第4話 イング②

 千草と巧が【イング】に入って一週間ほど。


 サークルに入った事で千草の生活は劇的に変化していた。

 家に引きこもらなくなったのである。

 実家では平日学校から帰った後はゲームにマンガ、時々小説。休日は一歩も外に出ずネットゲームでヘッドショットをかます日々。

 そんな千草を心配した両親よ。安心して下さい。あなた達の娘は立派に大学生活をおくっています。


「……」


 そんな千草の心の声を冷めた目で見つめる者がいた。

 八雲巧その人である。

「……おい、そこの引きこもり」

 おっと。大学生にもなって引きこもりとは情けない。一体どこのどいつだ。

「……おい、そこのゲームオタクッ」

 ゲームオタク? それはもちろん私の事ですが、何か?

「『何か?』じゃねぇよッ! 毎日毎日サークル室に引きこもりやがって。おばさん達に言いつけるぞ!」

「何故に⁉ 家から出て活動してるのに!」

活動内容が同じゲームばっかりじゃねぇかよ!」

「あたっ」

 憤る千草に巧が教育的指導を行う。

 千草の手はようやく手がコントローラーを離れて、叩かれた頭を押さえた。


 そう。【イング】に入った千草はサークル室に入り浸るようになっていた。

 家にあるよりテレビよりデカいホームシアター、自動で出てくる(彩が用意してくれる)お菓子や飲み物。

 お菓子の種類は千草たちが喜びそうなものを毎日彩が用意してくれている。サークル費など払っていない千草たちである。決して安価には見えないお菓子やお茶に巧が一度サークル費について聞いた事があったが、「ん? いらんよお金なんて。コレはウチが食べたいから勝手に買って来てるんよ。そんで、どうせ食べるなら一人よりみんなでの方が美味しいやろ? だからウチの為に一緒にたべてやぁ」との事であった。

 初めは千草たちが遠慮しないよう配慮しているのかと思ったが、どうやら違ったようだ。いや、違わないかも知れないが、彩の言う通り毎日過剰にストックがあると思っていたお菓子は、しかし、その日の内に大部分が彩の口の中に吸い込まれていった。一体あの小さな体のどこに消えていっているのか不思議に思っていると、悠里が答えを教えてくれた。

「アイツは飽食の時代が生んだ化物だから」

 成程納得である。その言葉を聞いて千草と巧は大きく頷いた。


 何はともあれ、サークル室。そこはまさに千草にとっての天国であった。

「まぁまぁ巧君そんなに怒らんと。今日のお菓子は白十字のワッフルやで」

「お前らが甘やかすから、コイツが余計に調子に乗るんだろうが」

 ブツブツ言いながらも、差し出されたワッフルを口に運ぶ。

「……ウマい」

 ハチミツ風味の生地の間にたっぷりのカスタードクリームを挟んだ定番のワッフル。

 今日も今日とて美味しいお菓子を食べ、悔しそうにそう呟く巧の様子に、千草と彩が笑い合う。


 この一週間で千草はかなり【イング】に馴染んでいた。

 この慣れるまでの早さが、巧になんちゃって人見知りと言われる所以である。

 しかし、慣れが早かった理由もある。

 千草と宗兼彩が同じ学科だった為だ。

 基礎教養が多い一学年でも、学科が違えば当然取得する講義は変わってくる。千草と巧は出来るだけ同じ講義を取るように履修登録したが、それでも全て同じとはいかなかった。

 そこで一人で講義を受けることに不安のある千草に助け舟を出したのが、同じ学科の宗兼彩であった。

「何だ、お前ら同じ学科だったのか」

 これまで千草からそんな話は出てこなかったため、巧が驚きの声をあげた。

「……?」

 しかし、何故か千草も首を傾げて巧を見つめていた。

「いや、何でお前が知らないんだよ」

 声を発さなくても千草の考えを読み取った巧が、呆れた顔で言った。

「いやぁ、ちぃちゃん学科内でなかなか人気者やで。休み時間になるとちぃちゃんの周りに人の輪ができとるわぁ」

「お前それ眺めて遊んでたな?」

 その光景を思い出しながらニコニコ笑う彩に、巧が呆れながら言った。

「あ、分かる? マスコットみたいにみんなに撫でまわされて、固まりながらも、差し出されたお菓子には反応するちぃちゃん。いや~、ホンマ可愛かったわ」

「いや、助けてやれよ」

 再び呆れ顔の巧。まだサークルに入って間もないというのに、この顔がデフォルトになってしまいそうである。

 お菓子についてはあまりに沢山貰うため、首から袋を下げるようになった千草である。 

 朝空にして来てもサークル室に来る頃にはパンパンになっているほどだ。


 それはさておき。

 前回の集まりの後、自然と履修登録の話となり千草が講義に不安がある事を言うと「それなら、ウチと一緒にしようやぁ~」と彩が言った。

 しかし、同じサークルとはいえ、出会って間もない人の誘いである。普段の千草なら当然無理であったが、

「お、お、お、お願いします!」

 ガバっとその手にしがみ付いた。

「おお~、よしよし任せとき」

 千草の頭を撫でながら、彩が言った。

 いい意味で気の抜けた彩の雰囲気と、お菓子をくれる人という認識が千草の彩に対するハードルを下げていたのかもしれない。


 こうして千草は巧と一緒でない時は彩と居ることが増えた。二人の共通点は当然【イング】なので、自然と他の二人を待つ間はサークル室にいることが多くなった。

 そうして、彩に美味しいお菓子を貰って、すっかり餌付けが完了されてしまった千草である。

 今では『彩ちゃん』と尻尾を振って走り寄る仲だ。


「おーす。今日もみんな揃ってるなっ」


 そんな千草の幸福空間に割り込む者がいた。

 その者は、我が物顔で扉を開けてズカズカとサークル室を横切り、一番奥の一人掛けのソファーに腰を下ろした。

「よお、遅かったな?」

「ああ、ちょっとバレー部の練習に付き合っててな」

 巧が気さくに話しかけ、相手も普段通り返した。

「おっ、今日はワッフルと紅茶か。彩ぁ~私にも~」

「はいはい」

 そして、テーブルを見てさっそく自分の分のお菓子とお茶を要求する。

 既に給仕に取り掛かっていた彩も笑いながら返事を返す。


 ちなみに彩の今日の衣装はナース服である。

 看護学科の学生がナース服を着る。そう聞けばただの実習着である。

 しかし、彩が着ているのは

 淡いピンクのナースキャップと、同色の膝上のワンピース。それに太もも近くまである純白の網タイツ。

 実際の看護現場でこの服装をしていれば確実に追い返されること請け合いである。

「服装は兎も角、兎も角でもないけど。そっちは置いといて。ナースって言葉はもう使われてないって聞いた事あるぞ」

 いろいろ突っ込みたいことがあっただろうが、グッと堪えて当たり障りのなさそうなところに突っ込みを入れる巧。しかし、

「ソレは世間一般の常識やな。けどコスプレ界はちゃう! 看護師のコスプレって言って萌えるか? いいや萌えへんッ。ナースのコスプレって言って初めて完成するんがこのコスプレや‼ そして、忘れたらあかんのがこの絶対領域ッ。この太もものムチムチ感こそ至高なんよ」

「……何でお前みたいなのが看護学科にいるんだ?」

 普段見せるおっとりとした彩からは想像できない熱量で返ってきた言葉に、巧は『イング』に常識人はいないのだと嘆息するのであった。

 以上が悠里が来る前に行われた会話である。


「で、ちぃちゃんは今日は何のゲームしてんの?」


 そして、当然彩の服装には言及せず、それまで我関せず、小さい身体を更に小さくして存在感を消していた千草に悠里が声を掛けた。

「……」

 無言でゲームのパッケージを顔の前に提示。

 視線を遮りつつ、悠里の問いにも答える荒業を披露する千草であった。

「ふむふむ。成程~。分からん! 面白いのソレ?」

 そんな千草の態度は気にせず、悠里が再び元気よく質問した。

「え? お前マジで言ってんの? 結構有名だぜソレ」

 千草に向かった質問であったが、驚きの声とともに巧が答えた。

「何だ、巧も知ってるのか?」

「当たり前だろ。三大RPGの一つだぞ」

「へぇ~。RPGなのか」

「そこからかよ」

 千草と対称的にゲームに疎いことは短い付き合いながら理解していた巧であったが、ここまでとは思わなかったようだ。

「まぁまぁ巧君。悠里にそういった話しても無駄やで。ウチも結構進めたことあるんやけど、暖簾のれんに腕押し状態やったわ」

「あ~、だろうな」

 彩が苦笑し、巧が納得とばかりに頷く。

 悠里はと言えば、千草が持っていたパッケージを手に取り『これが?』と不思議そうに眺めていた。

 パッケージ視線ガードを失くした千草はお菓子の世界にトリップしており、これにて、ここ最近の【イング】のサークル室が出来上る。

 

 そんな日々の中。

 千草は今日も【イング】のサークル室にいた。

 そして現在。三人掛けのソファーを陣取り、壁を覆いつくさんばかりの巨大スクリーンに映し出された強大な敵と戦っていた。

「ウララララララララァァァ!」

 気合の入ったか掛け声とともに千草のコンボが炸裂する。


「元気いっぱいだな、ちぃちゃん。良きかな良きかな」

「いや、うるせーな」

 ゲームのキャラクターが『チョロアマだね』と決め台詞を言ったその時、ガチャリと戸が開き、悠里と巧が入ってきた。

 開口一番の称賛と苦情という真逆のお言葉を頂いた千草は光の速さでコントローラーを背に隠したが時すでに遅しであった。

「いらっしゃ~い。今日は二人一緒やったんやね」

 それまでニコニコ千草の様子を見ながら、お茶を入れたり、お菓子を用意したり、掃除をしていた彩は、巧たちのお茶とぬるくなった自分たちのお茶を入れ替えるべく動き出した。

 ちなみに今日の服装は巫女装束を魔改造した様な、白と朱色が映える衣装であった。

「ああ、体育でね。今日のバトミントンは燃えたなっ」

「『燃えたなっ』じゃねえよ。付き合わされるこっちの身にもなれ。大学生になってあんなに真剣に体育するなんて思わんかったわっ」

 彩の衣装を完全スルーし、まだ額から滴る汗を拭きながら巧が愚痴る。

 始めこそ驚いたものの、慣れた現在では巧も千草も突っ込まなくなっていた。

「何言ってんだよ、『何事も全力で』が【イング】のモットーだからな。それにその方が面白いだろ?」

「いや、そんなモットー初めて聞いたし。まぁ、言っている事は分からんんでもないけどな」

 しかし、あっさり言いくるめられる巧であった。千草といる時とは立場が逆なので珍しい光景である。

「あははは、お疲れさん。ホンマありがとな巧君、悠里の相手してくれて。ウチだけじゃあこの体力おばけにはついていけんから、助かるわぁ」

 彩は嬉しそうに、巧に冷えたスポーツドリンクを渡した。

「お、サンキュー」

 律義にお礼を言い、乾いた喉を一気に潤す。

「ぷはっー」

「いいなっいいなっ。彩、私のは?」

 巧の様子を見ていた悠里が駄々をこね始めた。

「はいはい。ちょっと待ってなぁ」

 そんな悠里に優しい笑顔を向けながら、彩が冷蔵庫から先程と同じものを取り出し、悠里に渡した。

「ヤッホー。いただきまーす」

「ぷはっー。ウマい!」

 これまた良い飲みっぷり。運動後のスポーツドリンクの美味しさを知っている千草としては少し羨ましい。運動せずにあの美味しさを味わう方法がないか真剣に考え始めた。


「ところで、二人は週末何か予定ある?」

 スポーツドリンクを一気に飲み干し、一人掛けのソファーに座ると同時に、出された茶菓子(今日はフィナンシェだった)をパクパク食べながら悠里が千草と巧に視線を向けた。

「――週末?」

 ちょうど四角いフィナンシェを切り分け口に入れようとしていた巧が、口の中でしっかり味わってから聞いた。

「そ、今週末」

「俺は特に予定はないけど――」

 そう言いながら巧の視線が千草に向く。

 その千草はと言うと、出されたお菓子を手品のように一瞬で口の中に消すという消失マジックを披露していた。そして、空になった容器に悲しそうな視線を向けているところであった。

 巧の視線に気づき慌てて首を横に振る。

「予定なし」

 巧はその動作を見て、今度は言い切った。

「よしっ。それなら新人歓迎会ボルダリングをするぞー」

 巧の返事を聞いた悠里は勢いよく立ち上がり、片手を天に突き上げ宣言した。



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