第4話:帰り道と兄


「ふぅ………。今日はここまでかな。」


 同級生とお辞儀をしあって、最後の試合を終了する。竹刀を片付けて、防具を外したら更衣室で制服に着替える。体育館の外に出てみれば、雨はちらほらとしか見えなかった。これなら言霊を使わずとも、ちょっと走れば問題ないだろう。学校から家までは徒歩10分にも満たないのだ。

 アスファルトが街灯に鈍く照らされている中を小走りで走る。薄く広がった水が、足をついたところから、音を立てて小さく跳ねてはアスファルトに還ってゆく。

 黄昏時。逢魔が時とも言うこの時間帯というのは、私にとっては厄介な時間だ。街灯の上からこちらを見下ろす黒い影。水溜まりに移る奇妙な足。電柱の影からこちらを見る幾つもの目。私は、幼少期の頃からそういった人ならざるモノ達と共生してきた。襲われぬように目を合わさず、時に見て見ぬふりをする。襲ってきたならば言霊で対処する。それが私の小さい頃からの日常だ。

 それからもう1つ、他の人の普通とはちょっと違う日常があって――


「琴凛。」

「!…………なんだ、お兄ちゃんか。」


 少し強くなった雨の中、私の視線の先に立つ長身の男性。普通の人には見えないその人は、自称私のお兄ちゃんで、名前はカイと言うらしい。曰く、幼くして死んだとか。名前はカイと呼ばれていたが漢字は分からず、またその呼び名もあだ名なのかちゃんとしたフルネームだったのか、それも定かでないのだそう。

 まぁ名無しの幽霊ほど信用ならないものはないと考えて、取り敢えず名乗るときはカイと言う事に決めたらしい。名前があろうが無かろうが、幽霊という時点で怪しいだろうと思うのは私の感想だ。


「『なんだ、お兄ちゃんか。』って酷いなぁ。傘を持ってない琴凛の事を思ってわざわざ家を出てきたのに…。」


 右手に差している傘を少し持ち上げて、彼は傘のアピールをする。しかし彼は今周りの人から見えていない。なので、この状況を一般人が見れば傘が浮いている立派な怪奇現象だと捉えるだろう。そういう通報されかねない行為は止めて欲しいが、親切にも傘を持ってきてくれたのでそこは感謝しておく。


「ありがとう、お兄ちゃん。じゃあ、傘が浮く怪奇現象が起きてるって通報されない内に帰ろうか。」


 一応人目を気にしてなのか、ただ単に一緒の傘を使いたかっただけなのか、はたまた自分が使うつもりでなかったのかは知らないが、傘は1つしかない。実体を持たぬ幽霊ならば傘は要らないだろうと思ったが、だからといって仮にも兄である人物を雨の下に晒す事はしたくないので、身を寄せあって傘の中に入る。

 兄は多分180cmはゆうに越える高身長だが、対して私は160cm丁度くらいなので、身長差的に私が傘を高く持ち上げている。兄は「僕が持つって言ってるのに、頑固だなぁ」とかなんとか言っている。訳もなく傘を高くあげているのはなかなか変な格好だが、傘が一人でに浮くよりマシだろうと私は思う。

 そうこうしている内に、私達の住むマンションの入り口についた。誰にも見られることなく帰ってくることができて、一安心だ。そっと安堵の息をついて、エントランスの暗証番号を入力すると、入り口のドアが開く。エントランスの窓口に座っている警備員さんにぺこりとお辞儀をして、エレベーターへと向かった。エレベーターはたまたま1階に降りていたようで、ボタンを押せばすぐにドアが開く。私と兄の二人で乗り込み──重さ的には私一人だけだろう──、『8』のボタンを押す。エレベーターのドアが閉まりきったのを確認してから、私は兄に話しかけた。

「今日はありがとう、迎えに来てくれて。道中で誰かに見られたりしなかった?」

「どういたしまして。今日も、誰にも見られていないから琴凛は安心して良いよ。琴凛こそ、こんなに帰ってくるなんて危険だよ。もう少し早く帰るか、それか僕を学校に連れていくのはどう?」

 兄の提案に、私は難色を示す。早く帰るのは、剣道があまり出来ない。かといって、学校に兄を連れていけば、もし兄が視える特殊体質の人が見たら一発アウトである。兄には申し訳無いが、それは断らせてもらおう。


「や、流石にそれは―――」


 と言ったところで、チーン、という音と共に「8階です。下に参ります。」というアナウンスが入ったので、口をつぐむ。ドアが開き、エレベーターに乗ってくる、ベビーカーを押した女性と入れ替わるように私達は降りた。

 赤子はすれ違いざまに笑顔で手を振る兄をじっと見て、それから喜んでいたが、その赤子の様子を不思議そうに見ていた母親の方はどうやら見えていないらしい。喋るのを止めていて良かった。


 傘立てに傘を入れて、家の鍵を取り出す。鍵を開けて、ガチャリとやや重いドアを開くと、暗い室内が私達を出迎えた。どうやら母はまだ…というより、「今日も」家には帰っていないらしい。まぁ1週間に1回程度、それも日時はランダムでしか帰ってこないので、ほぼ常に家にいる兄曰く、平日の昼に帰ってきている事もある。なので、最早もはや生存しているかどうかも良く分からない母だ。家族としての共同生活など、はたから諦めている。


 ローファーを脱いで、向きとかかとを丁寧に揃える。そろそろまたローファ-を磨かないと、と鈍くなった靴のツヤを見て考えた。そんな私の考えを汲み取ったのか、兄が「そのローファ-、今度の土日に磨いておこうか?」と提案してくれたが断った。


「何で断るのさ。」

「お兄ちゃん、実体無いんだから磨くにも磨けないでしょう?」

「実体が無いって言ったって、僕には言霊だってあるし…。ある程度の物なら念じれば思い通りに動くよ。」


 私の兄は、私と同じように言霊の力を使うことが出来るらしい。その能力値が幾らかは知らないが、軽い気持ちで物を動かしたり出来ることから、まぁまぁな実力者であろうことは窺えた。

 それから、幽霊特有の能力かは知らないが、念を込める事で物を操ることが出来るらしい。ポルターガイスト現象何てものも存在するのだから、幽霊なら多少なりともそれくらいは出来るんだろう。……多分。


「そのよく分かんない能力も言霊も使う必要ないよ。私の靴は私が磨くから。」


 明日は金曜日だから、明日の夜にでも磨こうかな。と呟きつつ昨日の朝刊の1頁をくしゃっと丸めて、濡れたローファ-に突っ込む。ローファ-の中が埋まるまで朝刊を突っ込んで、私は手を洗おうと洗面所に向かった。


「僕の妹はしっかり者だなぁ。あの自堕落な母親から、どうやってこんなとても良い子が生まれるんだろう?」


 私が傍に置いたリュックを言霊か念力かで持ち運びながら、兄はそうボヤいた。

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