第4話:「待つ」

 新宿に行くとしたら紀伊國屋くらいしか用事のなかった私は今、夜十時半、『新宿LOFT』という地下にあるライブハウス兼クラブの入場待ちの列に並んでいた。


 文学関連の集いなら何度も行ってきたが、音楽、ましてライブ、しかもオールナイトのDJイベントに参加するのは初めてのことで、その緊張感ときたら、年明けとは思えない暑い夜の空気が全力で私の背筋を舐め回しているような不気味さだった。


 しかしそれでいて、ヒズメさんの音楽を直に見聞きできるという期待もあり、きっとはたから見たら挙動不審なのだろうと思っていた。


 一応、音楽の、正確にはヒズメさんのジャンル、広義で言うロック・ミュージックのライブ、ことオール・スタンディングと呼ばれる、座席無しでのライブに参戦する際に気をつけること、いわゆる『ライブマナー』も、ネットで予習してきた。

 ヒールを履かないだとか髪の長い女性はきちんと結うだとか、ほんの基礎知識ではあったが、ヒズメさんに迷惑をかけたくない一心で、私はスニーカーにデニム、首には汗をかいた際のタオルを巻き、肩に届くセミロングの髪は後ろではなく右側に結び、着替えも用意していた。


 待っている間、私はいつもの癖で人間観察を開始した。年齢層は幅広かった。私と同世代であろう女子グループから、四十代にも見える主婦っぽい女性、喋り声がかしましい若い男子たちや、もしかしたら業界人かもしれない落ち着いた雰囲気の初老の男性まで、といった具合だった。


 今日は一応DJイベントだが、一組、割と有名らしいバンド・Flying May Daysフライング・メイデイズなる集団のパフォーマンスがあって、ヒズメさんはそのオープニング・アクト、いわば前座とのことだった。


 調べによると、大抵のライブは二時間程度で終わるとのことだったが、今日はDJイベントで、まさかバンド一組とヒズメさんだけで朝までパフォーマンスするはずもなく、もしヒズメさんの出番が早ければ終電に間に合うかもしれない、と推測していたら開場し、私は右も左も分からぬまま、新宿LOFTに入った。


 広くはないがソファやテーブル席があり、左手にはライブが行われるであろうスペースへの分厚いドアがあって、十名近い男女が全速力でその中に突っ込んで行った。その勢いに気圧された私は、それでも彼らの後を追ってみた。


 すでにステージには三、四列のファンが陣取っており、また、今日の本来の主旨、つまりクラブイベントとして来たと思われる面々は後ろのDJブース周辺で銘々に身体を動かし始めていた。

 私は身長が低いので、前の方に行かないとヒズメさんが見られないかと思い、恐る恐るステージの方へと歩を進めた。前情報として、LOFTはステージが非常に低い、と聞いてはいたが、五列目辺りから前方を伺うと、確かに、私がイメージしていた以上にステージは狭く、かつ最前列の女子群でもそのまま登れそうな高さだった。


 程なくして、今夜のイベントの主催者である有名DJが開始の挨拶を行った。

「Flying May Daysの四人は今すぐにでもこのフロアを爆破しそうな勢いですが、Touyaくんが少し遅れるそうです。でも、それまで最高のロック流すんで、どうぞ最後まで盛り上がってってください!」


 歓声があがる。そのDJ氏は言うがいなや、ターンテーブルなるものでかなりヘヴィな曲を鳴らし始めたが、どうしてだろう、私には全く響かなかった。二曲目も、三曲目も、洋楽も、邦楽も、どんな曲調でも、私は周囲の客のように踊る気には全くならなかった。

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