3


「ねえ」と葵は僕に声をかけた。


 あと数分もしないくらいにある市民プール。荷物を持っている子供や大人たち、僕たちと同じような年代の人を度々見かけて、人が多いな、とか考えているときに、葵は僕に声をかけていた。


「……やっぱり、帰らない?」


「え?」


「なんか、気がかりなんだよね」


 彼女は特に言葉を続けることはしなかった。でも、きちんと僕は葵がルニのことを考えていることを察した。


 茹だるような湿気、肌を焦がすような日射の熱、人を殺すようなアスファルトの照り返し。


 すべてが暑い。すべてが暑くて仕方がない。


 だから。


「大丈夫だよ」


 僕はそう返した。


「ルニは賢いんだから、いざとなったら水の中でも浸かって涼しくなるだろうさ。だって、お風呂の水溜めたんだろ。だから、大丈夫だよ」


 根拠のない言葉をまた投げた。とりあえず、目の前にある熱から逃げるために、適当な言葉を投げ続けた。


「でも」


「大丈夫だって。葵のお父さんもそう言ってたんだろ? ルニのことを少しは信じてあげようよ」


 彼女から聞いたことを思い出しながら、僕はそう言葉を吐いた。


 それでも彼女はやはり気がかりな様子を見せたけれど、最終的には、うん、と一言呟いた後に頷いて、そうして足をまた市民プールへと運ばせる。


 暑い、暑い、暑い。


 暑いからこそ、彼女はルニのことを気にしている。でも、僕たちだって暑い。もしかしたら、ルニよりも暑い状況にいるわけで、ルニも暑かったら熱に対しての自衛の行動をとるだろうし、きっと大丈夫だ。


 僕は自分の気持ちをそう演出して、葵と一緒にプールまでの道中を押し流す。


 サンダルに響くアスファルトの熱は、どこまでも拭えそうにはなかった。





 プールは楽しかった。


 たまたま同級生の男女もいたりして、意気投合して一緒に遊んだ。


 葵は少しばかり苦笑している様子で、僕の後ろにいたけれど、いつも陰ながら仲良くしている女の子を見かけると、そっちの方に話しかけに行くなりしていた。


 なんだかんだ、彼女も受け入れたようで、気にかかる様子を見せることはなくなった。プールの中ではお互いに、暑さから逃げるように水の中に溶け込むようにした。


 昼ごはんの時には、葵と一緒に売店でジャンクな食べ物を選んだりして、二人で食べた。市民プールはやはり人が多くて、ベンチやテーブルがある場所に座ることはできなかった。だから、適当に立ちながら彼女と食事を進める。


 立つことを意識して、僕たちは串ものを選んでいた。


 もぐもぐと咀嚼して、近くにある自販機で買った飲み物を口に含む。僕は炭酸飲料を選んで、葵はスポーツドリンクを買っていたはずだ。


「ねえ」


「ん?」


 彼女はそう声をかけてきた。


「大丈夫、だよね」


 葵はやはり気がかりなようで、彼女は不安そうな表情をした。


 ここで空気を壊すわけにはいかない。だから、適当に、そして適切に答える。


「大丈夫だよ」


 ルニは賢いんだから。


 僕はそう言葉を繰り返し、彼女に安心を呑み込ませた。





「楽しかったね」


 時間帯については夕方だったけれど、まだ太陽が沈む気配を見せることはない。それでも、着実に僕たちの影は日射に対してのびていて、いよいよ夜が近づく雰囲気を感じながら、彼女は今日のことを振り返りながら呟いた。


「うん、そうだね」


 僕は相槌を打った。適当な挨拶だったと思う。プールは楽しかったけれど、それでも帰り道の日射しは鬱陶しくて仕方がなかった。


 気温が下がった気配はない。家に帰って、まだ工事が終わっていなかったら、僕はまだこの熱に浸ることになる。それが頭の中で過って、あまり思考は働いていなかった。


 早く帰らなきゃ、と彼女はそう言って、いつもよりも速いテンポで足を進ませる。水の中で過ごした疲労で、その足の速さに辟易しながらも、それでも彼女のスピードに足を合わせる。


 まあ、大丈夫だ。特に、変なことになっているわけはない。


 なんとなく、そんな予感がする。


 僕は家のエアコンが機能することと、彼女が安心した顔を見せることに期待をして、そうして帰路についた。


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