第15話

 街の中にある路面電車の駅。

[自由ヶ丘]という地名を冠した駅で、美月は路面電車を降りる。


 この駅は、美月が住む女子寮とは反対側、私立清風学園からも3つほど駅を過ぎた場所にある街で、3路線が入る大きな駅がある街だ。

 清風学園の生徒が休日に遊びに出かける場所の第一候補に挙げられる場所で、飲食から雑貨、アパレルに映画館にボーリング場といった、買い物に遊びと全てがこの街で完結する。


 海を前にする清風学園前駅から、かなり毛色の違う街並み。

 秋となり少し肌寒さを感じるようになった繁華街を抜け、心臓を潰しにかかっているのかというほど、角度が急な坂道を進む。

 片側1車線の両端には自転車ともすれ違える歩道があり、銀杏並木が連なり風が吹くたびに、まるで扇のような銀杏の葉が舞っていた。


 街の中心地、繁華街から離れていく美月は、友人との約束があるわけではない。

 繁華街を抜けてかれこれ15分ほど、住宅街となった街を歩いていた。


(自転車……いや、だめね)

 流花の自転車を想像したが、すぐにその可能性を否定する。

 あの装備は流花だから生かせるものであって、美月があんな前傾姿勢で自転車を乗ろうものなら、100mも進む前に倒れるのが関の山だ。

 まして、こんな急な坂道を登るなど、人の足でもつらいのに、車輪をつけていながら動力源が自身の脚力のみの道具など邪魔なだけだろう。


 繁華街からここまで離れると、喧騒は皆無に等しい。

 銀杏並木の坂道沿いには、昔ながらの喫茶店があり、個人経営の花屋さんがある。

 そんな昔馴染みを残した景観の一つに、古本屋が建っている。


 昨今のようなゲームやフィギュアなども取り扱っているような店舗ではなく、主に専門書や洋書といったそれなりに価値のありそうな古書を取り扱っているお店。

 まるで喫茶店を思わせる様な木造造り。

 支柱となる柱には黒く、壁面は木目を生かした外装で、四角の大きな窓が一つと引き戸タイプの茶色い扉。

 扉の上部には少し歩道にはみ出しているが、黒い正方形のプラスチック板に白いインクで[月見荘]と書かれた看板が設置されている。


 カランカラン。

 扉に備え付けられた来店を知らせる鐘の音。

 年季を感じる木製の扉を開けると、古い本の独特の香りとアロマの香りに満ちた空間が広がっている。

 天井まで届く大きな本棚が入り口から縦に5つ並び、壁際も同じ本棚あるため合計7つの大きな本棚が並ぶ古本屋は、まるで隠れるように営業していた。


 奥の中央に設けられたレジ台に女性が1人。来店を知らせる鐘の音が鳴ったにも関わらず、広げた本から顔を上げる素振りすらない。

 他にお客さんもおらず、店内には美月とそのやる気のない店員の2人だけ。


「こんばんわ」

 美月はレジの前まで行くと、本を読む女性に挨拶をした。

「…………」

 本を読む女性は、声をかけられると顔を上げたが、なぜかその表情は不満そうだった。

 どうやら本を読んでる最中に声をかけられたのが、大層不満のようだ。

 確かに今読んでいるあたりから察するに、物語の佳境なのだろう。

 しかし、その不満は余暇を楽しんでいる時にできる感情で、少なくとも今は仕事中のはずである。

「また商品の本読んでるんですか…。ちゃんと接客しないと、良からぬ人に大事な本が盗まれちゃいますよ」

「大丈夫。さっきの鐘の音、今日初めて聞いたから」

「そう。それならよかった……」

 鐘の音は、来店を告げる音だ。

 それが今日初めて鳴ったということは、朝から店を開いて夕方までの時間、一度もお客が来なかったということ。

「それはそれで問題な気が…」

「どうして?本が読めなくなるじゃない」

 それはお客さんが来ると接客しないといけないから本が読めなくなる、ということだろうが、古本屋としてお店を開いている以上、常軌を逸した発言だと思う。


 女性は最後まで読み終えたのか、本を閉じると改めて美月の方に顔を向けた。

「ところで今日はシフトに入っていたの?」

 少し眠そうな女性のトロんとした瞳が、美月を見つめている。

 ショートヘアの黒髪に、紺色のエプロンに黒のタートルネック姿の女性は、この古本屋[月見倉つきみそう]の店主であり、美月の雇い主である。


 高校に入ってすぐのこと。

 街の散策がてらにふらりと立ち寄った店で、バイトの募集の張り紙を見つけたことがきっかけで、週に3日ほど平日の放課後に働くようになったのだ。

『バイトの募集はまだしてますか』、と本を買う際に確認した時に、『本は好きか?』と聞かれ、『好きですよ』と答えただけで採用となった。


 ただこの女性、下月 弥生しもつき やよいは店主ではあるのだが、古本屋の経営を真剣にやっている経営者というわけではなく、祖父が酔狂で開いていた古本屋に転がり込んで、そのまま乗っ取ったようだ。

 なので、厳密に言えば、弥生さんは店主でもなく、従業員かどうかすら怪しい。

 親族経営だから為せる技なのか。詳細は謎のままだ。


「弥生さんが昨日言ったじゃないですか。明日入ってくれると嬉しいって」

 少し呆れ気味に美月はレジのそばに置かれていた青いエプロンを装着する。

 エプロンは弥生さんとお揃いの色違い。デニム生地のしっかりした作りのもので、袖はなく胸のあたりから膝あたりまでをカバーするロングタイプのもの。

「あれ?私そんなこと言ったっけ……」

 昨日の終業時のやりとりをすっかり忘れている弥生。

 本来であれば、月水金に美月がバイトとして入る日程で、火木土に弥生さんがレジに立つ日だった。今日は木曜日。本来であれば弥生さんが1人で本を読みながらレジに座っている日だったが、昨日の帰り際になぜか出れるかどうか聞かれたのだ。


「何か用事があるって言っていましたけど」

 美月がそう言っても、弥生さんはその用事がなんだったのかから思い出せないようだ。

 いつも眠そうにしている弥生さんは、どこか掴みどころがない。

 もともとのんびり屋の性格なのか、焦ったり怒ったりするような感情をみたことがなく、いつも『なんとかなるわ』、が口癖の人だ。

「あっ」

 やっと思い出したのか、弥生さんにしては大きな声をあげる。

「そうだ。今日はおじいちゃんに呼ばれてたんだ」

 おじいちゃんとは、弥生さんの祖父であり、この店の本来のオーナーであり、この奇天烈な経営状態を許してくれる神様のような存在だ。

 

 思い出してからの弥生の行動は早い。

 着ていたエプロンを放り投げると、財布だけを持ってパタパタと店の入り口へと小走りで走っていく。

「美月ちゃん、今日は適当に時間潰したら閉めちゃっていいから」

 扉を出ていく前に、店の経営者としてあるまじき発言を残して、弥生さんは去っていった。


 4月から働き初めてそろそろ半年になろうとしているため、弥生さんの言動に驚くことはなくなった。人はどんな環境でも順応できるのだと、改めて実感する。


 なにより。

 弥生さんが弥生さんだけに、この職場はめんどくさい人間関係もルールもなく、売り上げに追われるような環境営利目的でもない、完全に趣味でやってるだけのお店なので、美月にも気が楽だ。


 どうしてこんな環境なのにバイトを募集しているのか、一度聞いたことがあるが、弥生さんが毎日店に座るのに飽きたため、らしいので、本当に弥生さんのおじいさんは、神様というか孫に甘い優し過ぎる方なのだろう。


 美月も弥生さんに習い(実際にこうやって時間を潰すんだよ、と習った)、売り物の本棚からこれから読む本を物色する。

 勤務時間は17時から21時までの4時間。なぜか時給ではなく日当制で、弥生さんの気まぐれで早く終わっても日当分はしっかり給料がでる神職場。


 それに本が読み放題という特典付きという、まさに美月のためにあるような職場だった。


(今日は、これにしよう)

 美月は一冊の本を手に取る。

 古い文庫は、少し焼けがあるが、めだった汚れも傷みない。

 タイトルからするに洋館で発生した事件のミステリーのようだ。


 しかし、改めて店内を見渡してみても、この古本屋には統一性というのがまったくない。

 あらゆるジャンルの本があるのだが、それらが整理されて陳列されているわけでなく、適当に並べられているのだ。

 流石に上中下巻や、連載ものはしっかりと固まっているのだが、ジャンルとしてバラバラに配置されている。


 どこに何があるか把握しているのは店主の弥生さんだけで、どうしてこうなったのか、初めの頃に問い詰めたら『読みたいって思う本って、なんとなく目に入るものじゃない?』という、異能の回答をもらったのだ。


 しかし。

(ちょっとこの方式好きかも)

 美月はうまく洗脳されたのか、弥生さんのいう読みたいと思う本は、勝手に目につく方式を会得し始めていた。


 本を胸に抱えて、誰も来ることはないであろうレジのところに腰掛けて、本を開く。

 店内にBGMは流れていない。

 レジの裏にある水槽から、浄水装置の音だけが静かに流れていた。

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