第8話:行き道

 駅から香澄さんの言うアパートまで歩いている途中、私はふと気になって、鍵は今どうしているか聞いてみる。


「香澄さん。しばらくご友人の家で寝泊まりしているとの事でしたが、アパートの鍵はどうなさっていますか?」

「鍵は、友人と荷物を纏めた後施錠して、今は大家さんに預けています。友人の家に向かう前にも施錠だけはしっかりとしていたので、誰かに入られたとかはないと思います。」


 その後彼女はあっと思い出したように声を漏らして、「あまりにも慌てていたので部屋はぐちゃぐちゃだし、幽霊に荒らされている部分もあるので、捜査がしにくかったらすみません。」と付け足した。

 それだけ気が動転していても、施錠が出来たのなら上出来だろう。捜査に関しては「大丈夫ですよ。そんなに細かく部屋を検分することはありませんし。」といってから、鍵について少し悩む。


 まず大家さんに私達の状況をどうやって説明しようかと考えて、それから香澄さんと口裏を合わせるために幾つか私達の設定を考えなきゃな、と思う。すると、考えていたのは彼女も同じなようで、


「鍵についてなんですけど、大家さんにどうやって説明しましょうか…。」


 怪奇現象なんて言ってもなぁ、と呟く香澄さんは、心なしか気落ちしたように見える。まぁ私(と兄)の営む、ごくごく小さな何でも屋にまでお鉢が回ってきたんだ。それを思えば、今までの何でも屋などを訪れても散々な結果であったことくらい、仔細を聞かずとも分かる。

 怪奇現象というのはそれ程に信じがたい事で、ここまであからさまな怪奇現象が起きる件数もかなり少ない。普段なら、花瓶が転けただとか、お気に入りのネックレスが千切れてしまっただとか、その程度。

 人体に害はまだないのだが、彼女の疲弊した様子を見るにそれはもう人的被害の域に達していそうなので、この依頼は急を要する。


 かといって、大家さんに「怪奇現象の解決に来ました」なんて言えば、それはもう確実に警戒されて2度と鍵が貰えなくなってしまう。

 香澄さんが鍵を取りに行って、そのあと部屋の前で合流すれば良いかとも思ったが…香澄さんに聞けば、そのアパートは住人以外の出入りには厳しく、申告無しに彷徨いていると大体は不審者扱いらしい。香澄さんはそういうセキュリティの強い所が気に入り、このアパートを選んだらしいが、このアパートからして部外者の私としては、困りものである。

 そんなこんなで考えていると、1つ良い案を思い付いた。私の容姿でも、そんなには疑われないであろうものを。


「─────あ。」


 そう声をあげて立ち止まった私を気にして、香澄さんも立ち止まりこちらを見る。


「香澄さん。丁度良いのがありますよ。」

「?」






 やや大きな、落ち着いたベージュの色味をしたマンションの一階。香澄さんは、その1室のチャイムを鳴らす。「はーい!」と声がして、やがて部屋から出てきたのは、気の良さそうな、中年の女性。


「あら香澄さん、お久しぶりねぇ!」


 と笑顔で話す彼女に、香澄さんも


牧野まきのさん、こんにちは~。お久しぶりです。」


 にこやかに話しかける。この中年の女性の大家さん、名前は牧野さんと言うらしい。つい先程、香澄さんから聞いた。


「今日はどうしたの?暫く、お友達の家に居るって言ってたけど…。あら?後ろの子は?」


  大家さんの意識がこちらに向いたのを感じ、ペコリと、人見知りのような仕草を意識しつつ、お辞儀をする。自発的に喋らない子ですよ、という印象を植え付けておいたら、後々のちのち楽なのだ。


「この子は私が今お世話になってる友達の、親戚の子なんですけど…。友達の家の近くに住んでて、私が友達の家に居る間は、せめてもの恩返しってことで、土日だけ面倒をみようと思ってるんです。

 それで今日、私がここに来てる間、この子を一人家に残しておく訳にもいかないなって思って、連れてきたんですよ。」


 と言う香澄さんに、牧野さんは不審に思う事なく「へぇ~、そうなのねぇ。」と頷いていた。


「それで……今日はお部屋に荷物を取りに来たんです。なので、少しだけ鍵を貸してくれませんか?」


 と香澄さんが言えば、牧野さんは合点がいったように「そりゃあそうよね。生活用品とか仕事に必要なものってどんどん出てくるわよね。」とかなんとか言いながら、奥の方に戻っていく。少しして戻ってきた牧野さんは、手に小さな鍵を握っていた。


「はいこれ、香澄ちゃんとこの鍵よ。帰るときにまた声を掛けてちょうだいねぇ。」


 ありがとうございます、と香澄さんと一緒にお礼を言って頭を下げ、それから香澄さんの部屋番号に向かう。


「さて。これからどうするかですが…。まずは、私が入って30分程様子を見てみます。この部屋が悪いのか、香澄さんの方に怪奇現象の原因があるのか調べたいので。」


 一緒に入って確認しても良いんですが…その様子だと部屋に入りたくないですよね?と聞くと、彼女はすぐさま大きく頷く。心なしか顔が先程より白く見える。

 くだんの霊は彼女自身にいているようには見えないので、答えはほぼ出ているようなものだ。十中八九、部屋に憑いている。

 だがまぁ一応、試すに越したことはない。私が視誤みあやまることもあるだろうし。


「40分経っても出てこなければ、ドアを開けてください。」


 鍵を開けながら私は香澄さんにそう告げて、早々にドアノブをひねった。


「えっ……!だ、大丈夫ですか……?」


 不安げに聞く香澄さんに、私は振り向きざまに「大丈夫ですよ。」と軽く告げて、ドアを閉めた。

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