第9話:「対面」

 迎えた四月十二日、私は新宿紀伊國屋でサイン会が行われるフロアの階段で列に並んでした。嬉しい誤算で、想像していたよりはるかに多くの人間が集っており、年齢層もかなり幅広かった。一応著者近影の写真は見ており、ギュスターヴ・マルは細面の白人男性で、目が鋭く、気難しい印象を受けたので、興奮と緊張と不安を抱きつつ、書店員の指示で階段からフロアに入った、その時。


「静井さん!」


 突然名前を呼ばれ振り返ると、黒のニット帽に黒縁メガネ、そして白いマスクをした男性が手をひらひらと揺らしていた。一瞬どこの不審者だろうかと思ってしまったが、彼がひょこひょことこちらに寄ってくると、私は息をのんだ。


「ヒズメさん!」


 押し殺した声で叫ぶと、ヒズメさんはメガネだけ外して、例の邪気のない微笑みを浮かべた。

「今日絶対、静井さんに会えると思ってました! 俺、今ちょうどサインと写真撮影終えたところなんです! 英語も分かる方だったので、デビュー作から全部愛読してる大ファンですって言ったら向こうからハグしてもらえて、あー、俺今死ねと言われたら喜んで死にます……!」

 恍惚と語るヒズメさんは、やはりステージ上の不穏な空気感など皆無の、とても純粋な少年のように見えた。


 そうこうしている間に私の番になったので、事前に書いておいた『Akira Shizui』というサイン用のメモを係員に提出した。英語も話せるなら自分も何か言えるだろうかと考えたものの、果たして対面したギュスターヴ・マルのエメラルド・グリーンの瞳を見たら頭が真っ白になってしまった。

 実際のギュスターブは、著者近影とは想像もつかないほどフレンドリーで、あんなに残酷で美しい物語を書くような人には見えなかった。私の名前とサインを書いてくれたギュスターヴが、こちらを見上げて、

「アリガト、ゴザイマス」

 と笑顔を浮かべたので、私はひたすらサンキューだとかメルシだとか口走りながら、ばたばたと写真撮影を済ませ、何故か追われるようにその場を辞した。


「あ、いたいた!」

 階下に降りるエスカレーターの脇にヒズメさんが立っており、私を見るなりそう言って手を上げたのでまた驚かされた。

「どうでした、生ギュスターヴ・マルは」

 私はまだ動悸が治まらない状態だったが、

「良い人でした!」

 とだけ口にした。そして改めてヒズメさんの顔を見た。あんなに緊張する場面でも、彼は英語で話したというのだから、人前に出ることに慣れている関係もあるかもしれないが、少し羨ましかった。

 興奮冷めやらぬ私とヒズメさんはその場で話が盛り上がっていったが、すぐ係員に注意されて店舗から出、少しだけ立ち話をした後、ヒズメさんはスタジオに、私は帰路についた。

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