第17話 恐怖のファーストダイブ

 ダイビングの準備を終え、酸素ボンベを背負い、ウエイトも装備した一同。

 最後の説明を聞き、今まさに大きな水しぶきを上げ悠里が海にエントリーした。


「な、な、何故にそんな恐ろしい方法を?」


 悠里が海に入った後、千草は驚愕のあまり後ずさろうとしたが、酸素ボンベを背負っていたため思うように動けずガクッと態勢を崩した。

「おっと。大丈夫?」

 すかさず日之西さんが支えてくれた。

 田中さんは先に海に入っており、飛び込んだ悠里の指導をしていた。

「さっきのはバックロールって言って、ボートエントリーする時は大体みんなコレかな」

「ま、前からじゃ、ダメなのでしょうか?」

「ん~ ダメってことはないけど、さっきボンベの重さで態勢が崩れたでしょ? やっぱり重いボンベや機材を付けてるから後ろ向きに入った方が楽なんだよ。それに後ろ向きで入ってもウェットスーツの浮力ですぐに浮かび上がるしね」

「な、なるほど。……ゴクリ」

 日之西さんの説明に一応納得し、恐る恐る海を覗き込む千草。

 透明度は抜群。例え勢いのまま落ちたとしても海底にぶつかる事はないだろう。


「じゃ、お先」

「ほな、待ってるで~」


 千草が躊躇っていると、巧と彩が先にエントリーしてしまった。

 まったくもって怖いもの知らずの冒険野郎どもだ。

「大丈夫? 梯子も使えるよ?」

 千草の様子に日之西さんが船の後方を指さした。が、

「だ、大丈夫、です」

 虚勢だが、力強く、崩れた笑みを浮かべて親指を立てた千草に、

「そっか。じゃ、行っておいで」

「――はいっ」

 船べりに後ろ向きに座り、マスクとレギュレーターを押さえて、あとは後転。

 重力に引っ張られて落下。

 すぐに着水。

 広がる水泡。

 一瞬で奪われる視界。

 衝撃に一瞬目を閉じる。

 身体が包み込まれる感覚。

 上下方向の感覚の消失。

 その一瞬後に来る浮遊感と浮上。

「シュコーッ」

 海面から顔を出した千草は慌てて周囲を見わたした。レギュレーターを口から離さなかったのは奇跡だろう。

「やるね~ちぃちゃん」

「気持ちええな」

「大丈夫かお前?」

 相変わらずの三者三葉の言葉に千草は親指を立てて答える。

 まだ心臓がバクバクと暴れ回っている。

 これが生身――ゲームでは体験できないリアルな感覚。

 恐怖と爽快感と快感。不安と興奮。色々の感情がせめぎ合い、混ざり合う初めての感覚だ。

「よーし。じゃあ、ゆっくりでいいからみんなこっちに集まって」

 田中さんに呼ばれ足を動かす。シュノーケリングの時も思ったが、フィンとは何と泳ぎやすい道具なのだろうか。魚にヒレがあるのも納得だ。


「みんな集まったね。それじゃあ今からこのロープを伝って潜っていきます。一人ずつ僕と一緒に潜っていくから、合図する度に耳抜きをして下さい。上手く出来ない時は焦らなくていいから合図して教えてくださいね。下まで潜ったら僕は一旦上に上がって次の人と一緒にまた降りて来るので、全員が揃うまでは先に潜った人たちはロープを掴んでその場で待機していて下さい」

「「「「はい」」」」

 安全面の話の為か、田中さんの口調から砕けた調子が消えていた。

 暫しの話し合いの結果、潜る順番は巧、彩、千草、悠里の順となった。

「よし、じゃあ行こうか」

「はい」

 巧の返事と共に、二人が水中に消えた。

 顔を水面につけて様子を覗く一同。

 二人は時折、下降を停止して何かやり取りしていた。きっと耳抜きの合図だろう。

 一分弱ほどで巧は下まで辿り着き、田中さんが一人浮上してきた。

「お待たせ。じゃあ次は宗兼さん行こうか」

「は~い」

 相変わらず気の抜けたような返事で、彩が潜行していく。

 その様子を見ていた悠里がふとあることに気付いた。

「どうした、ちぃちゃん?」

 先程まで一緒にはしゃいでいたはずの千草の様子がおかしい。

「え、あ、うん。何ていうか……海って深いんだね」

「そりゃね?」

 千草の曖昧な返事に悠里も首を傾げる。


「ちぃちゃんもしかして——―」


 ソワソワとどこか落ち着きがない千草に様子に、悠里が何かに気が付いたように口を開いた。

「お待たせ」

 が、その先は田中さんの登場で途切れてしまった。

「ん? どうかしたの」

 二人の微妙な様子を感じ取って田中さんが首を傾げた。

「あ、えっと、何でもないですっ」

 そして、悠里が田中さんに答えるより早く千草が笑顔で遮った。

「そうかい?」

 いきなりの千草の大きな返事に、それはそれで田中さんが首を傾げる。

「えっと、じゃあ次は成瀬さんの番だったね」

 どこか腑に落ちない様子の田中さんであったが、下にいる巧たちを気にしてか、千草に潜る合図をする。

 千草がゆっくりとロープに向かって移動する。

 

 ロープを掴む。

 対面には田中さん。

 フッフッフと早まる呼吸。

「落ち着いてからでいいよ。ゆっくり行こう」

 優しい声かけが、しかし、今は耳に入らない。

 視線はどこまでも深い蒼に吸い込まれていく。

 意志とは反して身体は動く。

 頷いた千草を見て、田中さんがゆっくり潜行を始める。

 意を決して、顔を水に。

『ゴワッ』とした音と泡に包まれた次の瞬間――千草の世界は暗くなった。

 あんなに高い透明度の海――しかし、底を見つめるとこちらを見返してくるのは闇。


 はっはっは


 田中さんが何か言っている様だが、耳に水が入ったみたいに何も聞こえない。

 痛ッ

 突然鋭く耳の奥が痛み始めた。

 痛い痛い痛い痛い痛い

 訳が分からず目をきつく閉じ、耳を押さえる。

 バランスを崩した。態勢が保てない。

 慌てて目を開けるが、上下左右が分からない。

 海面はどこ⁉

 空気は⁉

 パニックだった。

 出鱈目に手足を動かす。荒く呼吸する度に大量の泡が世界を満たす。


 ガッ!


 突然力強い何かに身体を掴まれた。

「ッ成瀬さん落ち着いて!」

 千草の身体を支えたまま田中さんが叫んだ。

「ちぃちゃん⁉」

 突然の事に悠里も慌て泳ぎよる。

「日之西さん一旦中止! 成瀬さんをお願いします」

「了解!」

 田中さんにマスクとレギュレーターを外され、何とか暴れることはなくなった千草だったが、日之西さんに支えられ船に上がる時も、その身体が震えていた。


 その後田中さんと一緒に船に戻ってきた巧と彩を連れて、一旦陸に戻る事となった。


 その間、震えは落ち着いたが体育座りで下を向く千草に誰も声を掛けれなかった。  

 只、両脇から悠里と彩がその小さな肩を支えるように手を添えていた。

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る