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◇
「ねえ」と葵は僕に声をかけた。
あと数分もしないくらいにある市民プール。荷物を持っている子供や大人たち、僕たちと同じような年代の人を度々見かけて、人が多いな、とか考えているときに、葵は僕に声をかけていた。
「……やっぱり、帰らない?」
「え?」
「なんか、気がかりなんだよね」
彼女は特に言葉を続けることはしなかった。でも、きちんと僕は葵がルニのことを考えていることを察した。
茹だるような湿気、肌を焦がすような日射の熱、人を殺すようなアスファルトの照り返し。
すべてが暑い。すべてが暑くて仕方がない。
だから。
「大丈夫だよ」
僕はそう返した。
「ルニは賢いんだから、いざとなったら水の中でも浸かって涼しくなるだろうさ。だって、お風呂の水溜めたんだろ。だから、大丈夫だよ」
根拠のない言葉をまた投げた。とりあえず、目の前にある熱から逃げるために、適当な言葉を投げ続けた。
「でも」
「大丈夫だって。葵のお父さんもそう言ってたんだろ? ルニのことを少しは信じてあげようよ」
彼女から聞いたことを思い出しながら、僕はそう言葉を吐いた。
それでも彼女はやはり気がかりな様子を見せたけれど、最終的には、うん、と一言呟いた後に頷いて、そうして足をまた市民プールへと運ばせる。
暑い、暑い、暑い。
暑いからこそ、彼女はルニのことを気にしている。でも、僕たちだって暑い。もしかしたら、ルニよりも暑い状況にいるわけで、ルニも暑かったら熱に対しての自衛の行動をとるだろうし、きっと大丈夫だ。
僕は自分の気持ちをそう演出して、葵と一緒にプールまでの道中を押し流す。
サンダルに響くアスファルトの熱は、どこまでも拭えそうにはなかった。
◇
プールは楽しかった。
たまたま同級生の男女もいたりして、意気投合して一緒に遊んだ。
葵は少しばかり苦笑している様子で、僕の後ろにいたけれど、いつも陰ながら仲良くしている女の子を見かけると、そっちの方に話しかけに行くなりしていた。
なんだかんだ、彼女も受け入れたようで、気にかかる様子を見せることはなくなった。プールの中ではお互いに、暑さから逃げるように水の中に溶け込むようにした。
昼ごはんの時には、葵と一緒に売店でジャンクな食べ物を選んだりして、二人で食べた。市民プールはやはり人が多くて、ベンチやテーブルがある場所に座ることはできなかった。だから、適当に立ちながら彼女と食事を進める。
立つことを意識して、僕たちは串ものを選んでいた。
もぐもぐと咀嚼して、近くにある自販機で買った飲み物を口に含む。僕は炭酸飲料を選んで、葵はスポーツドリンクを買っていたはずだ。
「ねえ」
「ん?」
彼女はそう声をかけてきた。
「大丈夫、だよね」
葵はやはり気がかりなようで、彼女は不安そうな表情をした。
ここで空気を壊すわけにはいかない。だから、適当に、そして適切に答える。
「大丈夫だよ」
ルニは賢いんだから。
僕はそう言葉を繰り返し、彼女に安心を呑み込ませた。
◇
「楽しかったね」
時間帯については夕方だったけれど、まだ太陽が沈む気配を見せることはない。それでも、着実に僕たちの影は日射に対してのびていて、いよいよ夜が近づく雰囲気を感じながら、彼女は今日のことを振り返りながら呟いた。
「うん、そうだね」
僕は相槌を打った。適当な挨拶だったと思う。プールは楽しかったけれど、それでも帰り道の日射しは鬱陶しくて仕方がなかった。
気温が下がった気配はない。家に帰って、まだ工事が終わっていなかったら、僕はまだこの熱に浸ることになる。それが頭の中で過って、あまり思考は働いていなかった。
早く帰らなきゃ、と彼女はそう言って、いつもよりも速いテンポで足を進ませる。水の中で過ごした疲労で、その足の速さに辟易しながらも、それでも彼女のスピードに足を合わせる。
まあ、大丈夫だ。特に、変なことになっているわけはない。
なんとなく、そんな予感がする。
僕は家のエアコンが機能することと、彼女が安心した顔を見せることに期待をして、そうして帰路についた。
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