第7話 美観地区①

「よしっ。それじゃあお腹も膨れたことだし倉敷は美観地区観光始めるかっ」

「「おぉー」」

 悠里の掛け声に、千草と彩(追加購入したラスク片手に)が片手を挙げて答えた。まったく仲良しである。その後ろを巧が呆れた様に笑いながら続く。

「今日は美観地区のゴールデンコースイングバージョンで行くから覚悟しろよ」

 元気よく歩き出した悠里がニヤリと笑いながら振り返って言った。

「おぉっ ゴールデンコース!」

 その言葉に千草が目を輝かせながら反応した。

「いや、何だよゴールデンコースって」

 後ろから巧の突っ込みが飛ぶ。

「ゴールデンコースって言ったら、ゴールデンコースだよっ。なんか凄くキラキラしてるんだよ!」

 ゲーム脳全開で興奮気味に反応する千草。朝食を食べたせいで覚醒した目が覚めたらしい。


「ふふふっ。どうどうちぃちゃん」

 それを調教師の様に宥める彩。その姿は長年千草と一緒に居る巧から見ても様になっていた。

「ゴールデンコースって言うのは、まぁ所謂おおやけに公表されいてるモデルコースの事だな。今回はそこにアレンジを加えた特別版だ」

「……特別」

 ゲーマーの性なのか、ただのアホなのか。ゴールデンや特別といった言葉に過剰反応を示す千草。この調子で今日一日持つのだろうかと心配になる巧であった。

「じゃあ、まずは有名どころから行くぞ」

「「「おぉ――」」」

 改めて、悠里の掛け声に今度は三人で答え、美観地区を目指して歩を進めた。


 倉敷美観地区とは歴史とアートが薫る白壁、なまこ壁、柳並木など趣のある景観が楽しめる場所である。中心部には倉敷川が流れ、それに沿ってレトロモダンな街並みが広がっている。倉敷帆布はんぷや倉敷デニムといった倉敷ブランドの揃う店や、町家を改装したカフェなども観光客の人気を集めている。文化面では、大原美術館やアイビースクエアなどがあり、老若男女問わず一日中楽しめる場所である。

 と言うのが、道中悠里の弁であった。


 そしてその悠里の案内でまず向かったのは、美観地区を入ってすぐにある荘厳な建物。

「おっし、着いたぞ」

「ここは――」

 悠里が両手を腰に当てながら見上げる建物。

 もう少し崩壊させ、古くしたらゲームの中に遺跡として出て来そうな建物だった。

 そんな失礼なのか何なのかよく分からない感想を持って千草も建物を見つめた。

「大原美術館やな」

 そんな二人を可笑しそうに見ながら彩が正解を口にした。

「へぇ、これが」

 歴史好きの巧は興味をひかれたようだが、正直千草はこういった芸術には疎い。上手だなぁあ、凄いなぁ以上の感想が出てこない。

「よし、まずは腹ごなしに芸術鑑賞といきますか」

 その発言から千草と同レベルの感性を持っていそうな悠里の足を引き留める手があった。


「ちょい待ち、悠里。今、腹ごなしって言うた?」


 そこにはいつも通りの笑顔だが、明らかに凄みが違う彩がいた。

「お、おう。どうした彩?」

 あまりの迫力に悠里も少し引いていた。

「どうしたもこうしたもあらへんっ。言うに事欠いて、彼の大原美術館を食休めとは聞き捨てならんわっ。ここからは悠里に代わってウチが案内したるっ」

「や、ここからはってかまだ最初だし、それに時間が……」

「あん?」

 食い下がろうとした、悠里を彩が一睨みで黙らせた。

 もしかして、イングで一番怒らせてはならないのは彩なのではないだろうか。

 

 一悶着後。


 見事案内役を勝ち取った彩を先頭に大原美術館の入り口に向かう。

 その間も彩の説明が続いた。

「大原美術館は千九百三十年に地元の実業家の大原孫三郎によって開館されたんや」

「へぇ、結構古いんだな」

 彩の説明を横で聞きながら巧が感心したように答えた。

 その後ろでしょげた悠里に元気だしなよと、千草がお菓子を差し出していた。


 石造りの外観に木々の緑が良く映える。

その景観だけでもすでに芸術の建物を眺めながら一行は足を進めた。

「そやで。そして何と日本で初めて出来た西洋美術館や」

「初めてか。それは凄いな。でも何で岡山に?」

 彩の説明を聞きながら、巧が疑問を投げかける。

 確かに、大きな美術館などを作るのなら、都会に作った方が集客がいいのではないだろうか。

「それはな、大原美術館を造るにあたりもう一人の重要な人物が居ったからや。大原美術館は孫三郎がその人の為に作った美術館と言っても過言じゃないねん――悠里は誰だか分かる?」

 問われた悠里は口を尖らせながら最後尾を歩いていた。

「児島虎次郎だろ。岡山っ子ならみんな知ってるよ、それぐらい」

 案内役を外された事をまだ根に持っているようだ。しかし、この状況を思えば仕方がない事にも思える。彩の説明は凄く分かりやすい。悠里でこうはいかないだろう。

「おっ、さすが悠里正解や。この中で唯一の純正岡山っ子なだけあるな」

「ま、まぁな」

『ヒュ~ヒュ~』と彩に持ち上げられ満更でもない様子。ちょろい。

「悠里の言う通り、大原美術館は大原孫三郎と児島虎次郎の二人によって造られたんや。大原美術館に展示されている数々の貴重な美術品は孫三郎の支援を受ける洋画家の児島虎次郎によって買い付けされたものなんや。だからやろうな、大原美術館には貴重な展示が沢山あんねん。クロード・モネの『睡蓮』、オーギュスト・ロダンの『洗礼者ヨハネ』、『歩く人』、レオン・フレデリックの『万物は死に帰す されど神の愛は万有をして蘇らしめん』、そして、もはや日本にあるのが奇跡エル・グレゴの『受胎告知』。その他にも本館、分館、工芸・東洋館と大きく三つの展示に分けられて絵画の方に彫刻や工芸品なんかが展示されてんのや。今これらの絵画や彫刻を集めようとしたら国が傾いてまうわ。でも、中には死後有名になった作者も居るから、虎次郎の美術眼が優れとったんやろうな」

 軽快な彩の解説は美術館の入り口に到着するまで続いた。

「はい、みんな注目」

 入り口前に到着すると先程まで人一倍ははしゃいだ声で解説していた彩が、神妙な口調で静止をかけた。

「どうした?」

 受付に足を向けようとしていた悠里が、変な態勢で振り返りながら聞いた。

 どうでもいいが凄い体幹だ。小中高と運動部に所属していた千草と巧には分かる。その鍛え抜かれたインナーマッスルが。

「美術館に入るにあたり注意事項があります」

 そんな関係ない事を考えていた千草を余所に、彩が口調を変えて、引率の先生みたいなことを言い出した。

「注意事項ってコレ?」

 千草が壁に取り付けられた看板を指さした。


 そこには公共施設等でよく見かける注意を促す内容が書かれていた。

・展示品および展示ケースに触れないでください

・展示品を汚損する可能性のあるボールペン・万年筆・毛筆などの使用はご遠慮願います

・撮影禁止のマークがある作品は、所蔵者の意向により撮影することはできません

・フラッシュおよび三脚を用いてのビデオ、写真撮影はできません

・建物内では携帯電話の電源をお切りいただくかマナーモードに設定してください

・展示室では携帯電話による通話およびメールの使用はご遠慮委願います


「よく見るヤツだな」

 悠里が看板を読みながら言った。

「そうや。よく見るヤツや。でも、よく見るって事は最低限これだけは守って欲しいって事なんよ」

 彩が同意ながら、更に強調した。

「でも、触らないや携帯は分かるけど、何で筆記用具の指定や、写真撮影はダメなの?」

 かねてからの疑問を千草が呈した。

 小さい頃両親といった博物館や、修学旅行などで行った施設にも大体同じような事が書いてあった。その時から筆記用具なんて何でも構わないだろう。せっかく来たんだから写真くらい撮らせてくれてもいいのにケチ。くらいに思っていた。

「それはな、鉛筆以外の筆記用具だとインクが飛び散って作品を汚してしまう可能性が

あるからなんよ。それから写真は人混みでフラッシュや三脚は当然他の人の邪魔になるし、そもそも撮影禁止の作品は直に見て欲しいっていう作者や所蔵者の気持ちの表われなんよ。写真でいいんならそもそもこんな美術館の存在意義がなくなってしまうやろ? 写真とは違う、肉眼で見る感動を味わってほしい。そういう気持ちが込められとるんよ」

「へぇ~。ケチだからじゃなかったんだ」

「コラコラちぃちゃん心の声が漏れとるで」

「おっと」

 慌てて口元を押さえる千草をみて彩が苦笑する。

「まぁ、難しく考えんと、『作品を守る』『他のお客さんの迷惑にならない』これだけ気を付ておいたら問題ないわ」

「よ~し。では、ヤロウども突撃するぞ」

「おおっ」

 綺麗にまとめた彩の発言をぶち壊すように悠里が号令をかけ、千草が続いた。

「迷惑かからないようにやで⁉」

 そんな二人を彩が慌てて追いかけた。巧もやれやれと後に続く。


「なあ、ところでこれも有名なやつか?」

「はぁはぁはぁ……アンタなぁ」

 突然駆けだした悠里をどうにか捕まえた彩が、両手を膝に当て荒い息を吐いていると、その横で涼しい顔をした悠里が聞いてきた。

 悠里の視線の先を追うと、まさに入り口、その横に一つの像が立っていた。

 千草から見ても、『芸術』という感じの像であった。

「ああ、それはオーギュスト・モダンの『洗礼者ヨハネ』やな」

「有名なのか?」

「有名やで。でも、世間的に知られてとるんは『考える人』の方かな」

 それまでは取り合えず聞いてみた感バリバリの悠里であったが、彩の発言を聞き態度が一変した。

「マジかよ⁉ 『考える人』ってあの? スッゲー。なぁちぃちゃん写真撮ろう、写真」

 突然の食いつきに彩がいつもの笑顔を崩して半笑いになっていた。

「――撮ろうッ」

 こちらもこちらでミーハーな千草である。

「ここは写真いいのか?」

 はしゃぐ二人を余所に、ゆっくり歩いてきた巧が彩に確認した。

「ここはまだ館内じゃないし、撮影禁止のマークもないから大丈夫やと思うで」

「そうか」

「なんや? 巧君も写真撮りたいんか?」

 一見ポーカーフェースを顔に張り付けた巧であった、よく見ればどこかソワソワしている。彩に聞かれると「もちろん」とニヤッと笑った。

【イング】はミーハーの集まりのようだ。

 その後ポーズを決めるのに一悶着あったが、何とか決まり彩の持ってきた一眼レフで撮影した。

 悠里と千草が『考える人』、巧が『青銅時代』、綾が『手の痕跡』のポーズをした。

 ちなみにどれもオーギュスト・モダンの作品である。スマホでポーズを確認したので映りはバッチリであった。


「ここに居れるんは一時間くらいやから少し巻いてくで」

 受付を済ませると、彩が言った。入館前に悠里に食って掛かった人とは思えない発言であった。

「でも、出た後もチケットは捨てたらあかんで。ここは本館、分館、工芸・東洋館とは入館する毎にチケットにスタンプを押してくれるんやけど、今日入館できんかったところは後日同じチケットで入館できるんや。しかも、期限なしやで」

 最後に『キラン』と歯を輝かせながら彩が言った。

「へぇ、それは太っ腹だね。さっきのケチ発言は撤回するよ」

 観光客を代表したような発言をする千草。

「そうやろ。なかなか粋な計らいやろ? これだけでも多くの人に芸術作品を見てもらいたいっていう大原孫三郎の気持ちが伝わって来るわ」

 その様子に彩が嬉しそうに言った。

 なるほど。そういう見方も出来るのか。

 見る人、感じる人が違えば、捉え方も様々なのだという事は入館と同時に悟った千草であった。


 本館に入るとまず目に入るのが、児島虎太郎の絵画であった。

 和服の美人画が色鮮やかに描かれており、タッチも細やかで、この絵を一番初めに入館者の目に留まるところに飾っている孫三郎の虎次郎に対するリスペクトが伺えた。

 本館は二階建てで、順路が示されていた為、特に困ることなく歩を進めることが出来た。

 芸術にあまり明るくない千草たちのような人向けに、音声ガイドの貸し出しやモーニングツアーなども用意されている様だが、今回は彩という専属ガイドが付いていた為そのまま進んで行く。

「クロード・モネの『睡蓮』。モネの活躍した十九世紀ごろはヨーロッパで日本芸術がジャポニズムって言われて一大ブームを巻き起こしとってな、例にもれずモネもその影響を受けたんや。特にモネの日本好きは有名で、自分の家に日本庭園を造ったり、奥さんに着物を着せたりしとったんやで」

「そんなモネの晩年に、児島虎太郎は直談判して秘蔵の絵を譲り受けたんや。ほんで、その時お礼に日本から牡丹の苗木を送る言うたら、それはもう喜んだらしいで」

 朝早いためそれ程混んでいないが、それでも他に観光客がいない訳ではなかったため、彩が声を押さえて説明していく。その勢いは、押さえられた声に反して相槌を入れる暇もない程であった。

「今日は見られへんけど、中庭にはモネの描いた睡蓮と株分けされた本物の睡蓮が見られるんよ。絵と本物を見比べんのも中々面白いで」

「これはレオン・フレデリックの『万物は死に帰す されど神の愛は万有をして蘇らしめん』やな。見ての通りデカい。七枚の絵からなっとって、その幅はなんと十一メートルもあるんやで。本館の設計の時に建物の幅の基準になったって逸話もあるんや」

「虎次郎が最後に買い付けした作品で、それを元に建物の形が決まったなんて、ここでも作品に対する愛を感じるなぁ」

 千草でも知っている有名作品を、その知らない逸話まで熱く熱弁してくる。

 他にも、虎次郎の作品や、聞いた事もないような作品までどこで覚えて来たのか。普段気にしていなかったが、お嬢様とは伊達ではないようだ。


「コレっ コレなんよ!」


 そんな彩が、突然小さい声のまま、声を荒げるという荒業を披露した。

「おいおい、どうした?」

 大人しく鑑賞していた悠里も突然の事に驚いた様子だ。

「どうしたもこうしたもあらへんっ。大原美術館最大の奇跡が今、目の前にあるんよ⁉」

「おし。分かった。よく分からない事がよく分かったから、一旦落ち着け」

『どうどう』と興奮する彩を悠里が宥める。

 人は違えど、最近よく見る光景である。

 イングメンバーは馬の調教師に向いているのかもしれない――もしくは馬の方か。

 彩が示す先には一目見て今までの展示とは違う事が分かる絵画が展示されていた。

 ワンフロアーに一枚。

 半暗室にした薄暗い部屋のなか、スポットライトを浴びて輝いていた。

「何、この絵?」

 千草の呟きが漏れた。

 その絵画の素晴らしさか、はたまた特別な展示方法からか、芸術に疎い千草や悠里の目にもそれがただの絵画でない事が分かった。

「あれは、エル・グレゴの『受胎告知』。誰もが知っとる聖書一節。聖母マリアに大天使ガブリエルが空から現れ受胎を告げる神秘的な場面を力強く表現された正に傑作。日本でエル・グレゴ作品が見られるんは、大原美術館と国立西洋美術館の二つだけなんやで」

 彩の神妙だが熱のこもった声が止まった空気を揺らし千草たちの耳に届く。

 ここだけは時間の流れも違うようだ。

 四人はしばし無言のまま他の観光客が来るまでその絵を眺めていた。


 

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