第14話 いざ、海を制しに

「うわあぁぁ 海だ!」


 車の後部座席の窓から体を乗り出して千草が叫んだ。

 インドア派でも広大な海を見れば身体の底から湧き上がってくる感情があるようだ。

「おいおい、これくらいで感動してたら三海の覇王の名が泣くぜ?」

 そんな千草の様子に、呆れたようなセリフを言う悠里の口調や顔もいつもより楽しげだ。

「あんまり乗り出すと落ちるぞっ⁉」

 一方、浮かれた千草が上半身の大半を車外に覗かせていたため、巧が慌てて服を引っ張り車内に引き戻した。

「ぶぅぅ、ケチ。子供じゃないんだから落ちる訳ないじゃん」

「アホか。見た目と行動が子供な奴が何言ってんだ」

「何を⁉」

 巧の失言に、千草が涙目で襲い掛かった。

「おいっ 止めろ。ただでさえ荷物が一杯で狭いんだから」

「あはははっ ゴメンなぁ。ウチが使える車今これしかなくて」

 二人のじゃれ合い? をバックミラー越しに見ていた彩が、こちらも楽しそうに謝罪のセリフを口にした。

「いや、それは助かってる。移動費が浮いたのは正直かなりデカい。……金稼いでない分際で何言ってんだって感じだけど」

「だーかーらー。それは問題ないって言っただろ」


 倉敷観光で思いのほか散財してしまった千草と巧が旅費の工面で頭を悩ませていると、悠里と彩が『イング流の旅費の稼ぎ方を教えてやる』と連れ回される事あれやこれや。

 

 おかげでどうにか旅費は工面できたのだが、その過程に納得のいっていない巧は事あるごとに申し訳なさそうにしている。

 今も自嘲気味笑う巧を、すかさず悠里が訂正する。

「今回はたまたま上手い事稼げただけで、稼げなかったら稼げなかったで他の手もあったんだ。今後もしかしたら巧しか稼げない時もあるかもしれないんだから、そこは持ちつ持たれつだろ――それに、楽しむことが一番の目的なんだ。何だかんだ言いつつ、いつも本気でやってくれる巧がいるから私たちも楽しいんだよ」

 そう言いながらニコッと笑う悠里。

「――そうか、そうだな。分かった」

 良い話の中、巧はずっと暴れる千草を片手で押さえつけていた。

「だが、まあ。移動費が削減されたのも事実だ。彩は我ら苦学生には神のような存在だ――旅行の間だけ彩様って呼ぼうか?」

「アホかっ いらんわ!」

「あはははっ 冗談だって」

「それだと、我が儘なお嬢様に振り回される使用人のプチ旅行みたいだね」

「おおっ 確かに」

「何でお嬢様が運転して、使用人がお菓子食ってんだよ」

 巧を襲う事に飽きた千草がいつの間にか取り出したお菓子を一緒に摘まみながら巧が言った。

「もぉぉ やめて~~~」

 普段からかわれ慣れていない彩の悲鳴が車の中に響いた。


 時は夏休み。

 天気は快晴。

 イング一同は、彩の運転で高知県は柏島に向かっていた。


「青い空、青い海、サークル仲間。ビバ☆青春! ビバ☆陽キャ‼」

 と、はしゃぐ千草――という事はもちろんなく。

 冒頭の千草は千草の脳内変換妄想で補ったものである。

 当の千草本人はと言うと、

「……」

 後部座席の隅で小さくなっていた。

 道中は車内アニソン大会や、イントロクイズなどで盛り上ったが、いざ海辺で遊ぶ人々を目の当たりにしたことで現実に引き戻されてしまったようだ。


 即ち、

「いいい、イキってすみません。陰キャの私はジメジメした室内でキノコでも育ててるのがお似合いです」

 声も、身体も縮めて呟く千草。

 時折窓から外を覗き見、海水浴客で賑わうビーチを見ては、友達や家族連れ、中にはカップルと思しき人たちが、楽しそうに遊んでいる光景に自分の場違いさを痛感してしまったのだ。

「お前さっきまで『ビバ☆陽キャ』とか言ってなかったか?」

 声に出していないはずの言葉を拾って、巧が突っ込みを入れる。

「スイマセンスイマセン。調子に乗って勘違いしました許して下さいお願いします」

 これはダメなヤツだ。

 巧は一早く悟った。

「わーーー⁉ ちぃちゃん車ん中でキノコ育てんといてぇぇぇ」

 そんな千草の様子をバックミラー越しに伺っていた彩が悲鳴をあげる。

 見ると千草菜園のキノコたちは千草の大きさに反比例して順調に育っていた。

「まぁまぁ、落ち着きなってちぃちゃん。私たちがするのはダイビングなんだからインストラクターさん以外の人が近くにいる事は殆どないはずだよ」

「……ほ、本当?」

 千草が縋るような視線を悠里に向ける。

「もちろん。それに今回のダイビングは【イング】にとって大きな意味を持つ! 理由が分かるかね? 千草隊員、巧隊員」

 悠里が力強く言いながら、後部座席に視線を向けた。

「そりゃ、海のイングって言えばダイビングが王道だしな」

 巧が当然とばかりに答えた。

「違うっ! これが私たちの最初の活動だからだ‼」

 大声で言い切った。

「その年で認知症か? ボルダリングしただろうが」

 その熱を軽くいなしながら巧が言った。

「そうそう。最近物忘れが酷くてのぉ。爺さんや飯はまだか―――ってバカ野郎! 誰が認知症だ」

 悠里がキレイな乗り突っ込みをかました。

「確かにボルダリングもした。アレも陸の制覇に向けては無くてはならない要素だ。だけど私が求める陸海空制覇は大自然の中にあるんだ。故にっボルダリングは序章に過ぎないのだ。本当の意味での【イング】の活動は今回のダイビングから始まるのさ!」

「そうかよ」

「なるほど!」

 悠里の言葉に巧が呆れた様に苦笑いを浮かべ、千草が何か決意したように力強く頷いた。


「ホンマ、晴れて良かったなぁ」

 そんな三人を様子を見ながら彩がニコニコとハンドルを握っりながら、のんびり言った。

「そうだな」

 巧も眩しそうに外を眺めた。

「日頃の行いの賜物だな」

うんうんと腕を組みながら悠里が頷く。

「それならウチのお陰やねぇ」

「はぁ? 私に決まっているだろ」

「またまた~ 冗談が過ぎるで悠里」

 前席でしょうもない言い争いが始まった。

「いや、私かも……」

 先程まで大人しかった千草が、何故か真剣な表情で顎に手をやり呟く。

「……お前らのそのポジティブさには感心するわ」

 呆れ果てた巧の呟きは車内の喧騒に掻き消されていった。


 車は現在柏島新大橋を越えて海岸脇を走行中。

 向かって右手には、太平洋の穏やかな海が広がっていた。

「あの辺凄い海鳥の数だな」

「本当だっ。凄いいっぱい! 何で? アレが普通なのかな?」

 悠里の発言のおかげかすっかり調子を取り戻した千草は悠里が指さす方を見て、窓から身体を乗り出しそうになる。

「ああ、アレは魚の養殖場やね。海鳥はその餌や、場合によっては魚を狙って集まっとるんよ」

 彩が視線だけを動かし、千草の疑問に答えた。

「へぇ! じゃあ、あそこで釣りしたら大量だねッ」

「ハハハっ そうだな。一回はしてみたいな」

 千草のアホっぽい感想に悠里が笑いながら賛同した。

 その傍ら、巧が呆れた視線を千草と悠里に向けていた。

 千草の発言が日に日に可笑しくなるのは、悠里が甘やかすからではないだろうかと。

「みんな疲れとらん? もうすぐ着くからな」

 そんな三人に気遣いの人、彩が目的地が近い事を告げた。

「「やっほーい」」

 千草と悠里お調子者がテンション高く叫び、

「彩こそ大丈夫か? 運転は変われないけど、疲れたら何時でも休憩入れてくれよ」

 気遣いの人、巧が言った。


【イング】メンバーで車の免許を持っているのは彩のみの為、前日に岡山から高知のおよそ二時間。今日は更に高知市から柏島までの三時間弱。合計五時間ほどを一人で運転していた。

「ありがとぉ。でも、大丈夫やで。昨日の高知市内観光で十分英気養えたし、みんなが楽しそうやと長い運転も全然苦にならんかったわ」

 巧の心配を余所に、彩は変わらず笑顔で言った。

 明日に、昨日行った高知の観光名所ひろめ市場では、餃子に刺し身。カレーに唐揚げ。もちろん鰹のタタキもと、いつにも増して凄まじい食欲だった。

 昨日の様子を思い浮かべて苦笑が漏れる巧と、そんな事を知ったことではないかしまし娘たち。彩にとっては全てがプラスだったようだ。人生何がどう転ぶか分からないモノである。


「到着~」

 車から飛び降りた悠里が宣言した。

「ここが今日明日お世話になるダイビングショップ『SEA』だ」

「おお~」

 悠里の言葉に千草がパチパチと拍手をする。

「コラ、遊んでないで荷物下ろせ」

 その横でせっせと車から荷物を下ろしていた巧が手を動かしつつ、口も動かし突っ込みを入れる。

 まったく働き者の身体である。

「ああ、悪い悪い。でもほら、これからダイビングするんだぜっ。テンションあがるのは仕方ないだろ」

「そのダイビングするためにさっさと荷物下ろすんだよ」

「へぇ~い」

 至極もっともな指摘を受けて、悠里と千草も荷物下ろしに加わった。



「すみませーん。予約した宗兼ですぅ」

 四人が体験ダイビングの予約をしたのは、『SEA』。

一見普通の民家で、場所も住宅地の中といった立地。唯一主張しているのは正面入り口壁面にある『SEA』の文字だけだが、レンガ調のモダンな雰囲気は悪くない。


 中に入ると、彩の声を聞き素早く店員さんが出て来てくれた。

「いらっしゃいッ。お待ちしていました。岡山から遠かったでしょう?」

 対応してくれたのは男性の店員さん。年の頃は二十代半ばといったところ。浅黒い肌に、服の上からでも分かる鍛えられた体、そして快活な受け答えと、眩しい笑顔。いかにも海の男といった感じの人であった。

「そうでもなかったですよ。みんなでワイワイ来ましたから」

 一番疲れているはずの彩がそう言うのであれば、他の三人は特に言う事はない。事実楽しい道中であった。

「それは良かった。せっかくのダイビングなのにヤル前から疲れちゃってたらもったいないですからね」

「確かにそうですねぇ」

 彩と店員さんが楽しそうに会話をする。

 その横で、普段は彩と一緒に――何なら一番会話をしそうな人物――悠里は室内を物色していた。

 いや、少し言葉が悪かったかもしれない。

 悠里は室内の色々なモノに興味を示していた。

 特に調度品が多いわけではないが、入ってすぐにあったのは休憩室には、貴重品をしまうロッカーと木調のテーブルと椅子。と至って普通。ゴチャゴチャしてない分落ち着ける空間となっていた。

 壁際に飾られた数冊の海の写真集が唯一ダイビング店らしさを醸し出していた。

「こんなのが見られるんですか⁉」

 悠里がその中の一冊を手に取り、ページをめくっていた。

「そうですね。今日は天気もいいし、きっと似たような景色が見られると思いますよ」

 テンションの高い悠里に店員さんも嬉しそうに答えた。

「おお! マジかッ。楽しみ‼」

「ふふふ。良かったな悠里」

「おう」

 待ちきれないといった悠里の様子に、彩も楽しそうだ。

「では皆さん、初めに手続きをしていただくのでこちらにどうぞ。その後簡単な講義を受けてもらってから海に向かいましょう」

「「「はい」」」


 店員さんは田中と名乗った。

 田中さんに促され、チェックインと契約書のサインを済ませた。

『SEA』は宿泊も可能なのだ。

「園畑さんに宗兼さん、八雲君―――あれ? 予約は四人じゃなかったでしたっけ?」

 契約書を確認しながら田中さが首を傾げた。

「ああ、すみません。四人であってます」

 巧が渋い顔をしながら告げた。悠里と彩も苦笑いである。

「ほら、千草いい加減出てこい」

 首根っこを掴まれ、巧の背後より姿を現したのは、成瀬千草その人である。

「うわ⁉ ビックリしたぁ。え? もしかしてずっと八雲君の後ろにいたの?」

 コクン

 目を丸くする田中さんに全員で頷いた。

「すみません気付かなくて。それじゃあ、コレ書いてもらっていいですか」

 手渡された書類をスバッと奪った千草は、みんな《田中さん》に背を向けて書き出した。

「やれやれ、ちぃちゃんのこのモードも久しぶりに見るな」 

 悠里が頬を掻きながら昔を懐かしむ様に遠い眼をした。

「久しぶりって程前でもないだろうが」

「あれ? そうだっけ」

 巧の突っ込みに素ッ惚けた悠里である。

「僕何か気に障るような事言ったかな?」

 一方田中さんは困り顔だ。

「すいません。なんちゃって人見知りなだけなので。海に入るころには大丈夫だと思うので気にしないでください」

 申し訳なさそうに謝罪する巧。

「そうやな。ちぃちゃんも初めの頃よりはかなり社交的になってきたし。だから、田中さんも敬語使わんでもエエですよ? その方がちぃちゃんも慣れやすいやろうし」

 彩が更にフォローする。

 はて? 社交的とはどのような意味だったか。 

「あ、そうかい。それは助かるよ。やっぱりフレンドリーにいった方がダイビングも楽しめるからね」

「そうですね」

 田中さんと彩が楽しそうに会話する横で、巧が彩に「正気かコイツ?」という視線を向けていた。


「じゃあ、先ずは今日の予定だけど、船で目的のポイントまで行って到着したら海に慣れるために三十分くらいシュノーケリングをします。その後一旦船に戻って、装備をダイビング使用に変更。簡単なレクチャーの後エントリーします。その後一旦港に戻ってお昼休憩。食休めを挟んでからポイントを変えても二回目のエントリーの予定です。でも、天気や波の状態でこの辺は変更有です」

 その後、潜るポイントの特徴や器材の説明、耳抜きの仕方や水中で意思疎通を図るためのハンドシグナルなど、体験ダイビングをするために必要な基礎知識の講義を受けてから着替えに。    

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