第7話

 道具を片付け始める義隆。


 美月はその作業をぼんやりとみていたが、

「こんなに絵が上手いんだから、イラストとかで描いた絵を公開したりしないんですか?ほらSNSとかで公開したら、それだけで食べていけるようになったりするじゃないですか」

「別にみんなに見せたいわけじゃないから。それに教師は副業は禁止なんだ」

 公務員の勤労奉仕のスタンスはいまだに根強い。

 ちょっとでも副業や対価を得るような行為をしようものなら、マスコミの報道に下手したら懲戒解雇すらありうるのだ。

「趣味で描いてるだけだから」

「あんなに描けるのにもったいない」

 欲のない、というか、あくまで趣味としてだけで楽しむにはもったいないと美月は思ってしまう。

 義隆の描いていた絵は、それほどまでに美月の目には魅力的だった。


「趣味ってことは、ほかにも描いてたりするんですか?」

「まぁ、たまに写生をしたりしてるが、大したもんじゃないぞ」

 パチン!と音を立てて、義隆の絵画セット一式が一つのスケッチケースに収まる。

 片付けを終えた義隆は、美月に視線を向けると、先ほど不満そうだった表情が、今度にんまりとしたやらしい笑顔に変わっている。

 本当に表情がコロコロ変わるだ。

「また、先生の描いた絵をみせてくださいよ」

 これがもし、生まれた時が同じ学生同士であれば、恋が始まるきっかけだったのかもしれないが、如何せん教師と生徒だ。


「気が向いたらな」

 義隆の声音は、先ほどまでのやりとりのような距離感の近い感じではなく、少し突き放したような言い方だ。

 その変化に美月が気付くよりも少し早く、美月のスマホに着信が入った。

 お決まりの着信メロディーがなかなかの音量で流れ、美月はあわててポケットからスマホを取り出した。


 着信の相手は流花だ。

 ちょーど部活が終わったようで、先ほど言っていた映画へのお誘いだ。

「じゃあ、僕は帰るから、山下もあまり長居せずに帰るんだぞ」

 そう言い残して、義隆は足早に教室を後にした。


(逃げられた)

 一人教室に残された美月は、義隆が出て行った教室の扉を睨みつけるようにみていたが、今は流花の方に対応する方が先決だ。

 スマホを触り、電話のボタンをタッチする。


 耳に当てると流花の陽気な声が聞こえてきた。

「やっほー!今終わったよ!どこにいるの?」

 まるで彼氏が彼女に電話するようなテンションだ。

「散策してただけだから、すぐに合流できる」

「散策?珍しいね」

「そう?でも、夏休みの学校っていうのも、不思議な感じがしていいわね」

「人気がない学校って、ちょっとホラーだよね」

 スマホ越しに、流花がにやりとしたのがわかった。

 そう言われると、今自分がいる空間が非常にホラーな場所であることに気づかさせられる。


 誰もいない中央校舎。

 誰もいない階層。

 光源は窓から差し込む陽光だけの暗い教室。


 先ほどまでここで義隆が絵を描いていたことすら、何かしらのホラー的な要因で誘い込まれたのかと疑ってしまう。

「ちょっと!怖いこと言わないでよ」

「そう言えば、前に一年生が放課後の誰もいなくなった教室で…」

「わー!わー!聞こえない聞こえない!!」

 何かしら怖い話をぶち込んできた流花の話を、強制的に終わらせる。

 大笑いしている流花の声が、スマホ越しに聞こえるのと、窓の外からも聞こえてきた。


 窓から下を覗くと、中央棟の入り口前でお腹を抱えて笑っている流花がみえた。

「上をみて」

 スマホに向かってそう言うのとほぼ同時に、笑い過ぎて涙をぬぐっている流花が見上げた。

「なんでそんなとこにいんのよ」

「だから散策してたんだって」

「早く降りてきなよ。時間がなくなっちゃう」

「いや、それが……」

 少し言いにくそうに、美月が口籠る。

「どした?」

 怪訝そうに眉を顰めたのが見えて、美月は力なく笑った。


「…怖くなっちゃった」

 てへぺろ感を出しつつ、白状する。

 事実、先ほど意識してしまった恐怖心が、一人でこの誰もいない校舎から動くのをためらわせている。

 別に怪談話があるわけでもないが、学校という日常と非日常が両立した空間で、変に意識をしてしまったが最後、窓を閉めてカーテンを閉じ、光源の消えた薄暗い教室から出て、廊下を通り過ぎるのは、なんだか嫌だった。

「美月……いつからそんな幼女キャラを持つように」

「違うわよ!」

 呆れ気味な声の流花に、避難をぶつける。

「流花が変に意識させるから悪いんでしょ!迎えにきてよ!じゃないと立て籠るわよ」

「立て篭もるって…。トイレじゃないんだから」

 トイレに閉じこもられたら実害がありそうだが、誰も使う人がいない教室に立て篭もられたところで、放置プレイをされるのがオチだ。

「早くきてよー!ほんとちょっと不気味になってきてるんだから」

「はいはい、ちょっと待っててね」

 そう言って、流花は電話を切って、校舎の中へと入ってきてくれた。


 流花が来るまでの間、改めて美月は先ほどまでここにいた義隆の描いていた水彩画を思い出す。

 白い女性の画。

 そして、それを描いていた義隆の姿を。


 ふと視線を落とすと、義隆のスケッチケースが置かれていた机の上に、数滴、色のついた液体が広がっているのに気づいた。

 まだ乾ききっていないそれは、先ほどまで確かにここで義隆が、絵を描いていたことを裏付ける。


 先ほどみた義隆も、彼の描いていた絵も、幻でもなんでもない現実だと、改めて認識した。

 ふふ、と美月の口元が笑った。


「こ~こ~か~?」

 少し高くよく通る声を極限まで低くして、怪談話や怖い話で出てきそうな声を出して、教室の入り口に流花が顔を覗かせる。

 驚いて、顔をあげると、笑っているルカと目が合った。

「なんでこんなとこにいんのよ?」

 改めて流花から質問され、

「それは……」

 美月は逡巡した。

 先ほどまでここに義隆がいて、絵を描いていた。というのは、言って終えば他愛もない話だが、それが義隆の今までの言動や行動からは想像も付かないような事だったのだ。

 義隆はどちらかというと、アウトドアの方よりだ。

 男子生徒たちとも、キャンプの話やスノーボードの話などで盛り上がっていて、そこから絵を描くなんてギャップ萌えもいいところだ。

 何より、その絵を描くことが事態が、義隆にとって秘密事だったように感じたから。

「なんか引き寄せられちゃった」

 笑って誤魔化す美月に、今度は流花が怪訝な表女を向ける。

「マジで……」


 無事に合流した後、映画館へと二人で向かう。

 案の定ホラー映画だったため、映画館でもう一悶着あったのだが、結局は押し負けてホラー映画を見る羽目になった。

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