2


 朝、寝苦しい感覚で目を覚ますことになった。


 起きたときには電柱の工事は始まっていたらしく、確かタイマーを作動させずにそのままにしていたエアコンの冷房機能は確実に消えていた。


 タオルケットの嫌な肌触りを汗の感触とともに味わいながら体を起こした。


 外の方から聞こえてくるセミの鳴き声、それに混じって、作業をしているらしい工事音が喧噪として重なって聞こえてくる。


 とりあえず、寝ぼけた思考であることを無視して体を起こして、母から言われていたことを思い出して行動する。


 居間の方に行き、そしてメモ書きの確認。頭の中にもきちんと残っていたけれど、寝ぼけている意識の中でそれを反芻することは難しい。一行一行を咀嚼して、用意されていたクーラーボックスに荷物を詰め込んだ。


 だいたい十分もしないくらいでそれは終わって、メモ書きの最後の一行を確認する。


『コンセントを抜いて、冷蔵庫のドアを開放しておくように』


 一瞬、意味を理解することはできなかった。昨日母と一緒に確認した文面とは異なっていたから。


 ただ、慌てているのか、走り書きのような形で書いてあったから、昨日の僕に言い忘れたことだったんだろう、と察しはつく。


 だから、適当に書かれている文言をそのままやった。コンセントを抜いて、空になった冷蔵庫の扉を開放した。


 そんな時に、ベランダの方から猫の鳴き声が聞こえた。


 僕は猫の鳴き声がした方に視線を合わせた。視線を合わせて、苦笑しながら溜息をついた。


「……なんで来ちゃうんだよ、ルニ」


 ルニは葵の家で飼っているネコだった。幼い頃から見かけている猫。猫にルールは存在せず、隣人である僕の家にも容赦なく侵入してくる。


 まあ、これも日常のようなものだった。僕はルニの方へと足を運んでいく。


 ベランダの向こうで、ルニはひたすらに鳴き声をあげている。


 日射は確実にルニを射していた。僕はそれをいたたまれないと思って、とりあえず避暑にくらいはなるかな、と中に入れた。


「葵はもう起きたかなぁ?」


 中に招き入れたルニに通じるはずもない声をかけてみてルニを撫でる。手に仕舞い込まれるように甘えてくる猫の姿を愛おしく思った。


 しばらくじゃれていて、とりあえず葵が僕の家に来るまでをしばらく待ってみた。だいたい五分もしない程度の時間感覚。そんなくらいで玄関からノックの音がした。


 ノックをするくらいならチャイムを押せばいいのに、そんなことを思ったけれど、それはまだ寝ぼけている意識の証明に近かった。電柱の工事をしているのだから、インターホンが機能するわけがない。


 ああ、と思い出した声をあげて、僕はルニから手を離した。ルニはそうっと静かに離れていって、開けていたベランダの戸口から消えていく。


 ふう、と息を吐いて深呼吸。


 やるべきことはやった。昨日のうちから準備についても万端。特に逸る必要もないのに、どこか焦燥感というか、緊張感のようなものを覚えながら玄関の方に向かう。


 僕は特に見落としがないことを確認して、玄関先にいる葵と対面した。





 対面して、いつも通りの挨拶を交わし合った。また、適当な話題として、今日の天気の暑さについてを語ったり、さっきまでルニがいたことを彼女に伝えたりした。


 彼女はルニのことを聞くと、少しばかり不安そうな顔をした。


「エアコンないのに、大丈夫かな」


 僕はそんな彼女の不安を解消するように言葉を吐く。


「不用心かもしれないけれど、僕の家のベランダは開けておいたから、もしかしたらルニにとっての避暑地になってくれるかもしれない。まあ、それでも暑いことは変わらないと思うけど」


 僕の言葉を聞くと、彼女は、まあ、と少しだけ納得のいかないような表情をした。でも、結局それ以外にできることはなくて、僕たちは市民プールまで足を進ませる。


 葵も葵でルニのために、いろいろ熱中症の対策をしていることを話してくれた。


「それでね、いろいろルニのために準備したり、他の家の人に預かってもらうことを父さんに提案したんだけどね、なんか猫だから大丈夫だろって言われちゃった」


「……それは、なんというか、なんとも言えないね」


 彼女は頷いた。


「まあ、でも大丈夫だよ。いろいろ対策はしたんでしょ。きっと、ルニも大丈夫だから」


 それでも、僕は彼女が不安にならないように適当な言葉を投げた。根拠のない言葉の数、それを彼女が呑み込めたのかはわからない。でも、足はそれでも市民プールへと進んでいった。


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