第7話:「無知の知の血」

「ライブ、どうでした?」

「殺されると思いました」

 私が即答すると、今度はヒズメさんが爆笑した。

「もしよかったら理由を聞いてもいいですか?」

「え、だってヒズメさん、別人みたいになってて……。轟音も凄かったけど、ヒズメさんの声がその、直接自分に、物理的に貫いたみたいに思って」

 率直に、嘘偽りなく告げると、ヒズメさんはまた笑う。

「あの、ヒズメさんは、いつもライブではああいう感じになるんですか? 今こうしてお話ししているヒズメさんと、ステージ上のヒズメさんは全く別の生物みたいに見えまして——」

「それ、よく言われます」

 ほんの少し目尻を下げ、薄く笑って、

「俺の中では整合性は取れてるんですよね、ああいう自分と、この自分。俺にとってはあれが自然体なんです。曲書いてる時とか、歌う時、過集中っていうのかな? ひたすら『歌うぞ!』って思うと、ああなるらしいです」

「らしいって」

 思わず笑ってしまうと、

「また、ライブあったら来ていただけますか?」

「はい!」


 私は気づかなかった。ヒズメさんはテーブルの壁際に座っていて、私はその正面にいたのだから、後ろがどうなっているのか、知る由もなかったのだ。


「そういえば静井さん、ギュスターヴ・マルの過去作がやっと翻訳されて、もうじき発売されるみたいですよ」

「知ってます! 初期のル・クレジオ並みに難解って聞きましたが」

「え、静井さんクレジオもご存知なんですか? やべぇ、趣味合いすぎ。『調書』は俺のバイブルですよ」

「あれ最高ですよね。もちろん難解だから完全に理解できたとは思ってませんけど」


 このように話していると、思わず時間の経過を失念していた。 


「あ、俺そろそろ楽屋に戻りますね。また来てください。本当にありがとうございました」


 言いながらヒズメさんが立ち上がって楽屋口に向かった。私もすぐ立ち上がって、スマホで終電を調べた。まだ間に合う。今日はもう充分楽しめた、帰宅してしまおう、と考えたからだ。


 だが、私が地下から地上に戻る時、妙な空気を察知した。他の参加者たちが数名、妙に私を見るのだ。最初は気のせいだろうと思ったが、中には地下の出口まで後をつけてきた女性もいた。わけが分からないまま、私は何とか新宿駅に辿り着き、帰宅した。


 自室に戻って今日の覚え書きを思いつくままに打ち込んでいったが、それはアプリで行っていたので、インターネット、SNSを見ることはなかった。

 だから私は知らなかったのだ。あの惨状を。

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