最終話 禁断の果実
いつしか空は
エマは、王城内にあるルリアの私室でその話を聞いた。
「──葬送部隊!? ルリアが?」
バラ色の唇を引き結んで、ルリアはうなずいた。
今になってエマは、イリーダ教官がどうしてセントバーズ大聖堂から王城に招かれたかに思いいたった。
ただ教え子を訪問するためであるわけがない。エマを連れてきたのも……──にもかかわらず、何も告げなかったのも。
「次の春には、正式に配属が決まると思う」
「どういうことか、わかってるの? 亡者と戦うのよ? 王子の婚約者が……どうしてそんなことに!?」
「軍務卿の娘が先陣を切って亡者と戦えば、貴族たちや国民の支持も得やすいわ。……それが王子の婚約者だったらなおさら」
……ふざけてる、と思った。
早い話が、
ルリアを見目麗しい戦女神に仕立て上げて祭り上げ、仮に戦死したとしても悲劇のヒロインとして利用する。どちらに転んでも、政治的な捨て駒だった。
婚約話のときと同じ……本人の幸せも意思もまるっきり無視した揺るぎない決定事項。
言葉を絞り出した喉が、カラカラに乾いて。
「クロード王子も、グル……?」
「ち、違うわ! クロードは反対して……」
「じゃあ、どうして……」
「……っ。クロードにはどうすることもできない。陛下やお父様が決めたことをくつがえすなんて、誰もできないのよ……」
沈鬱にうつむくルリアに、エマは何も言えなくなった。
……当たり前のことだった。
次期王位継承者とはいえ、まだ十五歳の少年に国政をどうこうする力などない。社交界や式典に顔を出すぐらいが関の山だ。そばにいながら何もできない無力感はひとしおだろう。
せめてもの救いは、クロード王子と懇意にしているという少年が激怒して、自らも葬送部隊入りすることを名乗り出たことだろう。
ルリアに先駆けて部隊候補生として入隊し訓練に明け暮れているという話は、怒りに染まったエマの心をほんの少しだけ慰めた。……けれど。
ルリアが利用できる駒として使われているのは、何も変わらない……。
こんなことのために、ルリアは──自分たちは、死にもの狂いで勉強してきたのだろうか。なんのために……。
言葉が、ぽつりとこぼれた。
「………………逃げよう」
「え……?」
「約束したでしょ。私があなたをさらってあげる。あなたを不幸にすることから守ってあげる。悪夢にうなされてた夜みたいに、あなたを苦しめるものから守ってあげる。だから……!」
──その言葉に。
ルリアは顔をゆがめて、くしゃりと笑った。
戦う前からあきらめたみたいな笑みだった。
「…………ふふ。変わってないね──エマ姉様」
「ルリア──」
「……私、エマ姉様と、行けたらよかったね……」
「……っ」
──……ほんの少し会わないうちに。
エマになついていた子どもは、乙女の顔になっていた。
胸が締め付けられるような恋を知って、誰かのために戦う強さをもっていた。そのすべてが、たったひとりの少年のためなのだった。
エマではない──……誰かのために。
ただそれだけのために戦場を駆けることを受け入れた。
国王や父親に決められたからではない……ルリア自身の理由のために。
「……クロード王子が、そんなに大事? 私よりも?」
ルリアがさっと顔色を変えて。
……それだけで、わかってしまった。
(……あぁ……)
ルリアが、エマの気持ちに気付いていること。気付いていて、
(…………私は、どこまでも罪深い…………)
「……ルリアが戦わなきゃいけないなんて間違ってる……」
「……? エマ姉様、何を──」
ルリアの方に身を乗り出して──
戸惑っている薄桃色の唇に口づけた。
心臓がうるさいぐらいに鼓動を打って。抱きとめたルリアの胸元を、自分の汗が滑っていくのがわかった。
ルリアの喉が小さく
乾いた音が、室内に響いた。
頭に血ののぼったルリアが、エマを張り倒した音。
「……エマ、姉様……!」
エマは薄く笑った。こんな場面で笑えるのが、自分でも意外だった。
怒りに頬を染めたルリアは美しかった。
汚れを知らない純白のドレスも、耳元で揺れる涙みたいな真珠のイヤリングも、彼女の美しさを引き立てて、こんなときなのにエマは
「……衛兵を呼んで私を突き出す? 王子の婚約者に手を出したなんて極刑ものね……」
「……っ。どうして……!」
「あなたが戦場で命を散らすなんてゆるさない……」
「待って。何する気……? エマ姉様……!」
追いすがるルリアに目もくれず、エマはその場を走り去った。滞在していた部屋に戻って荷物をまとめていると、イリーダ教官が驚いて呼び止めた。
「エマ、どうしたの。何があったの?」
「先生、ルリアが葬送部隊に入るって知ってたの? 知ってて黙ってたんですか!?」
「…………っ」
イリーダの沈黙は肯定と同じだった。目もくらむような怒りに煮えくり返った。……何も知らなかったのはエマひとり。
「私がルリアにどんな想いを抱いてたのかも、知ってた……?」
「……。……そうね。知ってたわ」
──それが巫女としてゆるされない想いであることも。
エマは泣きたくなった。
なんでこんなにままならないんだろう。
大好きだった子どもは成長して、エマではない誰かに恋をして、そのひとのためだけに戦場を駆ける。
「アウグスタ様は、私の祈りなんか聞いてくれない……」
「…………エマ?」
肩に手を置こうとしたイリーダが、いぶかしむように眉をひそめた。その手を払って、エマは泣き濡れた瞳できっとにらんだ。
「──私はもう、聖女様の力になんか頼らない……!」
言い捨てて、荷物をつかんで部屋を飛び出した。
……頭の片隅で、きっとルリアは泣くだろうとぼんやり思った。
それでも、もう後戻りすることなんかできない。いつかルリアをその
──……そうして、結局、間に合わなかった。
すべてが遅すぎた。ノワール王国の滅びに──ルリアの死に、駆けつけることができなかったのだから……。
「──僕と一緒に来るか?」
クロードが言った。
ノワール王国から落ち延びた、グリモアの酒場での
目の前でルリアを亡くしたクロードを殺すつもりで捜し当てたエマに、クロードが手を差し伸べたのだ。
「ルリアの魂を迎えにいこう……」
狂気としか思えない提案をするクロードの言葉は、確かに、エマの
──
そんなことが本当にできるのかはわからなかった。それでもよかった。クロードは確かに、エマに生きる希望をくれたのだ。
嫌になるぐらい、クロードとエマは似た者同士だった。
ゆるされざる想いに突き動かされているのも同じ……。
「──おともします、クロード様」
エマの応えを聞いて、クロードが微笑んだ──残忍に。
そうして、ふたりで血まみれの道を歩み出した。
狂った音階で……。
(外伝、了。エピローグへ続く)
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