第18話 再ファーストダイブ

「で、何があったんだ?」

 

 普段率先して騒がしい悠里と千草二人が静か。彩も何やら思うところがあるらしく口を開かない。

 巧も船が陸に戻るまでは様子を見ていた。もしかしたらその間に普段の調子を取り戻すかもしれないと。

 しかし、船を降りた後も漂うどんより曇り空の様な空気。

 田中さんや日之西さんが気を使って何か色々言っていたが、頭に入って来なかった。


 そんな状況の中でも、幼馴染なだけあって巧がズバッと直球で聞いた。

 ビクッ

 千草の方が微かに震える。

「……」

 言葉が出てこない

「ちぃちゃん……」

 今も傍らに寄り添っている悠里が呟いた。

 その顔には後悔が浮かぶ。

「ちぃちゃんゴメン。私自分がしたいことばっかりで、みんなのこと全然考えてなかった」

 普段の快活さは鳴りを潜め、どんより空気に湿り気を交わらせながら悠里がポツポツ語り出した。

「私のお父さん探検家だったんだよ。いつも世界中飛び回ってて、たまに帰ってきても新しく見つかった洞窟の調査とか。家に居着くってことがない人だった。子供の頃はどうしてウチはお父さんが家にいないのか不思議に思ってた。多分寂しかったんだと思う。でも、たまに会うお父さんはいつも凄く楽しそうに冒険の話をしてくれたんだ。だから、私はこのサークルを作ることを決めたんだ。気の合う仲間と色々な体験、探検をして、お父さんが家族と離れても探し求めていた夢みたいなものが分かるんじゃないかって」

 一息付く――そして意を決したように声を絞り出した。

「だから、私の我儘なんだよ。本当はみんなにも――ちぃちゃんにも楽しんでもらいたかったんだけど……。無理させてたんだね、ゴメン。――もし、ちぃちゃんが嫌だったら、もうこんな思いしたくないって思うんだったら【イング】辞めてもいいんだよ」


 どれ程の思いがその言葉に込められていたのだろう。

 葛藤、失望、諦め、後悔、哀しみ。

 負の感情は、正の感情と違い際限なく降り積もっていく。

 悠里の小さな胸は今どれ程締め付けられているのだろうか。

 そして、それは巧や彩――千草にも言えた。

 今の言葉は爆弾だった。

 決して言ってはいけなかった。

 どんなに苦しくても、胸の内に秘めておくべきものであった。


 巧や彩の顔にも悲しみや後悔の色が浮かぶ。


「そ、それは違うっ」


 上がった声は慟哭にも似た叫び声――というには声が掠れていたが、確かな意志を持って発せられた言葉だった。

「――ちぃちゃん?」

 まだ泣き出しそうに肩を震わせているが、それでも力強い声で言葉を紡いでいく。

「わ、私は悠里の夢に付き合ってるんじゃない。そりゃ最初はあんまり乗り気じゃなかったけど……。今は違う。私独りじゃ知る事見ることが出来ない世界を悠里は見せてくれるし、教えてくれる。私はその楽しさを知っちゃったから。だから、悠里の夢の道は私の冒険の道なの。だから、そんな理由で誤らないで。そんな理由で私の居場所を奪わなで。私の気持ちを勝手に決めないでっ。他人事じゃなくて、自分事で私はこのサークルにいる。私はちゃんと【イング】の成瀬千草になりたいの」

「ちぃちゃん……」

「こら、ウチ等の完敗やな」

 悠里が茫然と呟き、彩が泣き笑い顔で悠里に寄り添う。巧も驚いた表情で事の成り行きを見守っていた。

「そっか……そうかっ―――ちぃちゃんありがとう」

 そして、いつも通り。いやそれ以上の笑顔で涙を浮かべながら悠里が千草に笑いかけた。


 曇り空は後には必ず空は晴れわたる。

「もう大丈夫そうだね」

 準備があると姿を消していた田中さんが戻ってきた。

「その節はお騒がせしましたっ」

 四人の顔を見て、田中さんが嬉しそうに破顔し、千草が九十度の綺麗なお辞儀をした。

「ちぃちゃんそれだと何か凄い前の事みたい」

「あれ? えっと……じゃあ、お世話になりました? あれ?」

 正しい返答が分からなくなり首を捻る千草の様子に一同は「あはははっ」と声を揃えて笑った。


「さあさあっ。何はともあれまずは腹ごしらえだ!」

 ひとしきり笑った後、田中さんが言った。

 船の片づけを終えた日之西さんがいつの間にか合流しており、これまたいつの間にか田中さんの持って来たバーベキューセットを完璧にセッティングしていた。

 正に黒子、縁の下の力持ち、一家に一人欲しい痒いところに手が届く人材だ。


 燃え盛る炎。

 撒きあがる火の粉。

 熱された網の上で踊り狂う魚介たち。

「待ってましたぁ~」

 普段おっとりとした彩が消えた――と思ったら、すでに日之西さんから紙皿と割り箸を受け取っていた。

「あっ 待てよ彩ッ。ほらちぃちゃんも行こう。食べるモノなくなっちまうぞ」

 悠里とそれに引っ張られた千草が後に続く。巧もやれやれ肩すくめながら駆けだした。

【イング】にとって食とは戦いなのである。


 田中さんたが用意してくれたバーベキューは外御飯効果もあっただろうが、それを差し置いても絶品であった。

 聞くと今朝上がったばかりの魚介らしい。新鮮と言うのはそれだけで最高のスパイスになるようだ。一番最後まで食べていた彩が満足したところで、少しの食休め。

「いや~、ここ選らんで正解やったわぁ。他とはご飯に対する力の入れようが違うわぁ」

 みんなで浅瀬を散歩していると、満足げな彩が呟いた。

「おい、まさかそんな理由でショップ選んだわけじゃないよな?」

【イング】旅行プランナーの彩の突然の発言に巧が呆れた視線を向けた。

「もちろんちゃうよ~。ちゃんと体験ダイビングの内容を第一に、あとは費用と相談して、そこから食事の美味しそうなところもってちゃんと考えてますぅ」

「お、おう。それは、ありがとう」

「へへ~。どういたしまして」

 その近くですっかり生き物捜索にはまった千草と悠里が、手近な石をひっくり返したりして水の中を覗き込んでいた。


 休憩を終えた一同は、心機一転再び船で沖へ。

 ポイントにつくと、再度田中さんと日之西さんが各々の装備を確認。

 悠里が彩が巧が、躊躇いなくバックロール。


 ゴクリ

  

 船の上から見る海は際程と同様に綺麗だった。

 透明度の高い澄んだ青色が、降り注ぐ太陽光で煌めいている。

 一面の青海原。

 

 千草もみんなに続く。

 一時の浮遊感の大きな水しぶきを上げ後着水。

 煌めく泡が視界を覆う。

 次いで現れたのは――正に別世界。

 海面真下の水中は、同様に――いやそれ以上に美しかった。

 

 一瞬の内に見えたのは、色とりどりの小魚に、その周りを遊泳する大魚。

 肩の力が抜けた今、視界は明るい。

 改めて感じる透明度。

 深い蒼を携えた海は、広かった。


 一回目のダイビングポイントと異なり、今度はゴツゴツした場所が多い。

 眼下には巨大なサンゴ礁。

 その周囲を遊泳する色とりどりの小魚と、時折現れる我が物顔でゆったり泳ぐ大型の魚。

 一度目と同様一人ずつ順番に田中さんと潜行していく。

 自分の番が来ると次第には余る鼓動。

 胸に手を当て、大きく深呼吸する。

「ちぃちゃん、頑張ってッ。私もすぐ行くからさ」

 悠里が肩に手を置き、親指を立てる。

「うんッ」

 周りを見ればみんながいる。

 ドキドキと鼓動が速い。

 しかし、呼吸は深く、視界も広い。

 冒険――千草の心は未知に高鳴っていた。

 独りじゃない。この広大な世界でそれはどれ程の安心感か。

 恐怖はない、と言えば噓になるが、薄れた。

 ――潜れる。

 田中さんに合図をし、潜行する。

 途端に広がる『蒼』。暗くない。それは陽光に照らされて煌めく宝石のようで。

 雲間から降り注ぐ光の帯の様に、深い蒼の合間を太陽光が照らし、それに煌めく魚群。

 先程と同じ海とは思えなかった。

 心の持ちようで見える世界はこうも姿を変えるのか。

 感嘆に目を見開きながら、千草は海の底へ。

 その後、悠里も問題なく合流し、いざ冒険へ。


 千草の左右には巧や彩、それに悠里もいる。顔を向ければ視線が重なり頷きあう。

 シュノーケリングと同様に田中さんは自由に散策させてくれた。

 サンゴ礁に近づいても、その周囲を漂う魚たちは逃げるそぶりはない。

 ダイビングスポットなだけに人慣れしているのかもしれない。

 千草はそっと目の前に来た黄色い魚に手を差し出してみた。一瞬逃げるようなそぶりを見せたが、すぐに落ち着きその場をゆったり泳ぎ出した。

 その後も魚たちに合わせてゆったり泳ぎながら、海の世界を堪能した。

 一番の大物は、田中さんが発見したウツボと千草が見つけた海亀であった。

 ウツボは岩の隙間から顔を覗かせ、鋭い歯が並ぶ口を開け閉めする様子はまさに海のギャングその者で、ウミガメは岩の隙間で眠っており、コレはコレで貴重な体験であった。


「おかえりー。どうだった?」

 田中さんの合図で船に戻ると、日之西さんが笑顔で迎えてくれた。

「凄かったですよっ。もぉサイコー」

 ゴーグルを外しながら、悠里が満面の笑みで答えた。

「サンゴ礁なんてテレビとかで見るよりずっと大迫力!」

 悠里が身振り手振りで興奮を伝える。

「何か見たことない魚も結構いました。亜熱帯の魚の三分の一が生息してるって話も納得です」

「ウツボもおったしなぁ。あれこっちの方だと食べるらしいで――じゅる」

「えっ アレを⁉」

 冷静クールに興奮を伝える巧と、お昼ご飯を食べたばかりだが、ウツボの魚影を思い出し涎を垂らす彩発言に驚愕する千草。

「それに海亀が寝てるとこ何て初めて見たな」

「確かに。アレはファインプレーやったでちぃちゃん」

「はははっ、たまたまだよ」

「はははっ。そうでしょ。柏島は最高なんだよ」

 口々に感想を言い合う四人を見て日之西さんも嬉しそうに笑っていた。


 

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