1-4 推しが行方不明になった

 診療所に戻ろうとすると、しゃがみこんだ小平さんが、玄関の前でうなだれていた。


 裕也さんが慌てて駆け寄る。


「小平どうした!?」

「お帰りなさい裕也の兄貴、それと先生。すんません。ちょっと心がしんどくて」


 気だるそうに立ちあがった小平さんが、鼻を鳴らしながら右腕で顔をこする。


「つらいことでもあったのか。話なら聞くぞ」

「笑いませんか?」

「笑わねえって」

「オシが行方不明なんです」


 オシとは。


 ペットの名前?


 裕也さんが、開いた口が塞がらないという顔をしている。


「お前よお。命張って診療所の玄関を守っている最中に、スマホをぽちぽちしてたってのかよおい。随分と暇してんじゃねえか」

「ひっ、すんませんすんません! なんか嫌な予感がして、ふと画面を見たらニュースの通知が来ていて」

「笑わねえとは言ったが、怒らねえとは言ってねえからなあ俺」

「一瞬見ただけですって! 一瞬ですよ!」


 小平さんが、口角に泡を飛ばして突っかかる。


 必死に弁明しようとするその態度に、裕也さんは肩をすくめた。


「しゃあねえな。だからって落ち込みすぎだろお前。カチコミでもされたのかと勘違いしたじゃねえか。刺されたような恰好しやがって紛らわしい。そこは反省しろ」

「心の底からすんません、反省してます、マジすんません」


 すっかりしょげてしまったようで、小平さんは肩を落としてしまった。


「あのう、オシってなんですか?」

「お前はまだ知らなくていい」

「まだってなんですか」

「俗で複雑な話だから、説明が面倒なんだよ。とっとと中に戻るぞ」

「余計に気になるじゃないですか。外は蒸し暑いですし羽虫も多いですから、中に入るのは賛成ですけど」

「早く部屋に入って、お前はシャワーでも浴びてこいよ。ガウン着てたって、目に見えないレベルで血やら体液やらが、肌に飛び散ってるかもしれないだろ」


 通気性の悪いエプロンを付けていたせいで、汗もかいている。


 言われた通りに部屋の中に入った僕は、早速シャワーを浴びることにした。


 頭からお湯をかぶりながら、依頼主の男から返された言葉を、頭の中で反芻する。


 なぜ僕があの少女の事情を知ると、大切なものを失うのだろう。


 大切なものとは何だろう。


 命か、大事な人か。


 そう脅さざるを得ないほど、あの依頼主と少女は、こちら側の世界に浸かってしまったのだろうか。


 そういう意図があったのなら、去り際に置いて行った文言にも頷ける。


 僕自身が、暗部に足を踏み入った人間を、何人も処理させられてきているからだ。


 人間、知らない方が良いこともある。


 元を辿れば、依頼主やその事情をみだりに探るのはご法度だ。


 事情を表に出せないからこそ、近藤組のような極道を頼るのである。


 相当な報酬額をせびられたようだが、陰に暗に謀り事を推し進めるのであれば、致し方のない手数料であったのだろう。


 業務は十全に果たしたつもりだ。勉強もさせてもらった。あの少女の行方さえ度外視すれば、とても充実した時間であったし、それなりに良い仕事をしたとも自負している。


 もうあの少女のことは、忘れるべきなのかもしれない。


 それでも、気になるものは気になる。


 依頼主の態度も妙だった。僕がじっと少女の裸体を観察していたときは文句ひとつ言わなかったくせに、名前を尋ねた途端に様子がおかしくなった。


 その理由を調べる術は、今の僕にはない。


 まもなく日が昇る。


 太陽が昇り切ったあたりでまた僕は目を覚まし、今日も今日とて患者の治療に励むのだろう。


 平和な一日を過ごすのだろう。


 そのはずなのにどういう訳か、胸騒ぎがいつになっても治まらないのであった。

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