第24話 トレッキング

 十月九日。天気は晴れ。


 今回も『晴の国岡山』の恩恵を有り難く享受する。


【イング】一同は朝早くから彩の運転する車に乗り込み蒜山ひるぜん高原を目指していた。


 蒜山高原とは岡山県の真庭まにわ市北部の蒜山地方に位置する高原である。


「二人とも車酔いとかは大丈夫?」


 愛車のミニバンを走らせながらバックミラー越しに彩が後部座席の千草たちに声を掛けてきた。


「ありがと。大丈夫」

「俺も山陰線の電車で鍛えられてるから問題なし」

 千草と巧がそれぞれ返事を返す。

「あ~ぁ。なるほど。それは納得やわ」

「確かに。初めて乗った時ビックリしたよな」


 彩と悠里もそれを聞いて大きく頷いた。

 都会の電車や新幹線に乗り慣れている人は知らないだろうが、山陰線の電車は揺れる。隙間風も酷い。その為、高校の三年間電車通学をしていた千草と巧の三半規管は強靭に鍛えられている。あと寒さにも強い。


「それなら安心やな。温暖化言うても山の上は流石に肌寒いやろうからなぁ」



 その後暫くは何事もなく車は進んで行った。


 十月と言えば紅葉シーズン。

 山登りにもってこいの時期なので混雑具合が心配だったが、朝早くなのでそれ程混んでいなかった。


「さて、あとに十分くらいで到着するけど、二人とも今日の予定ちゃんと覚えてきたか?」


 ナビの到着予定時刻を確認しながら、悠里が体を捻り後部座席の千草たちに確認してきた。


「覚えてきた、はず」

「俺も渡された予定表には一通り目を通したぜ」

「よろしい」

 悠里は二人の返事に満足そうにうなずく。


「まぁ、でも一応確認な」

 そう言って、姿勢を前に戻す。やっぱりさっきの体勢はしんどかったようだ。


「まず今日行く蒜山高原だけど、そこにある上蒜山、中蒜山、下蒜山の三つを指して、まとめて蒜山三座って言うんだ。一番標高が高いのが上蒜山で千二百メートルくらいで、二百名山に数えられる有名なところだな」

「でも、今日登るのは下蒜山なんでしょ」

「そうだよちぃちゃん。ちゃんと覚えててえらいっ」

 いつも千草に甘い悠里である。

「やっぱり上蒜山だときついからか?」

 そんな悠里をスルーして巧が運転中の彩に視線を向けて聞く。


 バックミラー越しに視線が合った彩が笑いながら付け加えていく。

「そうやね。上蒜山は往復すると他より一時間くらい長くなるからな。でも上りにくさで言ったら、中蒜山の方がきついかな。でも、下蒜山を選んだのは眺望が一番良いからやで。二人とも期待しててな」

 彩がバックミラー越しに器用なウインクをした。

「うんっ」 「おう」

 楽しそうなその様子に千草と巧も笑顔で答えた。

 



「よっしゃ、到着っ」

「ご苦労さん」

 元気よく車を降りた悠里に彩が労いの言葉を投げかける。

 普通は逆だと思うのだが、この二人はこれでいいのだと短い付き合いながら分かっている。


「彩ちゃんもお疲れ様」

「尊いっ」

 悠里もだが、彩も千草に甘い。ガシッと千種を抱きしめる姿に『あ、ズルい』と悠里も後ろから抱き着いてきた。

 車から降りると少し肌寒かった為二人に挟まれた千草はこれ幸いとなされるがままであった。


「よし。では戯れはここまでにして、最終確認するぞ~」


 一人残された巧が黙々と四人分の荷物をトランクから運び終えた頃、それを見計らったように悠里が号令をかけた。


「今日行くのは犬狭峠いぬばさしとうげ登山口から雲居平くもいだいらを経由して下蒜山山頂までの往復二時間弱のコースだ。私が先頭でちぃちゃん、巧、最後尾が彩の順で行く。二人はハイキング初めてだから、無理せず疲れたら言ってくれ。初めの方が比較的急な上り坂が続くから気を付けて登るように」


「は~い」

「分かった」

「了解」

 三者三葉に返事をし、いざハイキング開始である。



  ◇



「このぐらいのペースで大丈夫か?」


 登山道を上り始めて十分程が経った。

 湿原から山道に入り、滑りやすい土道をひたすら進む。

 左右を木々に囲まれた獣道のような登山道はさながらトトロに出会う為の道のようだ。


「大丈夫だよ」

 インドア派の千草だが、小中高と部活で鍛えた体力がある。笑顔で悠里に返事を返した。

 それを聞いて満足そうに頷いた悠里は後方にも視線を向ける。つられて千草も振り返るが、こちらも問題なさそうだ。巧も視線で返事をし、彩は元気に手を振っている。


「ちょっと余裕を持って彩に時間組んでもらったんだけど、この分だと山頂でゆっくりできそうだな」

 その様子に悠里が上機嫌で歩を進めた。


 黙々と歩くこと更に数十分。

 途中勾配がきつい場所には鎖やロープがあり、ちょっと大げさに言えばクライミングさながら。


「それは流石に言い過ぎだよ」

 白い肌を仄かに上気させながら、登る千草を見て悠里が笑いかけた。


「えへへへ。でも、こういうのは楽しいね。何か山登ってるぞって感じ」


 インドア派だが、決して身体を動かすこと自体が嫌いな訳ではない。


「お、ちぃちゃんもノッてきたね。そんなちぃちゃんに朗報だ。もうすぐ五合目に到着するよ」

「五合目?」


 ニヤッと笑いながら悠里が前方を指さす。

その視線の先を見ると―――


「わぁ」


 視界が急に開けてきた。

 これまでは樹林帯。高く生い茂った草に樹木が視界を覆っていたが、青空が開けた。

「きれい」

 千草は思わず呟いていた。

「これは、確かに壮観だな」

「晴れて良かったなゆうちゃん」

「それはもちろん『晴れの国』岡山ですから」


 後に続いてきた巧と彩も合流し、暫し四人で青く澄み渡る空と、その下に広がる緑に赤や黄色と色付き始めた山稜を眺める。


「よっし休憩終わり。この後は山頂までこの絶景を眺めながら行くぞ」

「「「おお――」」」

 今度は三人そろって声を上げた。


 五合目以降は比較的なだらかな道が続いた。

 四人は澄んだ空気を吸い込み、青と緑、その中に赤や黄色のグラデーションが彩られた絶景を眺めながらゆっくりと歩を進めていく。


「思ったよりも寒くないんだな」

「確かに今日は天気が良いからいつもより温かいかもな」

「ちょうどいい気温だよね。こんなに歩いたのに汗もかかないし」

「それはちゃうで、ちぃちゃん。みんなバッチリ汗をかいてるんやけど、この前買ったインナーが汗をすぐ蒸発させてくれてるんよ。だから汗をかいても身体が冷えていかんのよ」

『モンベル』でトレッキングシューズを買った際に、悠里と彩のアドバイスで他にもいくつか購入したものがあった。インナーもその一つ。

「へぇ。じゃあ、買っといて良かったね巧」

「そうだな」


 視界が開けたことで解放感が生まれ、道もなだらかになったため、自然と会話も増えた。


 千草と巧は初めてのトレッキングであったが、歩調は軽い。


「山頂に近い方が勾配がかと思ってたけどそうでもないんだね」

「チッチッチ。甘いでちぃちゃん」

「え、でも五合目からずっと楽になったよ」

 彩の様子に首を傾げる。

「ハハハ。彩の言う通りだぜ。楽しいゲームってのは大体フィナーレの直前に大一番が待ってるもんさっ」

 殆どゲームをしない悠里だが、最近は千草がプレーしているところを見る機会が多かったためお約束は覚えたらしい。

 ズバッと前方を指さした。


「ん? 何、……山?」


 悠里が指さす先に視線を向けると、緑の三角形が見えた。

「そう山だ。私たちが向かっている山の山頂だな」

「山頂―――ええぇアレが⁉」

 千草の驚愕の悲鳴を上げた。その後ろで巧を大きく目を見開いていた。


 天と地獄の九合目。

 五合目までは樹林帯が訪れた者に嫌がおうにも異界を感じさせる。

 五合目から八合目までは、それまでの異界から解き放たれ、山の壮観さを見せつける。

 そして、そのまま山頂へ―――そうは問屋が卸さない。

 九合目にして最後の難関。急登が待ち構えていた。


 緩んでいた気持ちを再度引き締めさせる。そして、それを乗り越えた先に最後の絶景が登頂者を迎えてくれるのだ。


「ほら、あともう少しだ。元気出していくぞ」


 悠里が今までよりも大きな声で後ろを振り返りながら声をかける。

 その声は人を元気づける力があった。

 悠里自身が今を楽しんでいる。それが言葉に乗って周りに伝わるのだ。

「よっしゃ~。やるぞ―――」

 千草も気力を沸かして山頂に視線を向ける。

 巧も足に力を籠める。

 彩はニコニコしながら、自撮り棒で撮影に余念がない。


「「「「着いたぁぁぁ――――――」」」」


 色付き始めた山稜を見下ろし、いつもより近い雲を見つめ、遠くの青い水平線に目を凝らす。


 思いのほか広々とした山頂からの景色を眺め、四人は視線を合わせ自然とタッチを交わした。

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