第22話

キャンパスノートには色はなかった。

でも、濃淡による色彩はあり、春も夏も秋も冬も、季節の違いをその濃淡から感じとることができる。

めくり続けても、目に入るのは景色の絵だけ。

美月からため息のような声が漏れる。

「結構上手いだろう」

義隆が言った。

上手いという話ではない。

まるで写真のような、それほどリアルで繊細だった。

「でも、景色ばっかりですね」

身惚れた自分が気恥ずかしかったのか、美月は少し意地悪なことを言う。

同じ場所公園の景色というのは事実だが、その絵の中身は一つとして同じものはない。

その日、その日を切り取った絵は、日記よりも詳細にその日の出来事を記録している。

「この場所が好きだから」

義隆は美月の意地悪を意に介していないのか、にこやかだ。

「私もこの場所は好きです」

美月は去年の暮れ頃に、この海浜公園の存在を知り、過ごしやすい春には、小説一冊だけを片手に、広場にシートを敷いて本を読んでいたものだ。

「もしかしたら何度もすれ違っていたかもな」

「そうかもしれないですね」

街中で友人や知人とすれ違っても、無意識のままに歩いていては例え目の前をすれ違っても気付かなかいことがある。まして、美月は小説を読み始めると没入してしまい周囲のことなど目に入らなくなってしまう。


「特にこの絵。桜の花と遊ぶわんちゃん。すごく楽しそう」

何枚か、春の絵があり、その絵の中でも桜は舞っていた。

「本当に風景の絵ばっかりですね」

「この場所もそうだけど、景色は少しずつ変わっていってしまうだろ。綺麗だと思った時に残しておかないと忘れてしまう」

写真でいいのでは?という野暮なことは言わない。

美月が景色を目に焼き付けるように、義隆は絵に落とし込むのだろう。

「この桜並木は昔よりも少し少なくなっているし、去年まであった護岸工事も今ではなかったり、人と自転車を隔てる柵も新しくできていたり」

ずっと同じものなどあるはずがない。

去年あったものが今年もあるとは限らないし、昨日みた鳥に今日も出会えるとは限らない。

「その日その日にみた綺麗を残そうと思ったら、一日では足りないぐらいこの場所には思い出があるんだ」

「思い出って、おっちゃんも去年私たちと一緒にこの街にやってきたじゃないですか」

「あれ?言ったことなかったっけ?僕は昔この街に住んでいたことがあるんだ」

初耳だ。

おっちゃんの話で昔話は聞いたことはあるが、それは大学時代の頃の話ばかりだった。

「それは–」

それはいつの話ですか?と美月は聞こうと思ったが。


「義隆君」

別の女性の声がした。

その声におっちゃんが、義隆が反応する。


(ああ、そうだ)

美月の心が反応する。

(おっちゃんに会ったら聞こうと思っていたことがあったんだ)

一瞬にして鼓動が高まり、美月の後ろに視線を向ける義隆に追随できない。


「朱音さん」

片手を上げて、その声の主に返事をする。

「あら?その子はお友達?」

上品な、嫌味のない声音が、美月の背後から聞こえる。

美月は動かなくなった体と鼓動の早くなった心臓が煩わしい。


「ああ、この子は––––」

美月は呼吸を詰まらせる動機を振り払い、背後の、女性の方へと振り返った。


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