第5話:「黒い宴」

 どれだけ待ったか分からない。もしヒズメさんの出番が遅かったら流石に眠くなってしまうかもしれない、と心配になったその時、暗いステージに体格のいい男性が二名現れ、マイクや各楽器の準備を開始した。


 私は純粋に、彼らの手慣れた様子に感心した。どうやら今日も、私がYouTubeなどで見ていた動画のように三人での演奏らしく、ステージ後方にドラムセット、向かって左側にベース、そして中央やや右に、垂直にマイクスタンドがセットされた。


 その後方には、ヒズメさんが全ての動画で使用していた愛器、私の調査が間違っていなければ、フェンダーというメーカーの、黒いテレキャスターなるギターがスタンドに置かれた。


「皆さん、お待たせしました!」


 主催者が声を張る。


「我らが『とっち』こと、Touyaくんの登場です!」


 フロアの照明が落ち、視界が真っ暗になった瞬間、私は後ろから物凄い勢いで押され、転ばないようにと必死に立ってはいたものの、結果的に揉みくちゃにされ、二列目まで来てしまった。

 混乱の中、洋楽と思われる曲が流れ、周りの人間は壊れたスピーカーのように奇声をあげ、しきりに『とっちー!』、『とうやー!』とヒズメさんの名前を呼び始めた。おそらく今鳴っている音楽は、いわば出囃子なのだろう。


 最初にステージに現れたのは、上背はないが筋肉質のドラマー・タケルさんで、続いて長髪で大人しそうなベーシスト・ショウさんが一礼してから楽器を手に取った。

 観客の熱が最高潮に登り詰めた瞬間、ヒズメさんは姿を現した。


「えっ?」


 思わず声が漏れた。他のファン達が大声をあげる中で、私はひとり、狼狽していた。何故ならヒズメさんの表情が、クリスマス・イブに文学談義で盛り上がったあの邪気のない笑顔ではなく、少し伸びた天然パーマで眼を隠すように真下を向き、観客など視界に入れないような、あたかも邪悪な存在であるかのような雰囲気を纏っていたからだ。私はそれに少し恐怖した。



 挨拶も何もなく、ドラムが激しく鳴り始めた。初めて浴びる生音の迫力に、身動きひとつとれなくなる。

 バスドラムの音はまるで心臓から聞こえているようで、シンバルは逆に上から叩きつけられるように聞こえた。ベースがそのリズムに合わせて演奏を始めると、私はそれが『深更、最果て』という、私が最初に聞いたヒズメさんの曲だと気づいた。


 ヒズメさんは黒いテレキャスターを構え、マイクの位置を調整していた。それは、表情筋を失ったかのような、能面のような無表情。客を見もせず、ギターを鳴らすと、ヒズメさんはおもむろに歌い始めた。それもまた、私が今夜まで狂ったように見続けていたヒズメさんと同じ声、歌声だったが、生で聞くとその声はまるで魂を火にかけたような切迫感と緊張感を孕んでいて、歌詞はそのままこちらの心臓に突き刺すように聞こえた。


——全然、違う。


 私は飛び跳ねる客の中で、何とかポジションをキープしつつ、そう思っていた。

 あのクリスマス・イブで私が会話をした屈託のない笑みを知っていると、『本当に同じ生物なんだろうか?』と境界線が滲み歪んでしまいそうだった。そして同時に再認、或いは発見した。


——私は、ヒズメさんの作る音楽が好きだ。


 生演奏見るのは、YouTubeなどで動画を見るのとは違うであろうと思っていた私だが、ここまでのギャップがあるとは想定外だった。音源を知っていても、ライブだとアレンジが違ったり、一曲終えて次に進む際の絶妙な繋ぎに驚かされたり、そして何より、別人のような雰囲気のヒズメさんが構築する音の世界観。私はすぐさま悟った。

 ライブには中毒性がある、と。


 わずか二十分のアクトだったが、最後の曲は、ヒズメさんが『新曲です』とぼそりとこぼして始まった、凄まじくハードでギターもベースもドラムもヒズメさんの声も大暴れの代物で、観客は歓声を挙げ、拳を突き上げ、飛び跳ね、大盛況の内に終了した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る