0・3 開花




 突然の世界変動から数分後。

 充電を終えた携帯機―――スマドロを、リサは宙に浮かべていた。


 スマドロ、正式名称をスマートドローン。

 2080年代からスマホに代わって全世界に普及した、次世代通信機だ。

 形状はスマホとほぼ変わらず。というか違いといえば性能が色々良くなって、宙に浮いているくらいのものであり、これも実質スマホといえる。


「ありゃりゃ」


 数日ぶりにメッセージアプリを開いたリサは、その通知の多さにびっくりしつつ苦笑いした。


 勝手に学校を休んで、周りの人に心配をかけてしまったことは、申し訳ないとは思う。でも正直なところ、気にかけてくれる人が家族以外にもいる、ということが、家族と引き離されたリサにとっては嬉しかった。


 リサはさらに機嫌を良くして脚をバタバタしながら、スマドロで親友に電話をかける。

 相手は、たまに塾に行くついでと称してリサの家に寄り、美味しい夕ご飯を手づから振る舞ってくれる、優しい同級生の女の子だ。

 勉強会やお泊まり会も何回か行った仲なので、ここ数日の愚行を一番に謝るなら彼女からにしよう。


 そんな軽い気持ちで鳴らしたコール音は、一度で止んだ。0:00が動き出す。

 夜更かししながらスマドロをいじる、なんてことはしない子なのに、恐ろしい反応速度である。


「もしもしー! 元気してた?」

『リ、リサぁ……! もしもし〜〜っ!』


 あ、これ元気してないやつ。

 今までの付き合いの経験でそう感じ取ったリサは、罪悪感から黙り込む。

 そんななか電話の向こうから、ぼぬんとソファに崩れ落ちる音が聞こえてきた。


「み、美結みゆ!?」

『えへへ、大丈夫だよ。ほっとしちゃって立ってられなくて』


 慌てて呼びかけるリサの声にも、美結は嬉しそうにしている。


『リサってば、家に行っても返事がないし電話にもメッセージにも反応がないし……もう、二度とこんなことしちゃ駄目だからねっ!』

「ごめんごめん、心配かけちゃったね」

『ほんとだよぉ〜』


 面倒見が良いため心配症でもある彼女は、涙声で。

 ここ3日間の気持ちを思うと、そんな美結に何も言えなくなるリサなのだった。


『さっきまで何してたの?』

「お父さんからのメッセージ、読んでたの。ちょっと難しい話だったから、読むのに必死になってたらいつの間にか3日経ってた」

『突っ込みどころしかないねー?』


 安堵してか呆れてか、美結は溜め息を吐く。


『ご飯はちゃんと食べてたの? 洗濯物と食器は、リサちゃん1人暮らしなんだから溜め込んじゃ駄目だよー? 今日はちゃんとベッドで寝て―――ううん』

「美結?」


 おかんか、という突っ込みを入れる間も無く、美結は不穏な3文字で言葉尻を切り上げた。


『私、今からリサちゃん家に行くね。ちょっと待ってて』

「美結!?」


 何を言い出すんだ、とリサは絶叫する。


 世の中にはダンジョンが発生したばかりで、何が起きるかわからない。

 こんな時に不要不急の外出など、どう考えても危険すぎる行動だった。


 しかし考えてみれば、美結は今の世界の状況をよく知らないわけで。

 リサも美結の立場なら、自転車でなら一人で出かけても大丈夫、などと思ってしまうだろう。ここ辛庭からばは市内に自衛隊の駐屯地があることもあり、治安がいいから尚更だ。その気持ちも理解はできる。


 とはいえ、今の世界情勢を分かっているリサにしてみれば、そんなだからこそ心配になるというもの。


「美結、駄目だよ! わ、分かった。じゃあ私が美結の家に行くから―――」

『あら、リサちゃん』


 半ば叫ぶような勢いで説得をまくし立てるリサが、返事のないスマドロを両手で握りしめていると、しばらくして返事が返ってくる。


美咲みさきおばさん! 止めて、美結を止めてあげて!」

『あら、美結なら携帯旅行セット引っ掴んで、もう自転車で出ていったわよ?』

「むぐぅ、あんの暴走天然ドジ……!」


 威嚇する猫のような高音で喉を鳴らしたリサは、慌てる心を鎮めるために部屋の隅のベッドにダイブした。

 スマドロを投げ出してどうしたものかと頭を悩ませるリサは、眠気も吹き飛んだ様子でベッドの上で身じろいでいる。

 リサにとって美結の外出は、数日ぶりの布団の感触もおちおち楽しんでいられない一大事だった。


『ふふ、とっても仲良しなのね♪』


 バタバタと布団を脚で叩くノイズ音に、美咲おばさんは呑気に笑うと皿洗いをしに行った。

 美結の天然っぷりは、この人から遺伝しているようである。



 電話を切ったリサは、暗い部屋の中で仰向けになって、頭を抱えていた。


 美結は、スマドロも持たずに家を飛び出したのだという。

 道端からどんな化け物が出てくるかも分からない、情報のまったく無い世界に、だ。


 天の声いわく、この世界には、ダンジョンが。モンスターが。スキルが。そしてステータスが追加されたらしい。


 ステータス。

 つい昨日まで、社会的地位とか身分とかいう意味だったこの英単語はもっぱら今日から、キャラクターの能力値という意味で使われることだろう。


 それは筋力とは別の、キャラクターが宿す行動力の最大値のことで。

 リサはこの世界での能力値が、人間の常識の範囲内に収まるように設定されているなどとは、到底思えなかった。


 だから、リサは美結を心配するのだ。

 町中に、常識外れのステータスを持ったモンスターが、もし現れたならば……と。


 それが杞憂だったらいいけど、とリサは目を瞑る。

 ここ3日の疲れが押し寄せてくるが。眠れる気は、一切しなかった。


 そうして悶々とすること、また1分ほど。

 リサは天啓を得たとばかりに、かっと目を開く。


 いや、何を迷うことがあるのか。

 さっき、新しくなった世界を生き抜いてやる、と自分で決心したではないか。

 自分は何がしたい? 美結の警護がしたい。

 そのためには、どうすればいい?


 リサは、色々考えてしまうことをシンプルに先鋭化して、その答えをつかみ取る。


「ステータスオープン!」


 思い切ってキーワードを唱えると、リサの前に薄い半透明の板が突然浮かび上がった。


 暗い部屋の中でも、記された文字がしっかり読める。淡く発光していて、そのくせ半透明。

 2140年の今となっても、それは超技術と呼べるものだった。


「ふむ」


 リサはすっと目を細めて、おもむろに立ち上がる。


「ライデン」

『ゴワス』

「明かりをつけて」

『ドン』


 声に反応して、太鼓の音と共に点灯した部屋の明かりに、リサは満足げにベッドの縁に座った。


『ゴワス』


 大手家電会社製のシーリングライト、ライデン。22世紀になって更に感度が向上した音声操作機能は、やはり便利だ。


 気持ちを切り替え、浮かぶ半透明の画面に意識を戻す。

 周囲の明るさに合わせて画面の明るさを調節してくれるステータス画面の気配りが心憎い。



 □□□□□


【ステータス 橘リサ】

・Lv:1


・魂力

 容量: 44T 500G(ー1100)

非常識: 12T 500G

 魂総: 57T     (ー1100)


 攻撃:  3

 防御:  5

 想像: 28T 200G

 耐性:  6T 300G

 機動:  5


・スキル

【工数削減Ⅴ】

+(選択可:1)

+(強化可:2)


・ユニークスキル

【情報交換】


・状態異常

 飢餓Ⅰ

 疲労Ⅲ


 □□□□□



 バグってるのかもしれない。


 リサは意味もなく寝ころび、枕に顔をうずめて深呼吸を1つ。

 ごしごしと目を擦ってから、再び画面を見る。

 が、見間違いではない。これは現実である。


 Tとはテラと読み、1兆を表す国際単位だろう。


 「非常識」が12T、つまり12兆。

 「想像」は28Tちょい、28兆。

 続く「耐性」の6T強が小さく見えるが、これも6兆ある。

 それだけではなく、「魂総」の内訳から逆算して、ユニークスキルの【情報交換】も10兆換算ということになる。


 リサは今の自分が超魔法特化であることを、なんとなく自覚した。


 それからもしばらくの間、リサは目を皿のようにしてステータスを眺めた。

 橘リサは幼少期、よく休日に父とRPGを遊んでいたので、この手の画面の見かたは知っている。


 「容量」は、下5つの能力値とスキルの総評。

 「魂総」は、それに「非常識」とやらを足したもの。


 下5つの能力値は、文字通りの身体能力だろう。

 1つ毛色が違う「想像」なる能力値は、この並びだと魔攻とかと似た雰囲気を感じる。

 気になるのは「耐性」だが、これもどうせファンタジー世界特有の何かへの耐性、といった意味だろう。


 浮かんだ考えを心に刻むように頷きながら、リサはステータス画面に指をわせる。

 これまでの常識が通用しなくなる新しい世界ではこんなこともあるとは思っていたが、ステータスを見たことで心の奥に引っかかるものが、1つ。


「なにこれ」


 やはり、「非常識」という能力値だけが、意味不明だった。


『ゴワス』

「……呼んでないよ?」

『ゴワス』


 室内の真剣な雰囲気を壊したのは、シーリングライト。

 感度が良すぎて「なにこれライデン」で誤作動を起こしたようだ。

 リサは考えの邪魔をしたライトをにらんだ。三日三晩気絶したりしなかったりしながら完徹した彼女の目は、眩んだ。


「でも、この能力値なら」


 危険かもしれない外を出歩いても、大丈夫かもしれない。

 リサはベッドから跳ね起きると、最低限の準備をして家から飛び出す。




 ◇ ◇ ◇




 美結が家を出発して10分弱が経過した。

 リサは震える肩を抱きながら、そっと路地の角から顔を覗かせる。


 片側歩道付き一車線の住宅街が、目線の先にあった。


 包丁や即席ブラックジャックなど使えそうなものを鞄に詰めて、細心の注意を払いつつ美結宅の方面の安全を確認して回ること、5分。


「居る……居るんだよね、何回見ても」


 なんとも運の無いことに、あと1、2分も経てば美結が通りかかるだろう道に、モンスターがいた。


 美結の自転車と脚力では、かなり躱せるか怪しい存在感。

 体高1メートル以上、横幅は3メートルに迫ろうかという球形。

 リサの持ってきた刃物も、打撃系武器も、通用しなさそうな液状のボディ。


 ファンタジーの代名詞、スライムがでろんと、道のど真ん中に転がっていた。



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