0・4 消化しきれない、この気持ち
「どうしよう……」
リサは初めて目にしたモンスターに気圧され、それとの初戦に美結の命がかかっている、という重すぎるプレッシャーを感じて半泣きになる。
家を出るときに、動きやすいパンツスタイルだから戦闘も安心、なんて思っていたのが嘘のようだ。
夏の夜、そして緊張が発汗を誘う。リサは、鞄から出したペットボトルを半分ほど一気に飲んだ。
かといって、尻尾を巻いて逃げるなんてもっての外である。
リサにとって、美結は親と離れ離れになった悲しみから救ってくれた恩人だ。
その恩を今ここで返さなくて、どうするというのか。
リサは覚悟を決める。
「えーい! 私は! 28兆の女だー!」
決心の決め手は28Tもあるステータス、「想像」。大胆にも、端数の2000億は切り捨てていた。
グイっと袖で目元をぬぐい、私は28兆の女、と念仏のように唱えれば、自然に足が前に出る。
荷物を肩から下ろしたリサは、角を勢いよく飛び出した。
正面の、すごく大きいスライムが、ぽよんと跳ねて、3メートルも距離を潰してくる。
速い。そして、すごく大きい。
目の前の怪物は、リサが思い描くスライム像から掛け離れている。
リサが思うに、スライムらしいスライムとは、サッカーボールくらいの大きさで、体内に分かりやすい核があって、包丁でサクッと仕留められるくらいに可愛らしい奴らのことだ。
対してこの大きいのはどうか。
体育祭で使う大玉転がしの倍ほど大きく、ジェル状の体内に見える握り拳くらいの大きさの核は3つあるではないか。
やはり手に握った包丁の刃渡りでは、このスライムは倒せなさそうだ。
「やっぱりきみ、大きいよね? それともスライム界じゃあこれがレギュラーサイズなのかな」
(ぷるぷる)
「だよねっ? きみも頑張ったんだよね」
(ぷるぷる)
リサは、巨大スライムと談笑し始めた。
手を出して勝てるイメージが湧かないリサは、せめて美結の
「私は橘リサ。きみは?」
(ぷるぷる)
「うーんわからん。ね、名前付けていい?」
(ぷるぷる)
「でかスライム……ミックス、大玉……」
(ぷるっ)
「そうだ、『クランスライム』とかどう?」
(ぷるぷるぷるぷる!)
できれば、このまま戦わずにやり過ごしたい。
そんなリサの甘い考えは、スライムには通じていなかった。
ぼよん。スライムが跳ねる。
「えっ―――」
命名に気を取られていたリサは、スライムの予備動作を見逃していた。
バブルボールより大きいそれが素早く飛び上がる様子は、恐怖映像である。
上に投げた物は、下に落ちてくる。
これまで信じられてきた世界法則は、今も正しく働いている。
「うそ―――」
リサ命名、『
滝水を被ったような衝撃を全身に受けて、リサは尻餅をついた。
その一瞬で彼女は、ガッチリとスライムの巨体の中に取り込まれてしまっている。
「ん〜! もむ〜〜っ!」
死んだ。
パニックになったリサは半泣きで、いや全泣きでがむしゃらに両腕を振り回している。
(ぷるぷる?)
その頃、クランスライムは思考プログラムの中に疑問譜を浮かべていた。
クランスライムは、取り込んだ物質を情報に変換するスキル【消化Ⅲ】を持っている。
彼は、このスキルに相当の自信があった。これまでのスライム生での戦闘の大半は、このスキルを使うだけで楽に勝ってきた。少なくとも彼自身の記憶の中では、そうなっている。
それを、この娘は今も元気に
まったく、痛がりもせず。
そんなことがあり得るのか?
クランスライムは、常識を超えた怪物が肚の中にいることに、底の知れない恐怖を感じていた。
事ここに至り、【消化】になど頼っていられないと気づいた彼は、腹圧をかけて少女を潰してやろうと、ひと震えして。
「リサ!?」
スライムの体に、別の震えが走る。
2つの角のようなものと輪っかの脚を2つ持つ、鈍色の乗り物に
強者とは、得てして臆病な生き物である。
今、クランスライムは1人を捕食している途中だ。
対して、向かってくる人間は明らかに自らの命を狙ってきている。
気持ち―――魂もこもっていて、「非常識」に一時的に補正も入っているだろう。
「リサ―――!」
(ぷるぷる)
結局、クランスライムは美結に【消化】の能力のある触手を向けた。
彼の目には、彼女が虫か小鳥か、ただの餌にしか見えていなかったのだろう。
「ぴむ《美結》! むもも―――!」
結果として、それが致命的な隙となった。
(ばるばるっ!?)
一周回って落ち着いたリサが、冷静に包丁を繰り出す。
すると包丁は、狙い通りにクランスライムの生命線、3つの核のうちの1つにまっすぐ突き立つ。
クランスライムはべちゃりと体の内外に粘液をまき散らすと、慌ててリサを吐き出す。
親戚のおじさんにしてもらったジャイアントスイングを思い出す衝撃が、リサを吹き飛ばした。
「んべっ! はあっ、はあっ……」
会心の手応え。
リサは、してやったりと頷いて、スライムの体内に差し込んだ包丁を見る。
「あれ、武器置いてきちゃった……?」
クランスライムは核を1つを失い、リサは武器を失った。
最初の衝突は痛み分け。
しかし、より不利になったのはリサの方だ。
アスファルトの上で女の子座りするリサは、スライムの粘液でベタベタの体をかき抱いて絶望し。
そんなとき、リサの脇腹に飛び込んできたのは、美結だった。
がちゃん、からからから。
凄まじい勢いで自転車を乗り捨てた美結は、道路を雑巾がけするリサに追いついてきて、ハグをする。
「うあ〜ん、リサ〜〜っ! びえ〜んっ」
「ちょ!? 美結、離れて! ほら、上着溶けてきちゃってるじゃん!」
するとじゅっと音がして、美結が溶けちゃう、とリサは美結を振り払う。
そのスキンシップの一瞬だけで、美結の上着にはいくつか穴が開いてしまう。
美結はきょとんとした顔でリサの隣に座った。ごつごつしたアスファルトが柔肌に食い込んで痛かった。
やはりクランスライムというのは勘違いではなく、強敵なのだとリサは再確認した。
同時に、一筋の希望が見えてきて、ぐっと拳を握る。
「美結、急で悪いんだけど、ステータスオープンって言って」
「ふえ?」
「いいから、早く!」
美結は、音信不通になっていた友人が、得体の知れない化け物に丸呑みにされたところを見ていた。
その上でその友人に冷たくあしらわれたため、美結の情緒は完全にバグってしまっていた。
「ステータスオープン?」
そのため、困り果てたといった様子で、流されるままに唱えた文言。
何も起こらないだろうと思っていた美結の前に、神秘の画面が現れる。
□□□□□
【ステータス 藤原美結】
・Lv:1
・魂力
容量: 10K 21 (ー1100)
非常識: 81G 900M
魂総: 15K 31 (ー1100)
攻撃: 2
防御: 6
想像: 4
耐性: 6
機動: 3
・スキル
【コード・風Ⅳ】
+(選択可:1)
+(強化可:2)
・状態異常
負傷Ⅰ
捻挫Ⅱ
□□□□□
「きゃっ!? これって……」
「美結のステータスだよ。夜中にお告げ……放送っぽいやつって言ったらいいかな? そんなのがさっきあったの。美結も聞いてたでしょ」
プレゼントの箱を開けたときのように、美結はステータスに目を奪われる。
一方、リサは彼女のステータスを斜め読みするとすぐに目を
親友との合流で気持ちが緩んでしまったが、正面に目を向ければ、そこにはスライムが転がっている。
互いの戦力を大体したリサは、引け腰で立ち上がった。
リサは「想像」と「耐性」特化の能力値で、攻撃手段が無い。
美結はスキルこそ強そうだが、能力値がアリンコである。
その点、クランスライムは美結を溶かせる体を持ち、リサを押し潰せる巨体を保っている。
オッズにすればクランスライム単勝が―――その場合は賭けが成立しないから、例えにもならないか。
オッズにすれば、ね。
笑えないタイプの冗談にもリサは無理に笑うと、美結の手を取って引っ張り起こす。
「それより、その負傷と捻挫ってどんな感じ? 走れそう?」
「わ、分かんないよぅ。でも、足首が痛くて……」
自転車を乗り捨てた際に足首を捻挫してしまった。
そう語る美結は、車輪が空を駆っている自転車をちらと見ると、しょんぼりと落ち込んだ。
「そっかぁ。じゃあ、逃げるのは無しで」
「う、うん」
「じゃ、私があれの気を引くから。美結はどうにかしてスキルを使って」
さっきまでとは随分な変わりようで、リサは美結に親指を立てる。
しかしこの親友は、今なんと言ったのか。
この大きいスライムの、気を引く?
それにスキルって、どうやったら使えるの?
「【コード・風】っての、頼りにしてるから!」
美結の目は何が何やらといった面持ちで、リサとクランスライムとを往復した。
リサには、ゆっくりとステータスを眺めていられる時間が無い。
それと同様に、美結も現状を把握していられる時間など、どこにも無かった。
(ぷるぷる)
(ぷるぷる)
(ぷるぷる)
(ぷるっ)
「―――来る!」
無音の身じろぎは、まるで咆哮のようだ。
リサはじり、と足を肩幅に開いて、素人ながら戦闘態勢に入った。
今まで、核に負った致命傷により半ばスタンしていたクランスライムが、いよいよ動き出す。
リサはズボンのポケットから、スマドロを取り出した。
まともな武器が何もないので、一番マシな装備品は何かと取り出したのがただの板である。
これでクランスライムが腹を抱えて笑ってくれたら良かったのだが、あいにく彼は野生生物。
スナップを効かせた消化触手が、リサの顔を直撃した。
「わぷっ!?」
(ぷるるるるっ)
リサは、やはり無傷だ。6兆ある「耐性」が、存分に発揮されている。
しかし、物理的にはリサは貧弱であった。
たたらを踏むリサに、クランスライムは詰め寄る。
触手が、さらに手数を増して伸びてきた。
射程が短くて済むからか、それらはリサを抱きしめる形で、しかしジャブのように鋭く繰り出される。
目を細めたリサは、なんとか伸びてきた触手のうち1本をスマドロで打ち据えた。
ラッキーパンチ。リサはスマドロを振り抜いた腕を胸の前まで戻そうとして、感じたぬるっとした感触に背筋を震わせる。
見れば、触手の残り4本が、四肢に巻き付いている。
「この、離せっ」
(ぷるりっ)
体を揺するリサに、クランスライムは後ずさった。
否、それは助走である。
リサを倒すためには、と考えた結果、クランスライムはとっくに勝算を見出していた。
「耐性」が高くとも、「防御」はどうか。
水の塊は、意外と重いものだ。
ならば、直径3メートル弱のモンスターの体重は。そして、それが自然界で磨いた俊敏さをもって、タックルを繰り出せば。
まずい、本当に死ぬ―――。
リサは、ぎゅっと目を
「タイプA、デコード」
衝撃よりも先に、美結の声が聞こえてくる。
その文言に思い出すのは、先ほど一瞬だけ目にした、スキル。
「【コード・風刃】―――アウトプット!」
放たれた2つの風が、リサを捕らえた触手にぶつかって。
(ばるばるっ?)
リサを捕らえた4本の触手を、全て綺麗に切り裂いた。
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