アジノオト

へくお

アジノオト

 男は、こたつに入り、テレビを見ながらパソコンで音楽を作っていた。テレビのニュースは、砂漠の国の内戦を伝えている。男は、ぼんやりテレビを眺め、そして伸びをした。

 男は千堂という。千堂は、亡くなった祖母の隠居だった離れに住んでいる。仕事は倉庫作業で、フリーターである。高校卒業し二十年以上たつが、正社員になったことはない。無職だった時期もあったが、実家暮らしのため、生活に不安はなかった。給料は、趣味のパソコンやおやつなどに使い、残った分は親に渡していた。趣味のパソコンは、高額な費用がかかるものではなく、ネットサーフィン、フリーのゲーム、フリーソフトを使った音楽作成などで、さほどお金は使わなかった。

 離れと母屋の間に庭がある。離れは、六畳が二間あり、母屋側の廊下の奥に洗面所とトイレがある。千堂は、食事と風呂以外は離れで過ごしていた。

 両親と千堂の関係は、フリーターであることもあり、一時期悪化したこともあったが、千堂は頼まれた家事は文句を言わずにするのでそれなりに良好だった。

 ディスプレイとキーボード、マウスなどを配置したこたつが真ん中にある、壁際にテレビを置いた部屋でほとんどの時間を過ごす。こたつのまわりには、小型の冷蔵庫、パソコン、ラジカセ、新旧の複数のゲーム機、漫画雑誌、コミック、シーディー、ペットボトル、お菓子、インスタントラーメンなどなどが散乱している。

 千堂は、肥満気味で、無精ひげを生やし、汚れたレンズのメガネをかけていている。首元が伸びたTシャツを着て、ジャージ素材の着古したハーフパンツを履いている。千堂は、この部屋の一部のようだった。

 平日は、六時半ごろに起き、朝ごはんを食べ、自転車でバイトに行く。バイト先の倉庫は、小高い山の上にある工業地域にある。家から倉庫まで、ただただ田園が続いていた。三十年前からほとんど景色が変わらない。山のふもとに差し掛かると急激な坂道となる。大型トラックがひっきりなしに走る。冬でも汗まみれになりながら登っていく。

 倉庫につくとタイムカードを押し、すぐに社員からピッキングする商品のリストを渡される。リストとに書かれている商品を集め終えたら、荷受け場に持っていく。そのあとは、定時までその繰り返し。誰ともほとんど話をしない職場だったが、千堂の性格には合っていた。

 仕事が終わると、ドラッグストアに立ち寄りお菓子を買うこともあるが、たいていまっすぐ家に帰宅した。帰宅後、すぐにパソコンに向かう。

 音楽作成を始めたきっかけは、なんとなく見ていたテレビ番組で、パソコンで気軽に作成することを知ったからだ。上手くいけば、お金儲けできるのではと考えていた。特に音楽を勉強したことはなかったが、もともと音楽を聞くことが好きなので、はまった。 

 ある日、あるサイトでベータ版の音楽作成ソフトを見つけた。文字化けしているのか、翻訳できないが、何となく、周波数、音圧などの設定があることがわかった。設定をいろいろいじっていると、聞いたことがない音を作ることが出来た。また、既存の曲を取り込んで、編集することも出来る。

 何日か有名な曲の曲調を変えて楽しんでいたが、聞いたことがない音を作れないかと考えた。設定値を極端に高くしたり、低くしたりして、楽しんでいたが、だんだん飽きてきた。

 次第に、聞いたことのない音を集めて、曲を作ってみようと思った。脈略もなく、音作りを日々続けていた。音をどんどんストックしていく。

 ある日、ある音を試聴すると不思議な感覚を覚えた。口いっぱいに甘みが広がる。音を止めると口の中は唾液でいっぱいになっているだけで、何も味がしない。再び音を流すと、味がする。千堂は何度も何度も試してみたが、音がするときだけ味がするのであった。

 千堂は、ひとまず音を保存した。

 設定値をちょっとだけ触ると全く味覚がしない。様々な組み合わせで試してみたが、一つの組み合わせだけ味覚がすることがわかった。

 千堂は、静かに興奮した。

 どう使おうかいろいろ考えたが、その日は、頭が回らず、何も思いつかなかった。眠れない予感がしたので、母屋に行き、珍しく父親の缶ビールを一気飲みし、その日は寝た。

 慣れない酒で二日酔いだったが、いつもどおり、自転車に乗り、バイトにむかう。

 ピッキング作業をしながら、味がする音で何とか儲けられないか考えていた。動画共有サイトにアップロードし、広告収入で儲けようと思ったが、できる限り目立ちたくない。特殊なブラウザを使わないとアクセスできないソフト販売サイトで販売しようと考えた。

 帰宅し、適当に食事とシャワーを浴び、パソコンにむかう。早速ソフト販売サイトにアップロードし、商品名を入力する。

 「ダイエット効果絶大!味の音」

 空腹のままでも味覚があれば、何も食べずにすむのではと思った。千堂自身は、ダイエットする気はちっともなく、やせるかどうかの検証もなく、見切り発車だった。仮想通貨でのやりとりだったが、何となく一万円程度で設定した。

 しばらくして、一つ売れたが、それ以降は全く売れなかった。落胆したが、普段の日々が続いた。そして、音を販売していることも忘れていた。

 

 季節が進み春になるころ、いつものようにテレビを見ながら、パソコンで作業をしていたら、「ダイエットサウンドで激やせ女性が増加。」というニュースが流れた。

 最近、甘みが口の中に広がる音を聞きながら、カロリーの低い食べ物を食べ、空腹を満たすダイエット方法が流行っているとのことだった。そして、カロリーの低い食べ物を食べ続けてやせすぎた女性が増えているとのことだった。社会問題になっていた。

 ダイエットサウンドは、人づてでどんどんコピーされて、オリジナルの音を作成したのは、誰かはわからないとのことだった。

 このオリジナルは、自分のものだと千堂は思った。警察やマスコミに追われるのではと心配になってきた。久しぶりにソフト販売サイトにアクセスしてみたが、すでに閉鎖されていた。どうすることも出来ないので、とりあえず普段通りに生活することに努めた。

 すぐにダイエットサウンドは使用禁止となった。厳しく取り閉められることになり、ネット上に散らばった音は、片っ端から削除されることになった。


 倉庫の中は暑さの逃げ場がない。首に巻いたタオルは、汗で重みを感じる。

 夏になっていた。

 ダイエットサウンドの騒ぎは、遠い昔のようにほとんどニュースに流れなくなっていた。

 千堂はつまらさを感じていた。せっかく見つけた音が活用できていない。毎日昼休み、倉庫の外でパイプ椅子に腰掛けながら、スマホでいろいろ検索し、何かできないか考えていた。

 他人が作った曲にまぎれさえれば、ばれにくいだろう。十数年前にヒットした曲に味覚がする音をまぎれさせ、動画共有サイトにアップロードし、再生数で儲けようと考えた。ヒット中の曲だとすぐに注目されてしまうし、アップロードされている数も多いはずなので埋もれてしまうのではと考えた。

 思いついたその日にエアコンをガンガンに効かせた部屋で、音を曲にまぎれさせることに成功した。最初から曲に音を混ぜるのではなく、その音に近い部分や音が大きい部分のみまぎれさせたので、違和感なく聞くことができた。問題なく味もする。

 千堂は、あらためて考えていた。他人の曲を使ったとしても、動画共有サイトの登録情報から足がつくのではないと思われた。上手く架空の情報で登録したとしても、最終的にはたどり着かれてしまうのではと考えた。

 やはり、身バレはいやだ。だが、このまま終わりたくない。

 ふと冬頃からニュースで流れていた砂漠の国の内戦が気になった。その国の内戦は、権力者が虚偽と思われる理由で軍隊を動かし、内戦状態になったという。その国は、鉱物資源が豊富だが、その内戦のおかげで、輸出できない状態になっているとのことだった。

 千堂は、その国が資産が豊富であることから、味がする曲を使って儲けられないかと考えた。まず反権力側の反戦団体に曲を送付し、効果を見た後、権力者側に種あかしをするために大金を得られないかと考えた。

 反戦団体代表を努めるのは若い女性だった。暗い部屋で、スパムの疑いのあるメールを一旦、ネットワークから切り離した安全な仮想パソコンに移動し、慎重に開けた。音楽ファイルが添付され、若干不自然な英語で書かれたメッセージを確認した。聞くと味覚がする曲を送ることと、戦場で流すともしかしたら、戦争が止められるかもしれないなどと書かれていた。

 音楽ファイルをヘッドフォンで聞いてみた。

 異国のポップミュージックが流れ始める。しばらくして、メールの通り、口いっぱいに甘みが広がった。曲を止めると味がしなくなる。唾液をぬぐい、仲間にヘッドフォンを渡した。誰もが味覚を感じることができた。

 彼女たちの反戦運動は、少人数で拡声器でメッセージを叫びながら行進する程度の非暴力で訴える活動のため、政府も無視をしていた。そのため、権力側の監視もさほど厳しくなかった。彼女たちは、戦場にこの曲を流しながら、反戦メッセージを流そうと考えた。 

 味がする曲をスマホにコピーし、ワイヤレススピーカーから流すことにした。兵士の行進する場所に何台か設置し、遠隔で操作することにした。

 「その一発の弾丸でチョコレートがいくつ買えるだろう。

 この戦いは、老人のプライドを守るための妄想がきっかけではないか。

 弾丸を打つよりも、仲間とチョコレートを食べよう。」

 曲の味覚は、甘くあるが、どの食べ物とは形容しがたい。彼女たちは最もイメージのしやすいチョコレートを選んだ。

 土の壁にトタンを載せただけの簡素な家がまばらに並び、舗装されていない土の道が続いている。その通りを何百人もの兵士がだらだら歩いている。

 大音量で砂埃の舞う道にジェーポップが流れた。兵士は驚き、銃を構えて、曲が流れるほうに向かっていったが、急に口の中が甘い味覚でいっぱいになり、唾液でいっぱいになった。。誰もジェーポップが原因とは思わない。唾液を吐き出しても、次から次から唾液が湧き出してくる。

 混乱していたが、とりあえずその場を離れたほうがよいと体が反応して、兵士は散り散りになっていった。

 効果があることはわかった彼女たちは、同じことを各地で繰り返し、戦争が終わることを望んだ。ジェーポップが流れている間は、内戦は少なくとも止まった。それ以外は、内戦は続いた。

 

 しばらくして、ある日本の曲が戦争を一時的に止めたとして、ネットを駆け巡った。

 当然日本のワイドショーやニュースで取り上げられた。司会者がオリジナルの曲を紹介し、その作曲家にインタビューのブイティーアールが流れた。

 「僕は、昔の自分の曲に甘い味をつけた。もしかしたら、戦争を止めるかもしれないと思って、ある人に頼んで送ったよ。」作曲家は、具体的なことは、いろいろあるからとか言って、はぐらかし続けていた。

 千堂は、家でぼんやりテレビを見ていたが、「おい、おい。」と声をあげた。

 千堂は、曲に効果がある場合、反戦団体代表からメールがあるのでは待っていた。それから、権力側にコンタクトを取り、大金を得ようと思ったが、目論見が外れた。

 その作曲家は、千堂が編集した曲を十数年前に発表していた。しかし、その後、ヒットに恵まれず、最近では過去の曲をレゲエやボサノバ風などにリミックスして発表していたが、全く売れず、不遇の時を過ごしていた。

 ことはどんどん進み、ある団体の平和賞の受賞も検討されることになっていた。作曲家はほぼ毎日テレビに出るようになっていたが、具体的にどのようにして味覚がする曲を作り上げたかははぐらかしつづけた。

 戦場では、ゲリラ的にジェーポップが流され続けていたが、千堂の浅はかな考えは打ち砕かれ、次第にイヤホンを付ける兵士が増え、効果が無くなりつつあった。しかし、当初効果がなかった反戦団体のメッセージを受け入れる兵士が徐々に増え続け、内戦の規模が小さくなりつつあった。

 

 平和賞の受賞式の日、作曲家は控えめな笑顔でメダルを見せていた。各国の来賓が大きな拍手を送っていた。 

 しばらくして、反戦団体から千堂に感謝の内容のメールが届いた。千堂はメールを閉じ、いつものようにバイトに向かった。満足げな気持ちで、坂を立ち漕ぎで登って行った。「了」

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