第11話 美観地区⑤
時刻は午後三時半。
少し前まではあと一、二時間もすれば日が傾き始めていたが、現在は『まだ元気っ』とばかりに陽光が世界を照らしている。
「はぁ~ 食べた食べた」
美観地区で酷使しているお腹を擦りながら悠里が言った。その立ち振る舞いは完全におじさんのソレである。
「そやね。ちょうどいい塩梅やな」
彩が同意してるのかよく分からない返事をした。
「甘いモノならまだいけますっ」
先程悠里たちに言われた言葉の為か、妙にやる気満々といった様子の千草。
「流石にそろそろ食休めだろ……」
これまた初めて見る千草の様子に(こんなに食べるとは知らなかった)若干引きつつ巧が言った。
「そうだな……。あ、それなら少し歩くけど良いところがあるぜ」
巧の言葉に暫し思案した悠里が、良い笑顔でそう言った。
そして、再び悠里の案内で訪れたのは、これまで見て回ったお店とは一線を画す場所であった。
『いがらしゆみこ美術館』
何故か少し急かされた一同にとっては、ここまでの道のりがすでに十分な食休めになってしまった。
「いがらしゆみこって、誰だ?」
これまでの美観地区の様子とは少し異なり、白に赤が映える建物を見て巧が首を傾げた。
千草が知らなければ巧が知るわハズがない。聞いた方も聞かれた方も一様に首を傾げる。
「何だお前らマンガ読まないのか?」
やれやれといった感じで悠里が肩をすくめた。
「いや、それなりには読むけど――お前の言ってるマンガがその絵みたいなのって事なら、まぁ確かに読まないな」
そう言った巧の視線の先には、美術館の正面玄関に飾られている一つのパネル絵があった。
確かにどう見ても巧が見るマンガではなさそうだ。
マンガと言えば千草だが、それでも守備範囲には入っていないタッチの画であった。
何故なら
「キラキラ、だね?」
一応女子である千草の目から見ても、それはキラキラで何かピンクだった。
所謂、少女マンガ。
それも一つ二つ前の世代に流行っていたであろうタッチで描かれていた。
「ははは、そうだね。まぁ二人が知ってたら知ってたで逆にビックリしたけどさ」
予想通りと悠里が笑う。
「いや、逆にお前らこんな古そうなマンガ読んだことあるのか?」
間接キスで赤面する悠里が、少女マンガを読むところは想像できないが、一応お嬢様の彩は読んでいても不思議はない、か――ないか?
「何言ってんだ? 読んだこと何てある訳ないだろう」
「そうやで巧君。刊行されたのだって、ウチ等の親――ううん。おばあちゃん世代やで。一体ウチ等をいくつだと思っとるんよ」
何故か怒られる巧。
「やかまし」
そして調子に乗った二人に巧のチョップが炸裂した。
「「あいたっ」」
巧みも段々二人の扱いが千草と同等になってきている。
「そう言えば、急いでたんじゃなかったの?」
そんな歓談? をしていると思い出したように千草がいった。
「あ、やべっ」
その言葉で時刻を確認した悠里が、慌て出した。
「おい、早く入館するぞっ」
「? 何慌ててんだよ。閉館まではまだ時間あるぞ」
その様子に巧が看板を見ながら首を傾げた。
看板には、最終入館時間十六時半 閉館時間十七時と記載があった。
現在の時刻は午後四時。
作品を知っている人なら少々心もとない時間であるが、千草たちには十分な時間であった。何せあの大原美術館でさえ小一時間程で回ったのだから。
「違うんだよっ。ここは色んな体験が出来るんだけど、その受付終了が四時半までなんだよ」
なるほど。ちゃんと目的があったようだ。
しかし、少女マンガの美術館で出来る体験とは一体?
首を傾げる千草と巧を引き連れながら、受付に向かう悠里。
その後ろで彩が悪い笑みを浮かべていた。
「いーーーやーーーだーーーー」
そして現在。
聞いた事がない悲鳴が館内に響き渡っていた。
「コラ巧、他の人に迷惑だろ」
「堪忍しぃや」
「そうだよ巧。大原美術館で美術館のマナー彩ちゃんに教えてもらったでしょ。もう忘れたの」
呆れた声を出す悠里に、変わらず悪い笑みの彩、そして調子に乗って注意をする千草の前には悲鳴をあげる巧がいた。
なかなか見られない光景ある。
これが千草なら分かる。
悠里で想像は出来る。
彩はまぁ、置いておくとして。
現在両の眼に涙を溜めながら、叫んでいる巧。その場から逃げようと藻(も)掻(が)いているが、両脇を係の人にホールドルされ、それも叶わない。
「じゃ、よろしくお願いしまーす」
それまでポーカーフェースを保っていた悠里も、今では彩と同じ悪い笑みを浮かべて係の人に言った。
「任せてくださいっ」
「ええ、こんな逸材なかなかいないわっ」
「皆さんも順番にやっていきますからね」
「「「はぁ~い」」」
やる気満々の係の人たちに連行されて行く巧。その顔は悲壮感で満ちていた。
その後。
「ワオっ 思った通り似合うな二人とも」
悠里の前には見事に着飾った千草と彩の姿があった。
お姫様。その一言に尽きる。
千草が青、彩がピンク。どちらもフリルがフリフリのドレス姿。
千草の頭上には花の冠、彩はティアラ。
似通った容姿の二人が並んでいると、双子の令嬢のようであった(片方は本物の令嬢だが)。
「さ、さすがに、恥ずかしいね」
衣装とのコントラストが美しく、顔を赤面させる千草。
「そう? でも、ちぃちゃん良う似合うてるやん」
そう言う彩は特に気にした様子がない。お嬢様だから着なれているというよりは、普段から色々な衣装を着ているためコレもその延長なのだろう。
「そんな事ないよぉ。彩ちゃんこそ流石着なれてるって感じだね」
「まぁ、ウチは普段からコスプレで色んな衣装着てるからなぁ」
普段であれば絶対に着ない衣装を身に着けた千草。これには当然訳がある。
「……お前ら、覚えてろよ」
地獄の底から湧き出てきたような声とともに巧がやって来た―――いや、行く時同様連行されて戻ってきた。
「過去一の出来」
「生涯最高傑作」
巧の両脇を固める係の二人は実に満足そうである。互いに額の汗を拭きながら、良い笑顔を浮かべていた。
「へぇ、これはこれは」
「見違えたで巧君」
「これからずっとその恰好で良いんじゃない?」
項垂れる巧に三者三葉の賞賛が送られた。
「よしっ じゃあ巧の準備も終わった事だし、お待ちかねの写真撮影といきますか!」
「「おお!」」
「……いっそ殺してくれ」
張り切る女性陣に、巧が悲しげな顔で訴えたが見事にスルーされた。
口では文句を言う巧であったが、ここまで来てはもう後戻りできない。身体は連れられるまま撮影スポットを回っていった。
花の壁に、お城の背景、アンティークな小物と一緒に、様々な場所で旅の恥が記録されていく。
「……だいたい、何でお前はその衣装なんだよ」
その移動中。巧が呪ってやるとばかりの視線を悠里に向けた。
そこには黒のタキシードを身に纏った男装の麗人がいた。
「何でってこっちの方が似合うから決まってるだろ?」
何を今さらとばかりに首を傾げる悠里。
「それなら俺もそっちの衣装だろうがっ」
これには巧も噛みついた。似合う似合わないで言えば、男の自分はこんなフリフリのドレスより、タキシードを着こなす自信があるとばかりに。
「何言ってんだ?」
しかし、何故か再び首を傾げる悠里。
疑問に思った巧は、悠里が「ん」っと顎で指した方に視線を向けた。
そこには人だかりが出来ていた。
閉館前だというのに凄い人だなっと、現実から目を背ける巧。
しかし、現実はそれを許してはくれなかった。
「あ、あの、良かったら写真撮らせてもらってもいいですか?」
人だかりの中の一人が、巧と悠里に声を掛けてきた。
「……え?」
巧の思考がフリーズする。
そして、それを見逃す悠里ではなかった。
「もちろんですよ。さ、コレはその衣装には似合わないのでお預かりします」
「あ、コラ」
悠里がサッと巧の顔から眼鏡を外し、自分で掛けた。
「おわ⁉ 巧お前目悪いんだな。全然見えないわコレ」
「当たり前だろ。いいから返せよ」
「まぁまぁ。世の中よく見えない方が良い事もあるんだぜ」
「……そもそもこんなカッコさせられなきゃ見ることもなかったんだけどな」
「ははははは」
巧の呟くは悠里に笑って流された。
そして、サッと巧の前に片膝を立てて跪き、片手をそっと出してきた。
「キャーーー」
これには、それまで遠巻きに見ていただけだった観衆のボルテージも急上昇である。
最早後に引けなくなってしまった巧は、
「ア、アリガトウゴザイマス」
硬い表情と、片言の言葉を引き連れて流れに身を任せるほかなかった。
「いや~楽しかったな」
「ああああああああああ」
「恥ずかしかったけど、あんな体験したことなかったから。イイねああ言うのも」
「ああああああああああああ」
「お、それなら今度ウチと一緒にコスプレしてみぃひん?」
「それは―――考えとく」
「ホンマ? 絶対やで」
「ああああああああああああああああああああああああ」
楽しそうに話をする女子メンバーの間に呪詛が混じっている。
「何だよ巧、さっきから煩い。何かあったのかよ?」
三人の後方をゾンビのように付いて来ていた巧を振り返り悠里が言った。
「どの口が言いやがるッ」
その言葉にバッと反応し詰め寄る巧。
「何だよ、楽しかったんだから良いだろ?」
それを両手で突き放しながら悠里が言った。
「お前らがなっ 俺が楽しんでるように見えたか⁉」
あまりの勢いで詰め寄って来る巧に悠里が降参した。
「あ~分かった分かった。悪かったって。でも、大人気だったじゃん」
「お前もなっ」
そう。あの後集まった他の観光客に頼まれて写真撮影会が急遽執り行われた。
「コスプレイベントみたいや」その光景を見た彩の弁である。
「それに、ちぃちゃんだってあんなに嬉しそうだし」
千草と彩は先程彩のスマホで撮った写真を見て楽しそうに話していた。
「うぅ それはまぁ、良かったけど」
千草(子供)の様子に閉口せざる負えない巧(保護者)であった。
「だろ?」
千草を出汁にされると弱い巧である。悠里も二人の扱い方が分かってきている。
「あ! この写真後で送って」
「ふふ エエよ。他の今日撮った写真も全部グループラインのアルバムに入れとくから」
「わあ、ありがとう彩ちゃん」
楽しそうに話す二人に近寄り、巧もスマホの画面をのぞき込んだ。
「……お前その写真どうする気だ?」
「え? 待ち受けにしようと思って」
「……頼むからやめてくれ」
千草の言葉に、ガクッと崩れ落ちた巧。
彩のスマホには、新郎新婦のように並んで立つ悠里と巧。その両脇を祝福するように千草と彩が笑いながら立っている写真が映し出されていた。
「まぁ、機嫌直せよ巧。晩御飯もウマいところ連れて行ってやるからさ」
「それで機嫌が直るのは残り二人だけだからな」
「あり?」
「たくっ お前の奢りだからな」
「え、ちょ、待って――おい、待てよ巧っ」
何だかんだでせっかく楽しかった観光である。いつまでも機嫌を損ねたままではもったいない。何より計画を立ててくれた悠里と彩(二人)に悪い。焦る悠里をおいて、巧も楽しそうに進んで行く。
その後ライトアップが始まった川沿いを歩きながら、回れていなかった店舗を見て回った。日中は主に飲食店を回っていたため、お土産ショップなどを中心に。
時間も時間の為、それぞれバラけて日中に目星を付けていたお店に買い物に行った。
沢山歩くため買い物は最後にしようと初めに彩が提案した為である。
小一時間程買い物を楽しんだ四人は美観地区の入り口に集合した。
「よしっ 思い残すことはないか?」
「オッケーやで」
「楽しかったっ」
「いや、いつでも来られるからな?」
やはり三者三葉の返事に、満足そうに頷いた悠里を先頭に美観地区を後にする。
「ところで悠里。晩御飯はどうするん?」
『イング』の食事担当事彩が聞いた。
「そう言えば、さっきウマいところに連れて行ってくれるって言ってたよな」
彩の言葉に巧も思い出したように前を歩く悠里に視線を向けた。
「ん? ああ、もうすぐ着くぞ――ほら、ここだ」
【みそかつ 梅の木】
看板にはそう書かれていた。
「岡山と言えばやっぱり味噌カツだろって事で、今日の晩御飯はここだ」
両手に買い物袋をぶら下げ、その手を腰に当てながら、いい笑顔で悠里が言った。
「嫌がらせか?」
「何故に⁉」
巧の呟きに驚愕と疑問の表情を見せる悠里。
渋い顔をしたままその後何も言わない巧に変わって千草が口を開いた。
「えっと――巧の実家の神社の名前が梅ノ木天神だから」
「マジかよ? てか、知らねぇよ! たまたまだよ」
「まぁ、そりゃそうだ。早く入ろうぜ」
「何だよ。お前が言い出したんだろ」
「悪かったって。奢りはいいから忘れてくれ」
「お、マジか。オッケーオッケー。ここの味噌カツは特別だからウマいぞ」
「そいつは楽しみだ」
楽し気な会話をしながら店に入って行く巧と悠里。続く千草であったが、ふと彩がいない事に気が付き振り返った。
「あ、彩ちゃん? どうしたの」
そこには普段見せている笑顔を消し、少し悲し気な表情を見せる彩がいた。その表情にドキッとして、恐る恐る千草が聞いた。
「あ、ううん。何でもあらへんよ。あ~お腹空いた。ちぃちゃんもはよ入ろ?」
千草の言葉にハッと我に返った彩は、いつの間にか普段通りの笑顔をその顔に浮かべていた。
どう反応していいか分からない千草は手を引かれるままお店のドアをくぐった。
名物だという味噌カツ。
悠里に勧められるまま頼んだそれを、巧たちは美味しそうに食べていたが、先程の彩の様子が気にかかり味がしなかった千草であった。
※
その後、食事を終え、電車で中庄駅まで戻った三人(彩は岡山までなので、中庄駅で別れた)。
駅裏に住む悠里とも別れ、千草と巧は夜道を歩いていた。
地球温暖化が騒がれて久しいが、五月初旬の夜風は火照った身体に心地よい。
中庄は大学を中心に発展した街なので夜でも比較的人通りがあるのだが、ゴールデンウィークのこの日はみな帰省や旅行に行っているのだろう。この一ヶ月ほどで見慣れたハズの街並みが、知らない場所のように感じられた。
「ふぅ~ こんなに歩いたの久しぶり。疲れた~」
表情は見えないが、その声音から今日の観光が楽しかった事が伺えた。
「良かったな」
楽し気に少し前を歩く千草を巧が微笑みながら見つめる。
横断歩道の前で赤信号に足を止めた千草が呟いた。
横に並んだ巧からは、その表情は伺い知れなかったが、
「ありがとう」
「何だよ急に」
ゲームをしている時に見せる笑顔とは別の笑顔でそう言った千草に、巧は照れたように頭を掻いた。
夜の闇は表情を隠し、その分心の内を
「巧がいてくれたから悠里や彩ちゃんに出会えたし【イング】にも入れた。私の大学生活がこんなにアウトドアな充実感に満たされたのは巧のお陰だから」
「いや、あの二人に会ったのは千草が先だし、俺がいなかったら最初の勧誘の時点で無理矢理加入させられてたんじゃないか」
千草の感謝の言葉に巧が事実を淡々と告げた。
「……巧、ひょっとして照れてる?」
暗がりなのにそっぽを向いて話す巧の様子に、千草がニヤニヤと詰め寄る。
「あーもう! うるせぇなっ」
「あははは! 巧も可愛いとこあるじゃん」
「うるせぇ! だいだいお前がキャラでもないこと言い出すからだろ」
「ゴメンゴメンって」
巧の肩を叩きながら謝る千草だが、それでも
「言っときたいと思ったんだ。これからもっも今までしてこなかった景色や体験に出会うと思う。だけど、今日感動を忘れないように、ねっ」
「千草、変わったなお前」
その様子に巧が優しく微笑んだ――が、
「ででででも、今日はもう疲れたから、おんぶして下さいぃぃぃ」
信号が変わると同時に千草が、いつもの千草に元通り。
足をワナワナ震わせて、生まれたての小鹿状態。
「台無しじゃねぇか」
今日一日気を張っていたため、限界がきた様子。
「まったく、しまらねぇな」
笑いながら溜息をついた巧は、『しょうがねぇな』と背中を差し出した。
千草への過干渉を禁止されている巧であったが、このぐらいなら良いだろうと、夜空を見上げて別れたばかりの友人の嬉しそうな顔を思い浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます