第三章・吊橋

第13話 欠落

 夏休みに入ってから約一週間が過ぎて今日で8月1日。

 藍沢は安い学生向けのアパートで一人暮らしをしており、今日訪ねてくる恩人を待とうと部屋の真ん中に立って何もない壁を見つめていた。


 先日「懐古」の感情を消されてから彼女は生活必需品以外の家具や持ち物を全て処分した。そして、外見もイメチェンしたおかげで如何にも陽気な女の子に見えるようになったが、物が置かれてない部屋と同じように彼女の心も少しずつ欠けていった。


 何もすることがない時は横たわって天井を見ているか、または今みたいに部屋の真ん中に立って壁を延々と何時間も見つめ続ける。


 ピンポーン。


「あ、来た」


 チャイム音を聞いた瞬間、藍沢の顔に再び表情が戻っていく。

 小走りで玄関まで行って扉開くと、ディリュードの後ろにもう二人知らない人物が立っていた。

 ひとまず家に招き入れると、スーツ姿のディリュードは靴を脱ぎながら二人の同行人を紹介し始めた。


「今日は私のかわいい助手さんたちの顔を見せておこうと思いまして。子供の方はストライカーくんで、ピンヒールでポニーテールの女性はライトニングちゃんです。以後お見知りおきを」


「すとらいか? らいと、にんぐ……」


 聞き慣れない名前に困惑する藍沢、思わず二人の同行人をジロジロと観察し始める。


 ストライカーと呼ばれる子供の見た目は十歳前後の男の子で、ドラゴン柄のTシャツにラフなジャケットを羽織っている。

 対してライトニングと呼ばれた女の子は藍沢と同じ年齢に見えるが、身に纏っている服装が恐ろしく際どい。ピッチリしたスラックスパンツに10cm超えのピンヒールを履いており、上半身は背中丸出しのノースリーブシャツを着ている。

 全く異なる衣装を着ている二人なのだが、唯一の共通点と言えるのは同じデザインのチョーカーだけ。


「本名じゃないから……コードネーム……」


 話すのが苦手なのか、ライトニングはボソボソっと早口で説明した。


「あ、そ、そうだよね」


「げえ、お姉ちゃんの部屋何もねぇじゃん! ゲームしたかったのにぃ〜」


 物静かなライトニングとは対照的で、ストライカーは勝手に部屋に入って勝手に失望した。ディリュードとライトニングを除けばストライカーはそのへんにいる男子小学生にしか見えない。


「どうでしたか? 「懐古」と「恐怖」が消えた気分はいかがです?」


「いい感じかな? なんか理想の自分に近づいてる気がするんだ」


「……これが理想? …………変わってんね」


「コラ、ライトニングちゃん。人にはそれぞれの理想があるのですよ」


 失礼な発言をした助手を優しく注意すると、ディリュードはこう続けた。


「まだ、足りないじゃないですか? 瞳から迷いが見えますよ」


「う、うん。私だいぶ変わったけど臆病者の性格はまだ変わらなくてさ……夏休み中に本田さんを遊びに誘ってみたくて……でもこんな私じゃ友達と思ってもらえないかもっていうか彼女に失礼というか」


「前から思ってましたが、なぜ本田カスミに拘るのですか? 友達なら別の方でも問題ないのでは?」


「だって彼女は私の憧れだから。可愛くて、人気があって、クラスの中心で……私が持ってないモノを何でも持ってるし……」


「……そう思うならなぜ私物を捨てる……意味不明なんだが」


 もじもじする藍沢に鋭いツッコミを入れるライトニング、彼女に遠慮という概念はないらしい。

 しかし、ライトニングの何気ない言葉は藍沢の脳内で何度も反響する。


 改めて思い返してみると、自分はなぜこんなミニマリストみたいな部屋を作ってしまったのか。そのきっかけを思い出せないし、振り返るにも心の奥に穴が空いたように虚無感しか湧いて来ない。


「わ、私……何でこんな……え? どういうこと?」


「ふふ、迷っているようですね。虚無に堕ちていく人間の症状ですよ」


 どこか嬉しそうに微笑むディリュードと違って、助手の二人はこの構図に隠しきれない違和感を感じる。中でもライトニングは特に動揺を見せていた。


「…………助手? ……私は……ライト、ニング?」


「ん? どうかしましたか? ライトニング、ちゃん」


「…………ライトニング……じゃない…………私は、私は……ッ! 守りに来たんだ!」


「流石は巨剣バスターに並ぶエース、単騎で国を滅せる伝説は本当みたいですね。これだけ洗脳してもまだ振り解けるとは……歩くホラーですよ」

 

 ライトニングは苦しそうに力強く構えると、全身から電気のバチバチの音が鳴り出す。


「私は龍雷カムイ、この子を守るために目覚め────」


 ディリュードが指を鳴らすと、カムイの首についてるチョーカーが彼女を電気を吸い取ってキツく締め付ける。


「……ッぐぅ! …………あいざっ、さん……悪惑あくまの……ぁなしを……聞いちゃダm────」


 抵抗するカムイを無理矢理鎮静して気絶させた。

 倒れる彼女を一瞥して、ディリュードは再び藍沢に甘い提案をした。


「不安、無くしたいんですよね? 一つずつではなく、一気に複数の感情を消してみるのはどうですか? きっと効果的に自身を変えられますよ」


「本当に、胸の不安がなくなるの? 理想の私に……なれるの?」


「もちろんです」


「…………お願い、し……ます……」


「では、「自己嫌悪」「不安」「緊張」の3つを頂きますね」


 ディリュードは藍沢の頭の中に指を優しく入れて、三つの光を取り出して飲み込む。そして、藍沢は再び壁を見つめていた時の無の状態に戻って床に倒れ込んだ。


 そんな彼女に向かって、ディリュードは深くお辞儀してから二人の助手を外に連れ出した。


「カムイちゃんの再教育は大変ですが、美味しい空虚を頂けて良かったです。友達作りのお手伝いサービスをさせていただきます。ねぇー、


「? ジェットって誰? オレはストライカーなんだけど!」


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