第3話:「落下して」

 帰宅すると、私は母が用意してくれていた夕食に手も付けず、すぐ二階の自室へと戻った。

 トートバッグをベッドに置き、財布に入れていたヒズメさんの名刺を取り出して、スマートフォンでQRコードを読んでみると、すぐYouTubeに飛べた。


 しかし、素人ながらもスマホの音質で聞くのは悪手と考え、デスクに向かってラップトップPCで聞けるようにした。

 動画は三十本ほどあり、正直どれから手を付けたらいいのか分からない。サムネイル画像に先ほどのヒズメさんの顔などは写っておらず、チャンネルのアイコンですら、抽象画のような模様だった。

 顔出しせずに活動しているのだろうか、等とぼんやりと思いながら、たまたま目にとまった動画タイトル、『深更、最果て』という曲を再生してみた。


 映像はモノクロで、ヒズメさんと思しきエレキギターを構えた男性と、ベース、ドラムの男性がいて、カメラはそれをまるで盗撮映像のように俯瞰していた。


 そしてヒズメさんがギターを掻き鳴らし、第一声を放った瞬間、私は喫驚した。


 ついさっきまで自分と文学談義をしていたあの痩躯から発せられるものとは思えない力強い、まるで心臓が叫び喉を通って響くような声だったからだ。

 歌唱法に少々くせがあり、また英語も混ざっていたため歌詞は完全には聞き取れなかったが、いつしか私は歌詞よりもヒズメさんの声自体に聴覚の全てを捕まれていた。


 カメラはほとんど動かなかった。


 ヒズメさんの横顔を僅かに映すアングルもあったが、流行歌にあるような、メンバーの顔をアップにしたり、特集な映像技術を使って見栄えを良くするような演出は皆無だった。不穏。そして暗澹。曲自体は、ド素人の私でも分かるほど複雑な構成で、あの屈託のない笑顔からは百万光年掛け離れた雰囲気だった。


 ヒズメさんは、マイクを顎より低い位置にセットしていて、ほとんど真下に向かって歌っていた。そんな風にPCのスクリーンに映るものをひとつずつ確認している間に、たった二分半の曲は終了した。黒い画面に、『Touya』という名前と、他のメンバーの名、そしてクレジットが表示され、最後にレコード会社か何かと思われるもののロゴが映り、動画が完全に関連動画のサムネイルで埋め尽くされた。


——私は今、一体何を見たんだ?


 動悸がしていた。半ばパニック状態でもあった。しかし私の脳の冷静な部分が、警告のようにこう発していた。


『もっと聞け』

『もっと見ろ』


 結局その夜、私はヒズメさんのチャンネルにある三十二本の動画と、二時間に近いフル尺のライブ映像四本を見続け、クリスマス当日もライブ配信のアーカイブ等を見て過ごした。

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