなった。

 何か違和感を感じるが、心は安心してるし今の自分に自信を持てている。これなら失望されずに済む────


 失望って、そもそも失望してほしくなかったっけ?


「不気味だ……私の、部屋…………」


 ふと、右手で眼鏡の位置を直そうとしたら、目元には何もなかった。


「?? ……メガネ、ない? …………そもそも最初からしてなかったじゃん」


 胸が凹んでいく。

 心臓に穴が空いて何もかも流れ堕ちていく。

 途轍もない虚無感に襲われて藍沢は両手で胸元を掴んだ。着ているオシャレな洋服が皺くちゃになったけどどうでもいい。


「いたい……怖くないのに痛い」


 両目は乾ききったのに涙が止めどなく溢れる。


「不安がないのに……緊張しないのにっ…………自分のことが嫌いになれないのに! 痛い痛い、痛い!」


 叫びは徐々に嗚咽へと変わっていく。


「だれか……助けて」


 こんな所に居てはいけない、そんな直感に襲われた藍沢は裸足のまま家から駆け出した。

 目的地もないのに、日差しが眩しくて目を開けられないのに、藍沢は走ることしかできなかった。






「…………本気? バスターさん俺らの制服でついてくる気なの」


「王家の制服だろ、どこに行ったって恥ずかしくねぇよ」


「ジェネシスさんは適応してんのに、何でバスターさんの感性だけ古代人なんすか……とにかく今日はバスターさんの私服買うから」


「ん? うっあ!」


 住宅街を走っていた藍沢は前がよく見えないので、曲がり角で偶然通りかかったバスターにぶつかって体勢を崩す。

 同行していたシンスケはすかさず藍沢も右腕を掴んで助ける。


「大丈夫ですか? え、裸足……わけあり?」


「あれ、コイツ……屋上に来て姫様に報告した女子じゃん」


「え!? 藍沢さん!?」


 フラつく藍沢の顔を覗き込むシンスケ。


「ほ、本当だ! バスターさんよくわかったね」


「主の恩人は一生忘れねぇよ。それより大丈夫か、この子……すげーフラフラだぞ」


「とりあえずカスミさんちに連れて行って休ませようか。あんまり遠くないしね」


 彼女の名を聞いた藍沢は一瞬で顔色を回復させて激しく拒否し始めた。


「ダメ! 今の私を本田さんに見せないで! …………あっ、立花くん? いつからそこに? あと隣のは…………………誰?」


「俺はバスター。まあ、お前の言う本田さんの親戚みたいなもん」


「目泳ぎまくってる」


 バスターへのツッコミはともかく、シンスケは心配そうに同級生を見つめる。

 このまま放っておけないと判断したのか彼女に提案してみる。


「藍沢さんの家どこ? 送っていく」


「あ、そうだね──いや、ウチに……今は戻っちゃいけない気がする」


「それって──」


 シンスケの質問は純粋に心配をしているだけだが、それ自体が彼女を追い詰めていることに気づいたバスターは間に割り込むことにした。


「なぁ、メシ食いに行かね? 商店街、すぐそこだろ?」


「メシか、良いね。俺たちちょうど買い物があったんだ、そのついでってのはどう? 藍沢さん」


「ほぉら、人が元気ねぇ時は決まって腹減ってる時なんだよ」


「それバスターさんだけだよ」


 藍沢が顔を上げると、バスターはそのガタイから想像できないほどの眩しく優しい笑顔で自分をまっすぐと見つめていた。

 姿や形が全く異なるのに、藍沢は何故か倒れるカムイのことを思い出した。


「あっ、ご飯……あっじゃなくて、メシ、えっと、一緒に食べたい……です」


「おう! そういうわけで旨い店に連れてってくれ、シンスケ」


「あ、案内は俺なんだ」

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