依頼その1

第7話:依頼者

 土曜日。朝食を食べたら、私と兄はすぐさま事務所に移動する。と言っても、自宅であるマンションからは、徒歩2分程で着く。

 いくつもの小会社や、個人経営のお店が入っているような、小さなビルで、私と兄はそこを借りて、基本土日のみの営業で、何でも屋を営んでいる。


 真新しい茶葉を入れたティーポットにお湯を入れて、暫く待つ。薄く草色が出てきたと思ったら、直ぐに湯呑みに注ぐ。シックなローテーブルに置いて、時計を見れば時刻は午前10時。依頼主は『午前10時過ぎに伺います。』とメールに書いていたので、そろそろ来るだろう。ちなみに、霊が見えるかどうかを判断するためにも、兄には同席してもらう。


「ねぇお兄ちゃん、ちょっと見て。私の身だしなみって大丈夫かな。」


 給湯室の隅に置いてある姿見の前で、身体を捻って後ろを見ようとする。兄は「うん、大丈夫だよ。相も変わらず、今日も僕の妹は可愛くて格好良くて最高だねぇ。」と、まるでアテにならない答えを返してきた。兄に聞くのが間違いだったかな。と思い、まだ何か呟いている兄を放って自分で確認する。


 白のブラウスに、紺のスーツベストとスーツパンツのセット。それから、浅葱色の大ぶりな石を縁取りしたネックレス。これが私の『何でも屋』としての正装。この間、何でも屋として動いている最中に、和葉にバッタリ出くわしたのだが、翌日学校で和葉は「やだイケメン!って思ったら琴凛だったからビックリしたよ~。どこぞの執事さまみたいだった!」と言っていた。


 ちなみに、仕事に相応しくなさそうな、酷く派手なネックレスをわざわざ着けているのには意味がある。この石には、あやかしの気にあてられて酔ってしまうのを防ぐ効果があるのだ。ザックリと言うならば、人酔いならぬ、あやかし酔い防止のネックレス。これが無ければ、私は依頼を遂行する最中にあやかしの気配に酔って、運が悪ければ倒れる可能性も出てくるだろう。なのでこのネックレスは無くてはならない存在だ。


(うん。糸がほつれている箇所もないし、シワになっている箇所もない…かな。大丈夫そうね。)


 そうこうしていると、ヒールで階段を登ってくる音が聞こえる。多分、というか十中八九依頼主だろう。やがて控えめなノックの音が聞こえ、私は入り口へと向かった。


「本日は、何でも屋『ヴネ・メデ』をご利用下さり、ありがとうございます。先日、メールの方で依頼して下さった、花澤香澄はなさわかすみさんですね?」


 はい、と頷く女性――香澄さんは、視線を彷徨わせ、指先をせわしなく動かしている。心理だの何だのといったものにあまり詳しくない私でも、パッと見てすぐに分かるほどの緊張だ。

 それから、名刺を渡す時にチラリと見た顔は、コンシーラーで隠しきれない程の隈がとても目立っている状態だった。あまり眠れていないのかもしれない。


 ひとまず立ち話もなんだからと、依頼主と向かい合うように、お互いソファに座る。兄は香澄さんが己を視ることが出来ない人だと分かると、私と並ぶように座って私の観察をし始めた。穴が空きそうな程見つめてくる。私の何の変哲もない横顔を見ても楽しくないだろうに、つくづく自由奔放な兄だ。まぁそんな態度でも依頼主の話は聞いてくれるので、放っておく。


「早速なのですが、お話を伺っても宜しいですか?メールに書ききれなかった事や、メールを送った以降の現象等があれば、そちらもお聞きしたいのですが…。」


 私はお茶を一口飲み、舌を湿らせて香澄さんに話を振る。膝上に置いた手を見つめていた香澄さんは顔を上げて「あ、はい。」と言ってから、ポツリポツリと話し始めた。


「えぇと……怪奇現象が起こり始めたのは、2ヶ月ほど前からです。今住んでいるアパートに引っ越してから、丁度1ヶ月ほど経ったくらの時でしょうか…。

 夜8時頃に私が仕事から帰ってくると、部屋の電気が点かないことがあったんです。電球が切れてしまったのかなと思って、新しいものに買い換えたんですけど、それでも状況が変わらなくて…。アパートの大屋さんに見て貰ったら、電球じゃなくて大元が悪いのかもしれないって、業者の方を手配してくれて。でも、業者の方は何も異常がないって言っていたんです。」

「業者の方や、大屋さんが電気の点灯消灯をしても、その部屋だけ電気の点きが悪かった…という事ですよね。香澄さんが電気を点けるときだけ反応が悪い、とかではなくて。」

「はい。大屋さんも、業者の方もとても不思議そうにしていました。」


 香澄さんは一度お茶を飲んで、すっかり乾燥した舌を湿らせる。喋り続けているだけでなく、緊張から口内がカラカラなんだろう。彼女はゆっくりとお茶を飲み込み、一呼吸置いて落ち着きを取り戻し、また話しだした。


「最初は電気の点きが悪いだけだったので、気には留めていなかったんです。でも、段々酷くなっていって…。先週、テレビを見ていたら、風呂場から音が聞こえたんです。それで、覗きに行ったら、シャワーから水が出ていて…。まさか、私がシャワーの蛇口を締め忘れたのかなと思いながら締めて、リビングに戻ったら…テレビに砂嵐が映っていて…。部屋の照明も点滅し始めて、本当に怖かったから、慌てて貴重品だけ持って外に飛び出したんです。

 それ以来、私はずっと友人の家にお世話になっています。」


 と、締めくくった。彼女は湯呑みをくいっと傾ける。


「ご友人の家で過ごすようになってから、そういった怪奇現象は起こっていますか?」

「いいえ、起きていません。」


 まぁそりゃそうだろう、と思う。何故なら、彼女に何者かが憑いているようには見えないから。十中八九、そのアパートの部屋に取り憑いているんだろうな。


「そうですか……。では、もう一度家に戻ったことはありますか?」

「はい、一度だけ…。本当に貴重品しか手に持っていませんでしたし。会社に出勤するにしてもスーツがないと、困りますから…。幸い、友人の家に泊まった翌日は土曜日でしたから、翌日取りに行ったんです。」


 彼女が怪奇現象の被害に遭っていたとしても、会社はそんな事知ったこっちゃないので、彼女は会社には行かなくてはならない。夜は眠れず、しかし会社では働き…。そういったことの積み重ねが、目の下にくっきりとした隈を作る原因になったんだろうな。


「荷物を取りに行った時は、お一人で行ったんですか?それから、怪奇現象は起こりましたか?」

「いえ。怖いので、その友人に頼み込んで、着いてきて貰ったんです。でも、怪奇現象は起こりました。私達が行くまで誰も部屋に入っていなかったのに、私が点けっぱなしにしていたテレビと照明が消えていたんです。カーテンの裾に黒っぽいようなシミが点々とできていて、それから、リビングに置いていた観葉植物も倒れていて…。

 それでも、友人と2人で大丈夫って言い合って強がってたんです。そしたら……。」


 彼女の言葉が途切れ、不思議に思って顔をあげると、彼女は顔を真っ青にしていた。思い詰めたような表情を顔に浮かべて、やや下向きに俯いていた。


「なにか、あったんですか?」

「……私の友人が、見たって…。」

「見た?」


 兄も彼女をチラリと見る。


「テレビに映る、髪の長い女の幽霊を……。」

「……女の幽霊、ですか。」


 女の幽霊か。それほど強い怪奇現象が起きているなら、よっぽど強い想いで現世に残っていることだろうし……んー、これは面倒な事になりそうだ。


「すみません。こんな相談して…幽霊退治なんて、無茶苦茶ですよね。」


 半ば諦めたような声だ。聞けば、彼女はこれまでに3つの何でも屋に2つの探偵事務所に行ったが、依頼の内容が幽霊退治だと知ると、まともに取り扱ってくれなかったらしい。そりゃあそうだ。『視れない』人間がそんな話を聞いたところで、作り話か何かだと思うだろう。

 不安そうにこちらの様子を窺う彼女の目を、私はしっかりと見て、ニコリと微笑む。それから、穏やかな声音を意識して彼女に言葉を返す。


「大丈夫ですよ。ここ『ヴネ・メデ』では、怪奇現象の解決も承っておりますから。……ですが…少々問題が御座いまして…。」

「問題、というのは……?」

「女の霊というのは怨嗟の念が強い傾向にあり、それに当てはまる霊というのはどうしても現世に残りたがります。なので、今日明日に解決というのは、難しいかと。」


 そういうと、彼女は身を乗り出して、


「で、では…!私の部屋で起こっている怪奇現象を、解決していただけるんですか…!?」


 と聞いてきた。私は、彼女に対して力強く頷く。


「えぇ。この問題、必ず、解決いたします。」


 香澄さんは、涙ぐんだ顔で「ありがとうございます……!」と言って頭を下げた。私はそんな彼女にもう一度軽く微笑み、お茶で一息吐いてから、


「ところで香澄さん、その件のアパートはどちらに……?」


 と聞く。事が長引けば、彼女にもこちらにもメリットはない。短く済ました方がお互いの負担は少ないだろう。善は急げということだ。メールには事務所からそう遠くない所にあるとの事だったが、仔細は知らない。そう遠くないと良いが…。


「えぇと、ここの最寄り駅から2駅横なんです。駅からは徒歩15分くらいかと…。」


 香澄さんの返答に、これならすぐにでもアパートに伺えそうだと安心する。


「それはよかった。早速、そちらのお部屋を実際に拝見したいのですが…。」


 そう区切って、香澄さんの方を窺う。自らを襲った数々の怪奇現象を思い出してか、顔色は悪いものの、やはり早く解決はしたいようで「だっ、大丈夫です。」と決心のついた顔でそう言う。


「それでは、行きましょうか。」


 あぁ、それは置いといて下さい。と私は湯呑みを指して香澄さんに言いながら立ち上がって、私は黒い人造皮革の肩掛けカバンを手に取った。

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