第8話 ディリュード
打ち上げ焼肉大会から一週間、
この日の学校は午前で終了して午後からは生徒お待ちかねの夏休み。昼のチャイムが鳴るのと同時に藍沢トモミは素早く立ち上がって、通学カバンを手にカスミの席前までやってきた。
「ほ、本田さん!」
「わっ! 藍沢さん、で合ってるよね? どうしたの?」
「あっ、あの、と、友達同士(私たちも一応友達に該当しますよね?) って一緒に、その……帰宅したり、しますよね? だ、だからこの後一緒に(お話したり、カフェとか寄ってみたり、カラオケとかもいいよね! 歌下手だけど、なんか友達っぽいことをしてみるのは) ……どう?」
藍沢は緊張するとたくさん瞬きする癖がある、その上相手の目を直視できないので視線を泳がせがち。
しかし、彼女がかけているボロボロな丸メガネと鼻まで届く前髪のおかげで、大抵の相手は彼女の癖に気付かずに済む。
「うん、いいよ…………あっ、やっぱごめん今日は無理だ」
「えっ……(やっぱり私みたいなやつと一緒は嫌だよね。キモいし会話下手だし。わぁ、なんか振られたみたいでめちゃめちゃ恥ずかしい。恐怖は消してもらったけど、今度は羞恥心も消してもらおうかな)」
「この後おじいちゃんの退院の付き添いがあるんだった、ちょっと急がないといけないからごめんね……そうだ! はい、これ私の連絡先のQR」
「QR!? (そんな機能あったんだ! どうしよう、追加とかやり方わかんないよぉ〜) はい! スマホどうぞ」
「おぉ〜 藍沢さんのスマホなんか縦長だね」
チャットアプリに入ってる連絡先は両親だけ、しかもそれも電話帳から直接追加したので藍沢は生まれて初めて生身の人間と対面で連絡先を交換した。
カスミはやり方がわからない藍沢の代わりに彼女のスマホを操作する。
「……よし、追加しといたからいつでも連絡して。それじゃごめん、私もう行かなくちゃ!」
「う、うん! バイバイ……」
カスミが走って教室から出ていくと、藍沢は少し肩を落としていつものように独りで帰ろうとした。スマホをスリープモードにしたその時、教室中央の方からヒソヒソ話が聞こえてしまった。
「何アレ、キモくない? てか単純に怖いよな」
「なっ、あの本田さんの友達のつもりかよ」
「クソボロいメガネかけてるし、なんか何考えてるかわかんないよね」
「髪も切らないし、貧乏なんじゃね?」
子供の頃、藍沢はよく大好きな祖母から髪が長くてきれいと褒められていたから今も伸ばしているだけ。そして、かけているメガネはそんな祖母が遺した唯一の形見。
どれも藍沢にとっては思い入れのあるものだが、昔からそれを知らない同級生たちからは気持ち悪がられてしまう。
藍沢はいつも通り聞こえないフリして教室を出る。
下駄箱へ向かう途中の廊下で何となく先行したカスミのことを思い出して、窓ガラス越しに外を眺めようとするも、反射でガラスに映った自分の姿を不意打ちされた形で直視してしまう。
「あの子たちの言う通りだ…………冴えなくてキモい、私」
気がつくと藍沢は無意識で彼に電話を掛けていた。
そして、相手の彼はワンコールもしないうちに電話に出た。
「もしもし、ディリュード……足りないよ」
「足りない、と言いますと?」
「私、自分を変えたくて恐怖心を消してもらったけど……それだけじゃ足りないの。どうすればいい?」
「そうですか。では、今度はトモミちゃんから「懐古」を消してみましょっか」
自分から感情の削除をお願いしたのに、いざ相手が躊躇いなく実行しようとすると今度は何となく怖気ついてしまう。
「ほ、本当に大丈夫だよね? 私……」
「感情はたくさんあるから大丈夫ですよ、二つ三つ無くなっても問題ありません。そんな怖気ついてる様ではいつまで経っても自分を変えられませんよ」
「そ、そうだよね? それじゃあお願い、ディリュード」
「承知しました。いらなくなった
ディリュードとの電話が切れると同時にスマホは一瞬だけ赤く光り出す。
耳からスマホを離してポケットにしまう藍沢、先程と同じようにもう一度窓ガラスの反射に映る自分を見つめる。
「だっさ……」
左手で前髪をかき上げながら右手で丸メガネを外して、丸まってた背筋を真っ直ぐ伸ばして体制正す。
そこにはもうオドオドした芋くさい藍沢トモミはいない。
「……何でこんな古いメガネなんかしてたんだっけ? ……美容室予約しよ」
祖母の形見を床に落として何の躊躇もなく踏み潰すと、藍沢は自身の落とし物を忘れたまま歩き出した。
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