第5話:兄の不思議

 風呂を手早く済ませ、冷蔵庫を開ける。冷蔵庫に搭載されているAIが言う夕食の提案を聞きながら、今日の献立を考える。


『先日買った八宝菜と豚肉があります。袋麺の長崎ちゃんぽんのキットもありますので、簡易的な長崎ちゃんぽんを作るのはいかがですか?豚肉の、消費期限は────』


 あぁそうだった。ちゃんぽんの袋麺とスープの素がセットになっていた2人前のものが少し安くって、それにあわせて八宝菜も買ったんだっけ。豚肉はそれよりも少し前に買っていたから、悪くなる前に使おう。


「うん、それじゃあ長崎ちゃんぽんにしよう。」

「分かりました。それでは、各具材を仕舞っている場所を表示しますか?」

「ううん、必要ないわ。」

「分かりました。」


 何かありましたら、いつでもご相談ください。とだけ言ってAIは引っ込んだ。私はつい先程AIが挙げてくれた材料を取り出していく。ついでにもやしも入れてしまおうと思い、それもあわせて取り出した。それから、ちゃんぽんの袋を見てみる。商品に記載されている2人前の文字に、少し悩んでから兄に声をかける。


「お兄ちゃん、今日はご飯食べる?」

「んー…。そうだなぁ、少しだけ貰おうかな。」


 兄は実体を持たないが故に食事も必要ない。だが、人間の形を持っている以上は、形式だけでも食事がしたいのだとか。まぁこれは完全に兄の趣味嗜好の話である。けれども、本人曰く食事をすると力が漲るらしいので、一応食べてもらっている。私としても、兄が力不足で消滅しました、なんて事になればかなり後味が悪いので。

 私が2人分の器を小さなテーブルに置くと、兄が私の分のお箸を持ってきてくれる。いただきます、と言って二人でお箸を持った。テレビのチャンネルをニュースに合わせれば、丁度明日の天気予報を見ている最中だった。良かった、明日は晴れそうだねぇ。と呑気に言う兄。

 しかし私は正直な話、兄は実体が無いのにどうやって食べてるんだろう?という疑問ばかりが気になってちっとも天気予報の情報が頭に入ってこない。右から左へと流れているのが自分でも分かるくらいだ。

 そんな私の脳内の大部分を占める疑問から、私は無意識に兄をじっと見つめていたらしい。テレビからこちらに視線を移した兄と目が合った。


「やだもう琴凛ったら、そんなに見られたらお兄ちゃん穴が空いちゃうよ~?いくらお兄ちゃんイケメンだからってそんな情熱的な視線を送らなくても、」

「いやそんなことは微塵も思ってないから。」

「お兄ちゃん泣いちゃう…。でもそんな辛辣で冷たい所も好き…。」

「ありがとう。」

「すんごい淡白ぅ……。」


 私の塩対応に、よよよ…。と泣き真似をしている兄。そんな兄に私が「でもまぁ1つ気になることがあって」というと、おっ?と目を輝かせる。


「実体が無いのにどうやって食事してるのかなって。」


 兄は大きな手で顔を覆ってしまうと、「そうだよねぇ…琴凛はそういうことにしか興味ないもんね…。」とかなんとか、ぶつぶつと呟き始めた。それから少しして何か吹っ切れたんだろう、私の方に改めて顔を向ける。



「あー……。僕ってさ、小さい頃に死んだのは随分前に話しただろう?」


 確かそれは、中学校に上がる前に聞いた話だったな、と思いつつ頷く。母から実際聞いているわけではないが、事実、私のものではない母子手帳とかが、箪笥の奥から見つかっているのだ。名前は黒く塗りつぶされていて読めないが、男の子であったこと、それから私より早く出生していることから、カイであるのはまぁ間違いないと思う。


「死んでから暫くは、自分が死んだって分からなかったんだよ。てっきり皆が僕を無視しているんだと思ってさ。父さんも母さんも離婚の話ばっかで。その時、父さんが母さんにこう言ったんだ。『お前は育児も家事もまともに出来やしない。現に、カイが死んだのはお前が目を離したせいだろう!』ってね。そこで僕は初めて自分の死を知ったわけだけど……。それと同時に気付いた事もあったんだ。」


 そこで言葉を区切ると、彼は手に持っていたお箸を箸置きの所に一旦置いた。私は黙って、続きを待つ。


「身体の一部に意識を集中させると、そこを実体化させることが出来るようになっていたんだ。」


 「……実体化。」と言葉を反芻させていると、彼は分かりやすくしようと例を挙げてくれる。


「例えば、僕は今こうやってお箸を持っているだろう?これは、本来実体が無ければ出来ないことだよね。でも、僕が指先に意識を集中させていることで、手首の辺りから指先までが一時的に実体を持っている状態になっている。だから、こうしてお箸を普通に持つことが出来るんだ。」


 食べることもその原理を応用したものだよ。ちょっとというか、割と高度な技術になるんだけどね。と前置きをしてから、続けて説明してくれる。


「まず、指先を実体化させて、物をお箸で掴むだろ。そしたら、口内から喉にかけても並行して意識を集中させる。後は、普通に食べ物を食べて飲み込む。飲み込んだ食べ物は僕が吸収した判定になるから、内蔵とかまでは実体化させなくていいんだよ。」


 簡単に言ってのけるが、まず指先に意識を向けつつお箸を使うことが難しいと思う。言ってくれたらお箸じゃなくてスプーンやフォークを出したのに…、と思った。だが問題はそれだけではないとも思うのだ。

 例えるならば、「右手と左手に鉛筆を持って、もう一本鉛筆を口に咥えてください。それで、それぞれ右手で丸を、左手で三角を、口で四角を一斉に描いてください。」と、言われているようなものである。

 もし私が幽霊なら、食事なんて面倒で必要の無いものはとうのとっくに投げ出しているだろう。

 実体を持たない彼が食事を趣味嗜好に出来ているのは、実体化できる才能と器用さ、諦めない執念深さ。それから、たゆまぬ努力による結果であろう。

 私は心の中でひっそりと兄に拍手を送った。しかし現実でそれをすると面倒臭いことになるので、心の中だけに留めておいた。

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