第三部 一章 ローゼンハイツ領(IV)
視界が暗い。瞼を降ろしているのだから当たり前である。俺は意識が少しずつ水底から浮かび上がっていくような感覚を楽しんでいると、
「ハヤト、起きて。ねえハヤト、起きてってば」
揺蕩う意識の中で誰かの声が聞こえてくる。微睡みから意識を浮上させてゆっくりと目を開けると、そこにはリアナがいた。
「やっと起きたわね、なんでそんなにぐっすりと眠ってるのよ」
「長旅の疲れを癒してたんだ。あとこのベッド凄いな、身体が沈むぞ」
「貴族の客室なんだから当たり前でしょ、学院みたいな寮じゃないんだから。それより、夕飯の時間よ。両親と姉さまと顔合わせがあるから顔洗ってきなさい」
リアナに言われて俺は顔を洗い、いつの間にか剣に戻っていたツィエラを腰に差して支度をする。
「なんで夕食を食べるだけなのに帯剣するのよ」
リアナが呆れたように指摘してくる。
「ツィエラを一人にするのは可哀そうだろ?」
「いや、精霊界に戻せばいいでしょ」
「そんなことしたら俺の霊威が溢れ出すだろ、最近は霊威溜まってるんだよ」
「そういえばツィエラに常に霊装顕現になってもらって霊威を消費してるんだっけ? アンタも大変よね、身に余る霊威を持って。でも流石に精霊界に戻すことは出来ないわね」
リアナは呆れながらも事情を思い出したようで、精霊界に戻す案は取り消してくれた。
「とりあえずツィエラで一発抜いておけばしばらくは大丈夫だと思うんだけど、流石にまずいか?」
俺が霊威解放で霊威を消費しておきたいと言うと、
「は、はぁ⁉ あ、アンタ! ツィエラで一発抜くってどういうことよ! このハイグレード変態!」
いきなりリアナが怒鳴りだす。霊威解放で何故そんなに? と思いながら、
「なんで霊威解放の話でハイグレード変態になるんだよ……」
俺がそう言い返すと、
「霊威解放……? い、一発抜くって霊威解放で霊威を抜くってこと?」
「それ以外に何があるんだ?」
「言い方が紛らわしいのよ! このバカっ!」
リアナに良く分からないキレ方をされるが、俺は全く意味が理解できず、
「どこが紛らわしいんだ?」
なんて聞き返してしまった。
「そ、それは……」
「それは?」
リアナが口をまごまごさせて中々答えずにいると、ツィエラが見かねたように実体化して、
「ハヤト、女の子にそんな事言わせたら駄目よ? リアナは本棚はがっつりでも本人はむっつりなんだから口にするのは恥ずかしいのよ」
「なんで今むっつりとがっつりが出てくるんだ?」
「リアナはね、私で一発抜くって意味を男女の夜の営みだと捉えたのよ」
ツィエラに説明されてリアナの顔が赤くなっていく。
「……さすがはがっつリアナ、想像力が豊かだな」
「アンタが紛らわしい言い方をするからでしょ⁉ 霊威解放なら最初からそう言いなさいよ!」
「悪かったな、ツィエラには今までそんな感じで伝わってたからついリアナにも同じように言ってしまったよ。確かにがっつリアナには刺激の強い言葉だったな」
俺は謝罪と共に新しいからかいの種を見つけてニヤリとしながらリアナを見る。
その顔を見てリアナはまた余計な弱みを握られたと気付いたようで、
「……両親に余計な事言ったら灰にするから! 良いわね?」
そう言って念を押してくる。
その時、
「お嬢様、ハヤト様、そろそろ食卓へいらっしゃってください」
メイドが部屋の側まで近づいてきて声を掛けてくる。
その瞬間、ツィエラは霊装顕現に戻り、俺はツィエラを腰の鞘に差す。
「で、結局ツィエラは置いていかないと駄目か?」
「普通に考えたら駄目に決まってるでしょ、仮にも貴族相手に帯剣して会うって戦意がありますって言ってるようなものでしょうが!」
リアナにそう言われて、俺はしぶしぶツィエラをベッドに立てかける。
(何かあったら逃げるなりなんなりするんだぞ?)
(ええ、分かっているわ。心配しないで夕食を楽しんできなさい)
ツィエラとそんなやりとりを交わして俺とリアナは部屋を出る。
部屋の外にはメイドが既に待機していて、
「お二人以外は既にお揃いでございますよ」
そう言って俺たちを食卓へ案内するのだった。
メイドに連れられて俺たちは食堂に到着する。
食堂に入りメイドの案内に従ってミルティアーナの隣の席に着く。正面にはローゼンハイツ家の当主であろう男が座っていた。
「皆様お揃いになられましたので、お食事を運んでまいります」
そう言ってメイドが食堂から出て行く。
さて、席に着いたはいいが何を話せば良い? 正直公爵家当主に興味はないしリアナの家庭にも興味はないのだが……。おそらくミルティアーナも似たようなものだろう、それに加えて貴族に対する悪感情があるから余計な事は話さないだろうし、淡泊な会話になるかもしれない。そう考えると来ない方が良かったかもな、珍しい食事に釣られたのは失敗だったか。
俺がそう考えていると、
「娘と学院で仲良くしてくれて感謝している。ローゼンハイツ家当主、ガレス・ローゼンハイツだ。隣は妻のテレサと長女のシルフィアだ」
ローゼンハイツ家当主が口を開いた。それと同時に妻として紹介されたテレサ婦人が笑顔を向ける。
長女のシルフィアは俺たちから何かを見定めるような目を向けている。
「ハヤトです」
「ミルティアーナです」
やはりミルティアーナはローゼンハイツ家も警戒しているらしい。声音から警戒心
の強さが伺える。
「先に言っておくが君たちをどうこうするつもりはない。ただ、娘を短期間でここまで育てた友人、という存在に興味を惹かれてね。少し話してみたかったんだ」
「私達が育てたのではなく、リアナ様の努力の賜物だと思います」
流石に公爵家全員が揃っている目の前でリアナと呼ぶわけにはいかないのでリアナ様と言っておく。
あれで本当に貴族の令嬢だからな、あいつ。
そんな考えが伝わっているのか、リアナから凄い目で睨まれている。
「ハヤト君と言ったか、リアナが言うには君が学院に編入してからリアナは劇的に実技が伸びたと言っていたが?」
リアナはそんな事まで話していたのか。てっきり俺が編入してからなんて言っていないと思っていた。いつもみたいに見栄を張って入学後から、とでも言ったのだと思っていたが、どうやら違ったらしい。
「……確かに、私が編入した後からリアナ様の実技は目を見張るほどに向上しました。しかし私は霊威の制御のコツを教えただけでそれ以外は大したことは教えていません」
実際俺がリアナに教えたのは霊威制御の鍛錬のみで、他の実技は特に教えていない。精霊魔術も、霊装顕現すらも教えなかった。精々が火焔球の連射を勧めてみたり大嵐炎舞を使ってみたらどうだと言った程度。本当に俺がリアナに教えたのは霊威の制御だけだった。
「彼はそう言っているが、どうだ、リアナ」
「確かにハヤトはあたしに霊威制御の鍛錬を見てくれたわ。しかも実技の時間付きっ切りでね。かわりに放課後あたしがハヤトの座学を付きっ切りで教えてたけど。他にもハヤトと依頼を受けて学ぶことも多かったし実技以外でもハヤトから学んだ事は多いわね」
リアナ、実技の時間付きっ切りとか言わなくてもいいだろ……ほら、リアナの姉が冷淡な目で俺を見てるし。嫌な予感しかしないぞ。
「ミルティアーナ嬢もリアナが世話になっている。君にも実技を教えてもらったそうだな」
「いえ、私が編入した時には既にリアナ様は他の学生より頭一つ抜き出ているくらい霊威の制御に長けていましたから、私は何もしていません」
ミルティアーナは相変わらずガレス・ローゼンハイツを警戒しているのか、毅然として振る舞い心絆されまいといった雰囲気を漂わせている。ミルティアーナほどじゃないが俺も正直リアナを短期間でここまで育てた友人、という理由で呼び出されたことに今更ながら不信感を抱いている。最初はリアナの友人として、客人として扱ってくれるのだろうが、途中からローゼンハイツ家に仕えないか、などの勧誘に変わっていく可能性もあるだろう。ローゼンハイツ家の人間と話す時は少し話す内容は考えるべきだろう。
そうしてガレス・ローゼンハイツとぎこちないながらも会話を続けていると、料理が運ばれてきた。
「本日はローゼンハイツ領の特産である魚のムニエルをメインにいたしました」
ムニエル。確かに学院のある街は海からは遠く、魚が非常に高く、そして品質が悪いため口にすることはない料理だ。リアナは珍しい料理を出すという事を覚えていてくれたらしい。そんなムニエルに舌鼓を打っていると、
「ところで、二人はせっかくローゼンハイツ領に来たんだ。よかったら街の散策などしてみてはどうかね? 学院のある街とは違って古い街だが趣があって中々悪くないと思う」
ガレス・ローゼンハイツが突然そんな事を言う。確かに、馬車から見えた街並みも学院のある街とは違って全体的に古い街、という印象だった。建物がボロボロという意味ではなく、街全体が歴史を持っているとでもいうのだろうか、活気もありつつ、どこか古い町並みを思わせる雰囲気だった。
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