第17話
今日は金曜日。
ぼんやりと考えごとをしながら、美月はバイト先の古本屋での勤務に勤しんでいた。
まぁ勤務といっても、レジ前に座り、本を開いて待っているだけなのだが。
バイト先の[
BGMは水草だけの水槽が循環する音と、店主の弥生さんが作る珈琲の豆がひかれる音。
いや、閑古鳥とはお客のいない寂しい商売を指す言葉であって、1人でもお客がいれば正確には当てはまらない気がする。
レジで本を読んでいる美月を見つめる視線に、美月は顔を上げた。
「どうしたの?」
レジ台に頬杖をついて、美月を覗き込む流花は、部活終わり。
「美月は本当に本が好きね」
制服のスカートに体育着のジャージを羽織るというおしゃれには程遠い装いだ。
今日は自転車がパンクしたとかで、路面電車に乗っての通学だったようで、部活終わりに美月のバイト先に寄ってくれたようだ。
20時閉店までまだあと45分ほどある。
19時前から来店していた流花は、ランダムに配置された書籍に、まるで宝探しをしているように目を輝かせて店内を物色していたが、気になる本を一冊見つけて購入すると、美月が終わるまで手持ち無沙汰となっていた。
幸いなことにというかいつものことなのだが、店内には他にお客はおらず、買い物を終えた流花がウロウロしていたところで咎める必要はなかった。
「そう?」
本が好きと言われた美月は、改めて自分がどれだけ本を読んでいるのか想像してみるが、本を読むことが日常の一部だったこともあり、それがどれだけ特別なことか、想像はできなかった。
「うん。なんていうか、表情がコロコロ変わって、読んでなくても、『あー、今なんか事件起こったなぁ』とか『絶対今胸キュン的な展開になってるなぁ』ってわかるもん」
「そ、そう?」
流花の指摘に動揺してしまう。
普段は家で読むことが多く、職場でも1人で店番をしている時に読んでいるので、その時の表情を人にみせることはあまりなかった。
「そうね」
美月の後ろ。レジ台の場所から奥まったところの在庫というか並べきれなかった本が山積みされた場所で、休憩をしていた弥生が会話に突然入ってくる。
「あまり面白くない本を読んでる時なんて、まるで
本の山からマグカップを両手に持ち、こちらに出てきた弥生さんは、淵の薄い黒色メガネをかけていて、知的な女性のようだ。
「わかります。そんなに読んでて辛いなら辞めちゃえばいいのにって心配になりますよね」
流花と弥生さんは、初対面ではない。
4月から働き始めた美月の元に何度か顔を出している内に、仲良くなっていた。
片方の珈琲が入った赤いマグカップを流花に差し出す。
「わー、ありがとうございます」
嬉しそうに受け取る流花に対して、美月は羨ましそうもというらめしそうに弥生さんをみた。
「私の分はないんですか?」
「ないわ」
ピシャリとシャットアウトする弥生さんに取り付く島がない。
「これは私たち珈琲貴族のために淹れたもので、紅茶淑女には野暮なものよ」
「珈琲貴族に紅茶淑女ってなんですか?」
弥生さんの造語に美月は理解が追いつかない。
「珈琲の良さがわからない紅茶党には、私の淹れた珈琲は渡せない」
「苦すぎただけで、ミルクに砂糖を入れれば私だって飲めますよ」
「だめ。そんな邪道なもの。珈琲道には甘えなんていらないの」
弥生さんはこだわりがありすぎるのか、全国のミルク珈琲派閥に全力で喧嘩を売りにいく主張。
濃い目に入れられた珈琲の香りはとても芳しい。
香りに釣られて口をつけて、すぐにその苦さにギブアップした自分の子供舌。
極め付けは『紅茶の方が飲みやすいですよ』という発言が、弥生さんの珈琲道に『美月を入れる』ということは、鉄のカーテンによって遮断されてしまった。
対して流花は、珈琲をブラックでガブガブ飲める根っからの珈琲貴族。
手渡されたマグカップを抱え、香りを楽しみながら美味しそうに飲んでいる。
「今日はもう上がってもいいわ」
弥生さんの気まぐれは突然だ。
「せっかく友達が来てるのだから、こんなところで時間潰していたらもったいないでしょ」
経営者とは思えない発言。こんなところとは職場のことであり、時間を潰しているとは勤務時間のこと。
「今日もお客さんが多かったわけじゃないし、早くレジ締めして私も帰りたい」
閑古鳥を気にしない発言だが、実際今日は美月がレジについてからお客は5人ほどしかきていない。(流花を含む)
その内4名が古書を買い、1人はどこになにが並んでいるのかわからないこの店独特のシステムに撃退されていった。
4人合わせても3500円ほど。美月が来る前にお客が来ていたのか定かではないが、2万円も動いていないだろう。
「こんなことを聞くのも野暮ですが……このお店ってどうやって利益出しているんですか?」
店の家賃や電気ガス水道などの公共料金に、美月のバイト代や弥生さん自身の給料も、どう考えてもこのお店だけの売り上げで賄えている気がしない。
「利益?何それ?。ここは私の趣味よ。そんなものあるわけないじゃない」
「………」
弥生さんの発言に絶句する。
「昔、近所でおばあちゃんやおじいちゃんがやってる駄菓子屋やおもちゃ屋とかあったでしょ?子供が駄菓子を買いに来る、子供がゴムボールやプラスチックバッドを買っていくような感じの。そういうところと同じで、他の収入源があるか、もう引退するつもりで老後の楽しみの一つとしてやってる。そんな感じ」
「はぁ…」
確かに地元の街には、駄菓子屋やなぜか古いおもちゃばかりが並ぶおもちゃ屋が、商店街の端にひっそりとあった。
今思うと、どうやって経営を維持しているのか疑問に思うが、確かに他の収入源や老後の楽しみで続けている、と言われれば納得がいく。
そう。他で収入があったり、すでにそれなりの蓄えがあればの話だ。
青いマグカップに口をつける弥生さんからは、他で収入源があるようにも、それなりの蓄えがあるようにはみえない。
何より、美月とはそう年の離れていない弥生に、老後の楽しみ的な例えが当てはまるようには感じなかった。
「ここは本を売る場所じゃなくて、本を集める場所。正直、売れない方が私は嬉しい。せっかく集めてきた古書が売れていってしまうと、また買い戻すのが手間がかかってしまう」
にこりと笑う弥生さんは、まるで少女のように可愛らしい。
しかし何を言っているのかわからない。
よく言えば商品に愛着が湧くということなのだろうが、それは商売の中の仕入れのカテゴリーで発動してはいけないことだ。
裏でパソコンと睨めっこしている時は、きっと古書のオークションや古本ショップのサイトを延々探っているのだろう。
そんなに売れて欲しくなかったら、店内に並べずに倉庫か何かに放り込んでおけばいいのに、と思うが、それはできない、と前に弥生さん本人が言っていた。
このお店の本来の経営者、弥生さんの祖父との約束だそうだ。
毎月決まった金額の内で仕入れ、商品は必ず店頭に並べること。
それが弥生さんと祖父との約束だそうだ。
なんて甘い…。珈琲は苦くする癖に、家庭内では甘々の極甘党な環境で育っているのか。
美月がぶつぶつと、羨ましいだったり、甘やかされている、といった羨望の呪詛を呟いていると。
「どうしたの?」
と、弥生さん。
「それってもう、商売として成立しなくてもいい環境を作ってくれた––––––」
「そうね。うちのおじいちゃんは神様だ、ということね」
とても晴れ晴れした笑顔で笑った弥生さんに、こんな大人にはならないようにしようと、硬く心に誓った美月であった。
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