僕が殺した

若椿柳阿

1


 秋の風は冷たかった。ここ最近では夏の気配を忘れさせまいと熱のある日射を振りまいていたはずなのに、すべてを忘れてくれと懇願するように、世界は冬の準備をしている。


 乾いた空気。吹きすさぶ寒風のそれは季節を錯覚させるには十分すぎる。暦上、一応秋という表現を選んだけれど、結局のところ、今感じている季節感としては冬というのが個人的に正しいような気がした。


 ──そんな折に、靴音が背後から聞こえてきた。


 靴音が気になって、僕は後ろを振り返る。


 振り返ってしまった。


 後悔した時には遅すぎた。


 往来を、堂々と、洒洒落落と闊歩する彼女の姿。幼馴染の姿。葵の姿。


 彼女がそんなことをするわけもないのに、今の彼女は過去の自分は殺したと言わんばかりの雰囲気を纏わせながら、靴音を鳴らして歩いて行く。


 僕は足を止めた。彼女の前を行くことが後ろめたかった。


 彼女は特に気に留めるようなことはせず、すべてを無視して、氷のような冷たさで表情を凍らせて、歩き続ける。


 ……以前の彼女を想ってしまう。


 今の彼女は、どこまでも異なっている。以前の彼女を想えば、過去の姿すべてが幻想としかとらえられないほどに、彼女は別人だ。


 彼女がそう振舞い始めたのは、いつからだっただろうか。


 彼女がそう振舞い始めたのは、なぜだっただろうか。


 彼女と僕が会話をしなくなったのは、いつからだろうか。


 そんな疑問を覚えて、それがあまりにも愚門だということに気づく。


 気づく、なんてそんな表現は正しくない。


 ずっと、知っている。どこまでも知っている。


 僕は視線を逸らしたいだけだ。


 彼女をそうさせたのは自分だ。


 今の彼女の振舞いは僕のせいだ。


 過去の彼女を殺したのは、確実に僕なのだ。





 夏場だったことだけは覚えている。そうでなければ、あんなことは起こらなかったはずだから、忘れることはできない。付け足すような映像の記憶に身をゆだねる。カラフルに思い出される景色。周囲を包む茹だる湿気も、その温度も、もしくは太陽がアスファルトを焦がすような匂いについても、すべてが鮮明に思い出せる。


 彼女は、葵は僕の幼馴染だった。


 幼い頃から一緒に過ごしてきた。


 幼稚園生の頃から、家は隣同士だった。


 家族間の仲は良好で、同じ幼稚園ということがなくても、きっと幼馴染としての関わりは変わらなかったと思う。


 彼女の性格は陰気、というか、人と関わることを苦手としていた。引っ込み思案という言葉が適切で、いつも僕の後ろをついて回るように行動していた。そんな中でも彼女はなんとか人間関係を紡ぐことができて、苦手ではあるけれど、それでも学校からの帰り道では紡いだ言葉のすべてを吐き出すように僕に共有してくれていた。


 僕はそんな日常を穏やかに過ごしていた。幼稚園を卒園しても、小学校を卒業しても、中学校を卒業したとしても、なにかがあったとしても、この関係性は変わらないと思っていた。


 まあ、そんな環境での夏場の日のことだった。





 夏場にエアコンを使わない家庭は、今となっては少ないだろう。もはやないといっても過言ではないかもしれない。だいたいの人間は茹だる温度から逃避するために、冷房の機能を使って熱を転換する。でも、当たり前だがそれについては電力が必要だ。


 その日は、確か電柱の工事があった。もともと春末くらいから予告されていた工事。電線の補修という名目で、その日は昼間は電機関連を使用することはできない、そんな具合だった気がする。


 当時、中学生くらいの僕たちは、そんな環境をどうやって過ごせばいいのかを考えていた。


 別に、片方の家だけ電気を使えないというのならば、もう片方の家で過ごせばいいだけなのだが、家については隣同士、片方の家だけが救われるということはない。


 エアコンが使えない状況の中で過ごす家の空気はどうしようもない。くぐもった空気を支配する部屋の中にいることはまず考えられなかった。


 葵と、いろいろと相談する。互いの両親は共働きだったから、日中の過ごし方についてはいつも彼女と考えていた。だから、その日の対策なるものも当時の頭なりに考えたりした。


 デパートに出かけて適当な冷房の中で涼むとか、もしくは図書館に行って夏休みの宿題を進めるとか。まあ、そんな提案をお互いにした。


 相談の結果、結局決まったのは市民プール。人ごみに行くことを彼女は嫌ったし、僕は勉強することを嫌った。だから、妥協点くらいの位置でプールを選択した。


 そうして、前日にいろいろと準備を済ませる。母親に工事のある時間中の過ごし方を聞かれて、葵との約束についてを話す。それなら、と小遣いのようなものをもらった。


 あ、と母は思いついた声を出して、僕にお願いをしてきた。


 お願いの内容については単純で、停電することになる家の冷蔵庫から、あるものをすべて取り出して、クーラーボックスに氷を突っ込んでおくこと。


 忘れないでね、と母は何度も確認を行い、その結果、母のメモ書きがテーブルに残ることになった。それなら、何も言わずにメモ書きを置けばよかっただろうに。


 少しばかりの鬱陶しさを覚えながら、僕はその日は睡眠に浸った。翌日に備えて。




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