第23話 準備

 慌ただしい日々が始まった。


 まずトレッキングの日程が決まったとの事で今日も急遽サークル室に呼び出された。まぁ、呼び出されなくても殆ど毎日入り浸っているのだが。

 

 日程は十月第三週目の日曜日、スポーツの日の前日。どうしてスポーツの日にしなかったのか彩に聞いたところ、「トレキングを舐めたらあかんで。特にちぃちゃんと巧君は初めてやからな。次の日身体が悲鳴を上げるで」だから、祝日の前の日にしたとの事。


 正直小中高と運動部に所属していた千草にとっては、簡単な山登りで身体が悲鳴を上げるとは考えにくい。実家でも小さい頃は巧の家の裏山を走り回っていた。


「小さい頃っていつの話してんだ。部活がない時はお前ずっと引きこもってゲームしてただろが」

「うるさいなぁ。部活は真面目にしてたでしょ」

「サボる勇気がなかっただけろ」

「うっ、それは……そうだけど」

「でも、確かにこう見えて体力だけはあるからな。山登りくらいで次の日堪えるとは思えないな」

 二人のそんなやり取りに彩がニヤッと怪しげに笑った。

「ふっふっふっ~。そう言っとられるんも今の内やで~」

 その含みのある言い方に千草と巧は顔を見合わせた。


「おーい。遊んでないで話進めるぞー」

 別に遊んでいた訳ではないのだが、確かに話が少し脱線してしまっていた。

 三人はそそくさと佇まいを直した。そして、彩が「ごほん」とワザとらしく咳払いをして話を進めていく。


 全員の意見をまとめモノがワイトボードに書かれていった。


【蒜山(下蒜山) トレッキング】

日時:十月九日(日曜日)

移動:岡山駅集合。

そこから彩の車で蒜山へ

犬挟峠登山口に九時頃到着→十二時ごろ下蒜山山頂→十五時ごろ犬挟峠登山口

服装:長袖シャツ、ズボン、靴下、帽子

持ち物:ザック、トレッキングシューズ、水稲、地図、コンパス、タオル、ビニール袋、ティッシュ、雨具、防寒着、着替え、手袋、行動食


「なぁ、そのトレッキングシューズっていうのは絶対必要なのか? 実家の裏山昇る時もスニーカーだったんだけど」

 持ち物について巧が質問した。確かに千草も気になるところだった。田舎育ちの身からすると、体力面同様無用な心配に思えた。


「必要だな」


 その質問に悠里が断定的に答えた。

「巧が言ってる山登りは精々数十分、高くても標高数百メートルだろ? でも今回は何時間と歩くんだ。スニーカーじゃ足にかかる負担が大きすぎる。それに急な雨なんかにも対応できないしな」

 普段はふざけがちの悠里だが、こういう時の意見は間違いない。

「なるほど。了解。だけど俺も千草もトレッキングシューズ何て持ってないぞ? どこで買ったらいいんだ」

「フフフっ。それは予想済みだ。二人とも今度の週末空いてるな?」

 悠里が断定的に聞いた。

「ああ、特に予定はないけど」

「私も」

 不敵な笑みを浮かべる悠里を見て、千草と巧は顔を見合わせた。


   ※


 そして週末。

 千草と巧、そして悠里は電車に揺られていた。

「二人ともお金の方は大丈夫か?」

「ああ、言われた通り多めに持ってきた」

「私も。前実家に帰った時に貰ったお小遣いが少し残ってたから」

「そりゃ良かった。安いのもない訳じゃないけど、他にも色々と買い揃えときたいしな。軍資金は多いに越したことはない」

 先日のミーティングを受けて、今日はこれからトレッキングシューズを買いに行く。現在いない彩とは岡山駅で落ち合う手はずとなっている。

「けど、悪かったな。せっかくの週末に呼び出しちまって」

「何言ってんだよ。どっちかって言うと付き合ってもらってるのは俺たちの方なんだから」

「うんうん。こっちこそゴメンね?」

「―――尊いっ」

 ガバッと悠里に抱きしめられた千草はその後岡山駅について彩と合流するまで、成す術ものなく翻弄されていた。


「…何してんの」

 そして、岡山駅の改札を出たところで合流した彩の第一声である。

「いや、何かもうちぃちゃんが尊くて」

 そう言いながらも千草を撫でまわす悠里を見て、彩が巧の方に視線を移す。

 言外にどういう状況だ、と言っている。

 巧は首を振り肩をすくめた。

「はぁ~。ほらいい加減離れなさい。ちぃちゃんが歩きづらいやろ」

「あぁぁ~」

「ほな、アホの子はほっといて行こかぁ」

 千草より引き離された悠里は何とも言えない声を発していたが、それを無視して彩が先導し歩き始めた。

「あぁ、待てよ~」

 置いて行かれそうになった悠里が後ろから追いかけてくる。千草もちゃんと付いて来ている事を確認しながら巧が彩に聞いた。

「今日行く店はここから近いのか?」

「ん? そんなに遠くないで。バスで十分くらいやぁ」

 そこから彩の案内でバスに乗り到着した。


【モンベル】


 店の看板にはそう書かれていた。

「フランス語で『美しい山』って意味らしいわ」

「へぇ」

 千草も巧もこの手の店には今まで縁がなかった為、店内にあるモノ全てが目新しかった。

 初めて入るお店とは緊張とワクワクが織り交ざり合った何とも言えない興奮感があり足元がフワフワする。そして、財布の紐も緩くなってしまうのだ。それで何度痛い目を見たことか……。千草は以前大人買いした手つかずのゲームソフトの山を思いだして、財布しまっている鞄の口をギュッと握りしめた。


「それじゃちぃちゃんと巧はまず靴から見ていこうか。その後ウェアやザック、その他諸々って感じかな」

「「了解」」


「よし、じゃあ、まずは自分たちで見て回ってきてよ」


「「え?」」


 私たちはあっち見て来るからさ、と悠里と彩はさっさとどっかに行ってしまった。


 取り残された二人が顔を見合わせる。

「見て回れって言われてもな……」

「……どうしよっか」

 コレにはお互いに鏡写しのような困り顔であった。


 始めて来るジャンルの店に加えて、当然初来店の店であったが、幸いにしてシューズ売り場はすぐに見つかった。見つかったのだが、


「…多い」


 千草が思わずと言った感じで呟いていた。

 巧もその隣で、その数に圧倒されていた。

「選ぶ基準とか何かあるのかな?」

「さっぱりだ」

 見渡す限りでも、ローカットにミドルカット、ハイカット。その他防水機能在りだとか、素材の違いなども記載されている。価格も四、五千円から数万円まである。

「取り敢えず、見ていくか」

「そだね」


 その後数十分シューズ売り場でウロウロしてみたが、やはり知識がないだけにどれも決め手に欠ける。

「千草はどれか良いのあったか?」

「ん~ん。ローカットよりはハイカットの方が好きだけど、山を登るんだから軽い奴がイイのかな」

 ハイカットが好きなのはバスケをやっていた影響だ。足首大事。

「俺もハイカットの方が良いんだけど、凄い固定感だよなぁ」

「だよね」


 試しにハイカットのシューズを履いてみたのだが、足首までの固定感が凄くとても歩けたものではなかった。バッシュとはえらい違いである。かといってローカットでは足首のあたりが心もとない。


「大丈夫ですか?」


『ん~』と唸っていると、後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、そこには良く日に焼けたおじさんが立っていた。服装からは分かりにくいが、名札を付けているので店員だろう。

「今度友達と蒜山トレッキングに行くことになったので、靴を選びに来たんですが、予想より種類が多くてどんなのが良いのか分からなくて」

 話しかけられた瞬間にサッと後ろに隠れた千草の代わりに巧が答えた。

「あぁ、なるほど。お二人はトレッキングは初めてですか?」

「はい。他に連れが二人いて、そいつらは経験者みたいなんですけど、どっかに行っちゃって」

「ははは。災難ですね。よろしければ私がアドバイスさせて頂きましょうか?」

「良いんですか?」

「もちろんです」

 そして、千草と巧の買い物に店員おじさんが加わった。


「トレッキングシューズを選ぶポイントですが、まず形とサイズですね。基本的にはミドルカットかハイカットのシューズが良いですね。ローカットのモノは平坦な道では歩きやすいですが、そこそこの山道では疲れやすくなりますから。ですが、ローカットやハイカットのシューズも注意が必要です。足首まで覆われているので、普通の靴の感覚で選ぶとサイズが合わないことがあります。ネットで購入されるる時によくあるトラブルですね。あと、靴下もトレキング用は厚めなのでそちらを履いて試着することも大事ですね」


 店員は慣れた様子で二人に説明をしてくれた。

「トレッキング用の靴下もあるんですね」

「ええ、ほらそちらに。まだお持ちでないようであれば、お店のモノをお貸ししますので履いて試してみてください」

「はい。ありがとうございます」

 普段の買い物であれば店員に話しかけれてたくない派の二人であったが、このおじさん店員は過剰に商品を進めてこない、しかし必要な情報はその都度くれる。実に居心地がいい。グッド店員賞を上げたいところである。

「あとは、山を登るのでしたら防水機能が高いモノが良いですね。何せ山の天気は変わりやすいですから」


 確かに。濡れた靴で歩くのは舗装道路でも気持ちのいいものではない。

「まぁ、色々言いましたが、まずはインスピレーションで選んでみてください。そこから取捨選択していきましょう」

 という事で、千草と巧はいくつか気になる靴を選んでみた。

 千草はミドルカットとハイカット。巧はハイカットの三足を選択肢として選んだ。


「では、実際に履いてみましょうか。靴下はこちらをどうぞ」

 千草と巧が靴下を履く間に、おじさん店員が素早く靴を用意する。靴のサイズは普段のモノより一センチほど大きめが一般的らしく、千草が二十四、巧が二十七センチだ。


「ん、んん? 履きにくい?」

 靴下を借りて、選んだトレッキングシューズを履こうとした千草と巧であったが、上手くいかない。先程おじさん店員に声を掛けられる前に試着した時はサイズも適当で、靴紐も縛らず試したが、実際に履いてみると難しい。


「っし、こんな感じか? て、うわっ⁉」

 

 どうにか履き、靴紐を締め歩き心地を試そうと一歩踏み出した――出そうとした巧がこけた。


「うわっ⁉ ちょっと巧何してんの?」

 

 これには千草も驚いて声を上げた。


「あ、いや、悪い。何か歩けなくて」

 巧自身も驚いているようで、首を傾げている。

「もーしっかりしてよね。――よいしょっと」

 千草も準備が終わり、歩いてみる。

「お、おお! これは確かに歩きにくいね」

 しかし、巧みたいに転ぶ程ではない。

「運動不足なんじゃない?」

「そのニヤケ顔ヤメロ。お前にだけは言われたくない。」

 

「大丈夫ですか?」

 店員さんが憤然とする巧を助け起こす。

「ハイカットは足首をガッチリ固定して、ソールも固いので初めての方はビックリされるかもしれませんね」

 そう言って、巧の履くトレッキングシューズの紐を緩めだした。

「ああ、解放感」

「ははは、慣れが必要ですね。登られるのは蒜山との事でしたのでミドルカットの靴でも問題ないと思いますが」

 どうします? という視線が巧と千草にも向く。


「ん~。慣れますかね?」

 ハイカットしか選んできていなかった巧が腕を組んで悩みだした。

「それはもちろん。新しい靴は靴擦れの心配もありますから一、二週間くらいは慣らした方がいいかもしれませんね。何せ山での怪我は何が起こるか分かりませんから」

「なるほど……」 



「おーす。二人共靴決まったかー?」

 店員さんの言葉に再び靴を見比べ始めた二人に、大きな声がかかった。

 見ると悠里と彩がそれぞれ買い物袋を手にこちらにやって来るところだった。


「えー もう買っちゃったの?」

 その様子に千草が非難の声を上げる。

「ああ、ゴメンゴメン。ちらっと見かけた時まだ靴選んでたっぽかったからさ。んで、良いのあった?」

「んん~ それが……」

 

「なるほどなるほど――巧、お前足首捻り癖あるだろう?」

 千草の話を聞き、悠里が巧を見た。

「あ、ああ。よく分かったな」

「球技大会の時何となくな。てか、じゃあ決まってるようなもんだろが! ハイカットにしとけよ」

「ああ、それはそうなんだけど……。物凄い歩きにくいんだけど」

 何当たり前の事を悩んでいるんだと言う悠里に、巧も頷きつつ懸念を口にした。

「ああ、そう言う事かぁ……。巧君、さてはこけたな」

「――――ばッ!」

 様子を見ていた彩が突然合点がいったとばかりに巧を見て、ニヤリとした。

 これには巧も驚きを隠せていなかった。


「何だよ、そう言う事かよ」

 それに続く悠里の声に巧が身構えた。バカにされるに決まっていると。

「私もそうだったよ。懐かしいなー!」

「……え?」

 しかし、聞こえてきたのはそんな声。

「そやなぁ。悠里も初めてハイカットのトレッキングシューズ履いた時、まるで生まれたての小鹿ちゃんみたいやったもんなぁ」

 彩も懐かしそうに言った。

「いや、アレは仕方ないって。彩はミドルカットしか履いたことないから分からねぇかも知らないけど、アノ時は彩に足首接着剤で固定されたのかと思ったんだからな!」

「いや、ウチどんだけ鬼やねん!」

 

 いつもの漫才が始まった。


「すぐに慣れたのか?」

 やいのやいの騒がしい二人の様子は気にせずに巧が聞いた。

「ああ、蒜山行くまでには問題ないと思うぜ」

 悠里が親指をグッと立てた。

「そうか。じゃあ、コレにするわ」

 巧は一番最初に手に取ったハイカットのトレッキングシューズを購入した。


「ちぃちゃんはウチとお揃いでミドルカットやね」

「うん。普通の靴よりしっかりしているし、巧みたいに転ばなくて済むし」

「おいっ、何か言ったか」

「何でもないでーす」


 こうして、トレッキングへの準備は着々と進んで行った。

 


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