第2話

ため息が漏れる。

普段であれば、時計を忘れたことにはすぐに気づいただろう。

まして、忘れて言ってしまったことに気づくのに、3日間もかかるわけがなかった。

夏休みという思考全てを怠惰に陥れる魔性の期間と、何より。


(荷物重かったもんな…)

想像通りというか、流花から受け取った段ボールはとても重く、中身はライバル校のデータがファイリングされた資料だった。


このご時世に、まだ紙の資料を使っているなんて。

PCでフォルダにでもまとめればいいのに、時代錯誤もいいところだ。

ただ、流花曰く、これからデータ化するために、部室にあった資料を顧問の机に運んでいるところだったそうで、たまたま顧問が部室で荷物を整理していたところに出くわしてしまった流花が、荷物運びをするはめになった。


その仕事を押し付けられた流花もそうだが、その運んでいる場面に出くわした彼女自身も運がなかった。

2階の中央棟にある職員室にたどり着くまでに、彼女のライフポイントは限りなくゼロになってしまっていた。



そうだ。

あの日、あの時、あのタイミングで。

流花に頼まれていなかったら、私は夏休みに学校に来ることはなかったんだ。



路面電車が【清風学園前】という駅で停車する。

彼女は、思考をやめていつものように路面電車を降りた。

路面電車が出発すると、視界の先には海が広がっている。

蒼海は照りつける陽光に煌めいていて、サーフィンを楽しむ小麦色の肌の男たちに、岸辺で楽しむ家族連れたち。

平和な光景が、広がっていた。


生ぬるい潮風が吹き抜けるホームは、所々塩害で錆び付いている。

見慣れた光景に、慣れない暑さだけを呪って、彼女は校舎へと続く坂道を登っていく。


校舎が近づいてくると、学生の声が聞こえてきた。


広い校舎には、グランドが3面あり、野球部・サッカー部・テニス部・陸上部と、人気の屋外スポーツの部活が練習をしていて、それは夏休みも例外ではない。

各部活は県内でもそれなりの有力校であり、部活動の指導はかなり熱の入ったものだ。


グラウンドとグラウンドの間を抜けるように、校舎の正面入り口へと続く一本道。

左右に広がるグラウンドでは、練習着の野球部とサッカー部が、練習場所の取り合いで喧嘩をしていて、隣のグラウンドでは陸上部が各々の競技の練習をしていてる。

テニス部は今日は対外試合なのかグランドでの練習は行っていなかった。


「美月ーーーー!!」

陸上部の方から呼ばれて、顔を向けると流花がいた。

流花は体操着のショートパンツに赤のタンクトップ姿。

それなりに発育した肉体美をもっていて、いい目の保養になる。

長い黒髪を後で束ねたポニーテールが左右に揺れていて、健康的に日焼けをした流花は、清々しい笑顔でこちら側に駆け寄ってきた。


「珍しいじゃん!まさか補修でもあんの?」

「まさか!」

からかうように笑う流花は、まるで子供のようだ。


流花とは高校に入学して以来の友人だ。

流花のフルネームは山本流花といい、美月こと山下美月と名前順で前後になる。

初めての学校、初めての体育館で入学式を行ったその日、後から背中をつんつんされて振り返って以来の友人だ。


「忘れ物取りにきたの」

「なんだ。言ってくれたら、届けてあげたのに」

校舎へと続く通路とグランドを隔てるフェンス越しに、私たちは会話する。

「たしかに!」

思わず、ぽん!と手を叩いて納得してしまう。

流花の発言は、まったく思いつかなかった。

下駄箱に忘れた=自分で取りに行かないと。

という図式しか思いつかず、いつも部活で学校にいる流花に、残っていれば預かってもらうということができたはずだ。


「全然思いつかなかった!でも、流石に悪いからいいよ」

部活の練習で学校に来ている流花に、あるかないかもわからない忘れ物を確認してもらうのは、なんだか気がひける。

それに、こういうきっかけでもなければ、もっと引きこもっていた気がしていたことだ。


「ふーん、まぁいいわ!ねえ、今日はもうすぐ練習終わるから、映画でも見に行かない?私、観たいのがあるんだ」

「いいけど、なんの映画?」

「ハラハラドキドキする映画」

なぜかニヤリと笑う流花が気になる。

最近の映画情報を仕入れていない美月は、今なんの映画が上映されているのかわからないが、あの流花の表情から推察するに。

「……ホラーは嫌よ」

「一緒に観たら怖くないよ」

そうじゃない。

一緒に観たところで怖いものは怖いし、なにより映画館という環境は、叫ぶこともできない場所だ。

そんなところでホラー映画なんて見たら、叫び声を殺すだけで過呼吸になってしまいそうだ。


「終わったら連絡するから、先に帰らないでね!」

そう言って、美月の返事も聞かずに流花は練習の輪の中へと帰っていった。

去っていく流花の背中に。

「まだ行くって言ってないよー」

と、届くこともない非難の言葉を投げかけた。

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