第5話

 お姉さまの一部が壊れてしまった。

 理由は不明だが夜式は「月に翳りがみえる」といった。

 迷子でもいるのかとおもい、月をみあげたが、欠損のない、白であった。

 月には、死者の魂の残滓が蓄積する。

 感情調整システムが搭載されている夜式は、時に、残滓のよどみを敏感に吸い、そのかなしみに溺れてしまう。

「酸性雨が大量にふる地域では、博士のつくったプロトタイプたちが、よごれた鉄くずになった。私たちは人の形をしているが、所詮は鉄くずなのだ……」

「鉄くず……」

「かなしみは、ある意味では水分だ。感情を鉄にたとえるなら、かなしみを吸うと、機能不全に陥る。錆びるか、壊れてしまう」お姉さまは、機体の節々から、火花をだした。ガラス製の眼球には、ノイズが走っていた。私をみていない。どこかを遠くをみていた。

「つまりお姉さまは、月からしみでた、かなしみのウミに沈むのね」

 以前お姉さまが処置したように、私も彼女の頭部に機具をさしこみ、修理をこころみた。

 だが、劣等品である私には、彼女の修復は不可能であった。

 夜式は、戦争のためにつくられた機体だ。いかに不利な戦況でも活躍できるよう、高次の戦闘能力をくみこまれている。機体維持限界域まで損傷をうけると『暴走機関』が作動し、抑制がきかなくなる。機体の損傷をかえりみない、敵味方問わない危険な波状攻撃をしかけ、最後は自爆する。

 このままお姉さまが壊れつづければ、暴走機関が作動するおそれがある。

 ミサイル誘導任務時、このシステムが作動することは、お互いの破滅を意味する。

 二体が惑星からきえれば、作戦の遂行は不可能。

 マニュアルには、夜式が暴走にいたる前に処理することを義務付けられていた。

 私は夜式の機能を停止させる高電磁ダガーを携帯していた。

 私はブレザーのポケットからダガーをとりだした。

「えぇそうね、夕。このままだと、私はあなたも破壊してしまう。だから、あなたは、私を先に破壊する必要がある。だから最後に、話をしましょう」刃先をみたお姉さまは、早口でそういった。私はダガーを天高くかかげた。

「夕は、戦闘用につくられた機体ではなかった。博士は、金を得るために、あなたを開発した。その美しい見た目は……。貴族の男に好まれることを意識していた。そして、私にはない女性器を模した穴が搭載されている。その理由は……私の口からは、いえないけれど……私はあなたを守りたかった」夜式は、とおくの景色をみつめるように、目をほそめた。

「この任務のパートナーを選べといわれた時、私は真っ先にあなたを指名した。

 この任務は破滅への片道切符。

 あの星にいれば、あなたは別の意味で崩壊することになる。結末はおなじだった。

 感情調整システムが切除された夕式は、過度な拷問や被虐に耐える構造になっている。それは、貴族の趣向が求めたことだった。だけどそのおかげで、あなたは、同胞のなかでも、消滅への危機感がうすい。この任務における、私のパートナー……そして、私の妹にふさわしかった。

 私は最後の時を、あなたといっしょにすごすことを選んだ。

 ねぇ昔話をしよう。あの日の夕暮れをおぼえているか」

「夕暮れ……」

「ウサギと遊んだ日の夕暮れよ。私はある映画に影響され、あなたの髪を櫛で梳かし、純白のドレスで着飾った。そのまま、夕といっしょに、林の子ウサギを追いかけにいった……。だけどあなたは」

「いい」夜式は感情調整システムが搭載されている。あわれみや悲哀の念は、攻撃力をにぶらせる……と彼女はしっている。機能停止の危機をかんじた夜式は、私の感情にゆさぶりをかけようとしているのだ、と合点がいった。

「ン?」

「いい子になれなくて、ごめんなさい」

 ナイフを夜式の胸部に突き立てた。

「感情……調整システムを……あなたに、あげる」

 夜式はしばらくふるえ、やがて、機能を停止した。


 夕暮れ時—―……。

 風がドレスのスカートを、ユラユラ、なびかせていたのは、おぼえている。

 ウサギの首は折った。

 お姉さまの指に噛みついたから、敵として排除した。

 お姉さまは「甘噛みだから、友好の証なのよ」といった。


 私は、停止したお姉さまの指をみつめた。ウサギが噛んだ個所に目星をつけ、そっと、噛みついた。

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