第8話 美観地区②

 その後予定通り一時間ほどで鑑賞を終えた四人は次なる目的地に向かっていた。

「どうだ? 少しは小腹が空いてきたか」

 小一時間前に朝食を食べたばかりであるが、普段ごはん派の千草としてはやはりパンでは腹持ちがよくない。一時間歩いた事もあり、確かに小腹が空いてきたかもしれない。

 見た目によらず大食いの彩は当然の様に縦に首を振っていた。巧は『まぁ』と同意のニュアンスの返答であった。

「よしっ。じゃあ次は昼食前のおやつタイムといきますか」

「おやつ⁉」

 悠里の言葉に千草が過剰に反応した。

「ちいちゃんは期待通りの反応してくれるから案内しがいがあるよ」

 満足そうに頷く悠里に案内されたのは、大原美術館から五十メートル程歩いたところにあるカフェ『くらしき桃子 総本店』であった。


 外観は美観地区に合った白壁で見事に周囲の空間に溶け込んでいた。そして、カフェにも関わらず充実したお土産コーナーもあり、食事と買い物が一緒に楽しめる店内になっていた。

「ここはもう美観地区の顔って言ってもいいくらいの有名店で、色んなフルーツを使ったパフェが絶品なんよ」

 先頭の悠里でなく、彩が力強く教えてくれた。

 先程の大原美術館とは違い、悠里の表情も晴れやかだ。まぁ、彼女の顔は常に晴れやかなのだが。


「迷う‼」


 テーブルに案内され、メニュー表を一通り眺めた後の千草の言葉である。

 彩に次いでの食いしん坊であり、特に甘いモノに目がない千草にとってはまさに天国のような場所であり、見方を変えれば地獄のような場所でもあった。

「この宝の山から一つだけを選べと言いうのかッ……!」

 興奮と葛藤で言葉遣いがおかしくなるのはいつも通りである。

 一時間ほど前に朝食を食べたことなど、パフェで埋め尽くされた頭にはすでになかった。

「ここはな、季節のフルートを使ったパフェが人気なんやで。しかも、どのパフェもフルーツがめっちゃ乗ってんねん。そこにオリジナルのジェラートが入ってもう最高なんよっ」

 彩の口調も普段の間延びしたモノでなくなっており、その興奮度が伝わってくる。

 これは、増々期待大である。

 半端な覚悟では注文できない。

「むむむむむ」

「ん~~」

「……」

 女性陣が三者三葉に頭を抱える中、唯一の男性メンバーである巧は即決でメニューを決めて、我先に注文していた。

「ズルいっ⁉」

 こういう時やはり男女の差が出るモノなのだろうか。

 涼しい顔で注文を終えた巧を恨めしそうに見つめながら、千草は再度メニュー表と睨めっこを開始した。


 巧の注文後五分ほどの熟考時間を経て、千草たちも断腸の思いでメニューを決めた。

 とは言っても、結局決めきれずに三人違うものを頼み分け合えばという巧の鶴の一声がなければまだ悩んでいただろう。

 巧に言われるまで分け合うという発想が誰からも出てこなかった。好きなものに直面すると人の視野はかくも狭くなるものらしい。もしくはただ、食い意地が張っているだけか。


 美術館は開館後早めの時間に行ったため、ゴールデンウィークといってもそれほど混雑していなかったが、十時を過ぎた現在。店内は流石ゴールデンウィークの有名店と言えるほどに混雑してきた。

 クリームやアイスの甘い香りと、焼き菓子の香ばしい香りが鼻腔をくすぐり、人々の浮かれた喧騒をBGMにパフェが運ばれてくるのを待つ事数分。


 まず運ばれてきたのは当然一番最初に抜け駆け注文した巧のパフェであった。

 赤と白のコントラストが美しい。

 上層はこれでもかという程イチゴが飾られており、その下にあるであろうクリームとアイスの白色がほとんど見えない。中層になるとようやくクリームの白さが際立つが、下層には上層顔負けの赤。甘酸っぱいイチゴソースに違いない。


「ゴクリ」


「いや、お前のじゃないからな」

 隣に運ばれてきたパフェをガン見して喉を鳴らす千草の様子に、たまらず巧がパフェを自分の方に引き寄せた、一口。

「お、ウマい」

 素直な感想が巧の口からでた。

「わ、分かってるよっ。……じゅるり」

 一方慌てて視線を反らした千草は、気を抜けば滴りそうになる涎を腕で拭きとっていた。

「いや、全然説得力ねぇよ」

 その様子に呆れつつ、パフェ用のスプーンでイチゴとアイスをすくった巧は、

「一口だけだぞ」

 スイっと、それを千草の口元に差し出した。

「⁉ アザッス」

 一瞬の驚きのあと、身体に染みついた体育会系の挨拶。高速で動く口。

 まるで肉食獣が獲物を狩るかの如き速さでであった。しかし、忘れることなかれ、千草が食べたのは肉ではなく、パフェである事を。

「んん~~っ」

 一瞬で口の中に広がるクリームの優しい甘み。その後をすぐに甘酸っぱいイチゴが追いかけて来る。

「これはまさに、クリームとイチゴの百メートル競走やぁ~」

 表情筋を緩めに緩めていた千草の口から自然と格言が漏れ出した。

「いやっ 彦摩呂かよ」

 それを流れるように巧が突っ込む。

 二人の仲睦まじい様子を、対面に座る悠里と彩が微笑ましく見つめていた――という事はなく、

「おおおお、おま、おま、おまああああ」

 悠里が壊れた機械のように口をパクパク動かし、目を見開きながら言葉にならない声を上げた。

「どうした、とうとう壊れたか?」

「……バグ?」

 その様子を見た巧と千草の反応は辛辣の一言である。

「あちゃぁ~」

 そんな三人の様子に、一人訳知り顔の彩が苦笑いを浮かべながら手を額に当てた。

「で、コイツは一体どうしたんだ?」

 混乱冷めやらぬといった感じで、未だに鯉のように口をパクパクさせている悠里を一早く視界から外した巧が、彩に聞いた。

「あ~あ。これは何ちゅうか一種の発作、みたいなもんかなぁ」

「発作ぁ?」

「そうや。二人のラブラブぶりに悠里のピュアハートは爆発寸前なんや」

「「……はぁ?」」

 彩がよく分からない事を言い出した。

「おい、喧嘩を売ってるんならいくらでも買うが、何がどうなったら俺と千草がラブラブに見えるんだ?」

 巧の絶対零度の視線が彩に突き刺さる。

「どこって、さっき間接チュウしてたやん」

 しかし、そんな事を気にする彩でもなく、さらりと悠里がバグっている理由を口にした。

「間接?」

「チュウ?」

 綺麗にシンクロして首を傾げる巧と千草。

「何や忘れてもうたんか? ほら、さっき自分の食べたスプーンでちぃちゃんにもパフェあげてたやろ」

「あ、あ~。そんなこともあったな」

「ん。美味だった」

 彩の言葉に思い出したとばかりに頷く二人。

「え、ちょっと待て。まさかそれだけのことで?」

 ようやく理解が追い付いた巧は、しかし、それでも理解出来ず、悠里と彩に交互に視線をやった。

「ふふふ、そうやで。悠里は二人の間接チュウを見て、こないに可愛らしく狼狽えとるんや」

 そして、巧の『嘘だよな?』という視線を否定する言葉を、可笑しそうに口にする彩であった。

「いや、でも大学生だぞ? 間接キスっていうか、スプーンの貸し借りとか、飲み物一口とか、普通にあるだろそれくらい」

 巧も巧であまりの考え方の違いに驚愕する。

 千草はと言えば、巧の意識から外れているパフェをもう一口と虎視眈々と狙っていた。

「ややこしくなるからお前は大人しくしとけっ」

「ぁぅッ」

 と、当然のようにスプーンに伸ばしかけていた手をノールックで叩き落された。

「まぁ、驚くんも分かるで。今時そんなこと気にする子そうおらんからな。それに悠里は普段がああやから、余計にギャップが激しいもんなぁ」


 確かに、普段男勝りで男女分け隔てなく友達が多く、物事の中心にいるような悠里が間接キスに赤面するようなピュアハートの持ち主などと誰が想像できるだろうか。

「悠里はあんなやから、昔か男女差関係なく人気者でな。小学校の頃はそれでも良かったんやけど、ウチと離れた後それが加速してしもうてな。ファンクラブなんてもんが出来てしまったんよ」

「……ファンクラブ」

「ファンクラブ!」

 その言葉にゲンナリする巧と、何故か目を輝かせる千草。

「そう、ファンクラブや。そんなもんが出来てしまったせいで、他の皆が普通にする恋愛青春を悠里は過ごせんかったんよ。だけど当然悠里も年頃の乙女や。恋愛には興味がある。だけどファンクラブの規律で一定以上の関係を築ける異性がおらん。こうして恋に恋するピュア悠里の出来上がりちゅうわけや」

「あ~、それはなんか、ドンマイ」

「誰でも苦手な事ってあるんだね」

 全てを察した巧は何とも言えない顔をして、壊れかけの悠里に視線を向ける。

「で、それじゃあどうすればこいつは正気に戻るんだ?」

 テーブルに肘をつき、親指で悠里を指しながら巧が彩に聞く。

「ふふふっ。悠里も乙女やからなぁ」

 どこかこの状況を楽しむように微笑みながら、

「ほな、こうしよか。巧君がちぃちゃんだけにパフェを上げるから特別扱いしてるように見えるんよ。そやから、ウチ等にも一口ずつ頂戴♪」

「なっ 彩⁉」

 突然の彩の発言に正気を取り戻した悠里が驚愕の声を上げるが、当の巧は気にした様子もなく、

「そんな事で良いんなら」

 そう言って、パフェを一口すくい彩に差し出した。

「ほな、頂きまーす。んん~。美味やぁ」

 ほっぺを押さえながらほほ笑む彩。

「ほら、悠里も」

 彩に促されて、悠里は目の前に差し出されたスプーンを見る。

「や、でも、これ、その――――」

 すぐに食べるかと思いきや、何やら葛藤があるらしく、普段の快活な悠里にしては言葉の端切れも悪い。

「どうした? いらないのか」

 不思議そうに巧が訪ねた。

「いや、いるっ。いるけど……ゴニョゴニョ」

「え?」

 口籠る悠里。最後の方は言葉になっていなかった。

 しかし、長年の連れである彩は全てお見通しのようであった。

「巧君あんまり悠里をいじめんとってな」

「え、イジメるって俺は別に何も」

 やれと言われたからやっているのにあまりにも理不尽だ。あらぬ疑いをかけられ焦る巧に彩が続けた。

「それ、食べないんなら貰っていい?」

 差し出されたまま、固まっていた巧の持つスプーン。その先に乗ったアイスとイチゴ。

 千草としては『溶けかかったアイスが勿体ないなぁ』くらいの気持ちの発言であった。

「お前な……」

 巧が完全に呆れた目をして、

「さすがちぃちゃんはスウィーツに関してはゴーイングマイウェイやな。けど、今回はストップやで」

 彩には謎のウインクを返された。

「えっと……じゃ、コレは要らない?」

 巧が困ったように差し出したスプーンに視線を向け、ゆっくり手前に引こうとした。

「い、いるっ‼」

 すると悠里がガバッと顔を上げ、パクっとスプーンを口に含んだ。

「……」

 突然の事に固まる巧と、顔を真っ赤にしたままパフェを咀嚼する悠里。その眼は完全に開き直っていた。

「フッ どうだ?」

 その顔を見て急におかしくなった巧が笑いながら聞いた。

「初キスは甘くて、ちょっぴりすっぱかったぜ」

 ニカッと真っ赤な顔で笑いながら悠里が答えた。

「ばーか」

 巧もやれやれと肩をすくめた。

 一瞬気まずい雰囲気になりかけたが、彩の気転や悠里の軽口でその空気は霧散した。その後千草たちのパフェも運ばれてきて。大はしゃぎでパフェを食べた。千草がモモ、悠里がマスカカット、彩がチョコバナナのパフェであった。

 どれも目で楽しく舌で美味しい絶品で、みんなで分け合って食べた―――巧を除いて。

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