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 家の前で別れを告げた。日射はまだ遠慮をすることはなく、彼女の伸びる影が目についた。


「ルニがこっちにいたら伝えに行くよ」


 不安そうな彼女の顔をのぞいて、僕は解消をするためにそう言葉を告げた。彼女はそれにうなずいて、またね、と返してくる。


 いつも通りのやり取り、特に何かを意識することはない静かな返し。


 僕は彼女が家の中に入る姿を見送って、そうして玄関をくぐる。


 蝉の鳴き声は聞こえるけれど、もう工事らしき音は聞こえてこない。朝に見かけた電柱付近に停まっていた自動車はいなくなっているし、工事は完了しているだろうと思った。


 それを認識するために、家に上がり込んでから居間に続く廊下の電灯をつける。太陽よりは控えめな明かりがついて、ふう、と息を吐く。


 それならば、真っ先にしておかなければいけないこと。体感している自らの熱を発散するために必要な、冷房という機能をつけること。


 家の中は蒸し風呂のような空気。里の方がまだ日射がある分、からっとした雰囲気を感じるけれど、中は変に衣服のようなにおいも混じっていて、どこか嫌悪感を抱いてしまう。


 僕は居間にあがりこんで、そうして他のことには目もくれずに、ただエアコンをつけるためにリモコンを探す。いつもなら置いてある場所を探してみたけれど、そこにはなくて、なんとなく違う場所を探してみると、テレビの付近に他のリモコンと同じような具合で置かれている。


 僕はそそくさとそれを手に持って操作する。冷房のボタンを押されたリモコンに答えるように、エアコンは機械的な電子音を鳴らした。しばらくぬるい風が吹いた後、咆哮を見定めたかのように冷風が出た。その心地に安堵を覚えながら、僕は今の中を見渡した。


 違和感。なんとなくだけど、違和感がある。


 ん? という心の中に疑問を抱いて、それを独り言として出してみる。実際、今の中はどこかおかしい部分があった。


 僕がいるテレビ周りの環境については特に言うことはない。朝の景色を思い出してみても、そこに違和感を覚えることはなく。


 間違い探しをしてみる。


 ベランダの戸は開いている。そうしたのは僕のはずだ。確か、ルニが日射に晒されていたから、とりあえず避暑のためにと明けた記憶が残っている。


 それならば、この違和感を覚える意識はなんなのだろう。


 妙に着心地の悪い服を着ているような感覚。目の前の現状はいつも通りであるはずなのに、それでも違和感を覚える。なぜ、そんな違和感を覚えるのかを頭の中に反芻して、僕はテーブルの下に潜っていたメモ書きを見つける。


 風でも吹いたのだろう、元の位置にメモ書きはなかった。でも、それ以外に特に違和感はない。


 メモ書きに視線を移す。内容を頭の中に留めてみて、その上で現状を見返してみる。


「あっ」


 思いついたように声を上げた。声を上げて、そうして僕は問題の場所にまで移動する。


 冷蔵庫。


 冷蔵庫の扉は閉じられている。閉め切られている。人為的と感じずにはいられないほどに、きっちりとそれは閉じている。


 違和感の正体。メモ書きで思い出したこと。 僕は確かに、母が残したメモ書きの通りに、冷蔵庫の扉を開けて、そのままにしていたはずなのに、それでもなぜか閉められている現状。違和感の塊。違和感しか覚えないどうしようもない状況。


 空き巣か? そんなことを考えてみる。


 ルニのためにベランダは開いていた。行くときにも思ったけれど、不用心過ぎた行い。人の心を信じていたわけではないけれど、もしかしたら誰かがベランダから上がり込んで、そうして覗いた可能性などを考えてみる。


 嫌な気持ちがして、そうしてクーラーボックスの中身を覗いてみたり、もしくは家具に変化がないかを居間以外にも確認をする。台所、風呂場、寝室、とりあえず、ある場所をすべて散策して、自分が抱いた問いに対しての答えを探した。


 でも、意外にも何かが荒らされているという形跡はないし、盗まれているものはなかった。


 ならば、なぜ冷蔵庫は閉められているのだろう。意味が分からなかった。


 もし、人が侵入したというのならば、わざわざ開放されているものを閉じるのはおかしいような気もする。そもそも痕跡を残すようなことをしないはずだ。


 いろいろなことがおかしい。なにかがおかしい。


 嫌な予感は拭えない。どこまでも、反芻してしまう。


 僕は居間の方に戻った。居間に戻って、台所に置いてある冷蔵庫の中身を確認しなければいけないと思った。


 原因がなければ、それが閉まることはない。だから、原因があるのは確かなわけで、それはこの冷蔵庫の中身にあるかもしれない。


 ──そんな時に、ふと聞こえてくる、葵の声。


 ──ルニー? どこー?


 開いているベランダを通して、微かに彼女の声が聞こえてくる。


 彼女が、猫を探す声。


 嫌な予感、嫌な予感、嫌な予感。


 僕は、意を決して冷蔵庫を開ける。


「──ルニ?」


 僕は、中身を見て、唖然としながら言葉を呟いてしまった。


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