第2話 加害者家族

 結局、俺の身柄はやって来た警察官らに引き渡され、駅員室へと連れられていた。


 そこでは、いくら弁明しようとも誰も信じてはくれなかった。


 だというのに、ちゃんとした証拠も無く、嘘偽りな伊藤のたった一言だけで、俺が痴漢をしたと判断された。

 女のデタラメな証言が決め手となったようだった。


 事実かも疑わしい主張と証言ばかりが、まかり通ってしまう有り様には呆れて言葉も出なかった。


 身元を引き受けに来た父さんは、俺の声に一切耳を貸してくれなかった。

 警察官らの言うことを鵜呑みにして、俺ではなく伊藤を信じたのだ。


 未成年ということや、示談金を支払うことで穏便に済ませることになり、その日の内に身柄は解放されることとなった。






 しかし、事態はそう簡単には収まらなかった。


『これ、お前だよな?』


 友人のSNSから送られた配信サイトの動画に言葉を失う。


 そこには、俺が警察へ引き渡される一部始終の様子が収められていたのだ。

 そして、驚くべきことに動画の視聴回数は百万という数字を軽く越えていた。


 恐る恐るコメント欄へ目をやると、俺はすぐに後悔する。


「どうなってるんだよ、これっ…………」


 画面いっぱいに広がる投稿主への称賛や、俺に対する軽蔑の言葉の数々。


『同じ男として恥を知ってほしい』


『投稿主グッジョブ! あと、一生懸命に犯人を押さえる姿がカッコいい』


『こういった活動をしてくれる人達がいるおかげで、痴漢の抑止力になるから応援してる』


『こういうやつがいるから、痴漢冤罪がなくならない。学生だろうと、見せしめに厳罰にして欲しい!』


『これは晒されるべき。もっと伸びて欲しいから拡散しといた』


 思わず目を背けたくなる光景に、開いた口が閉まらない。


 ふと、スマホに映る文字にピタリと指が静止し、俺は息をすることを忘れる程に凝視する。


『こいつ、鈴木正俊すずき まさとって名前らしい』


 俺の本名が書かれていたのだ。


 それだけではない。

 通っている高校どころか、家族構成、住所までもが特定されていたのだ。


 予想外の事に頭が思考が停止し、俺は愕然とすることしかできなかった。


 その影響を受けてか、学校からは三週間の停学処分を通告された。






 ──それからというもの、事態が収束して欲しいという気持ちとは裏腹に、ネットでは俺に対する誹謗中傷が後を絶たない。


 それどころか、その矛先は時へ家族にさえ及ぶこともあった。


 おかげで、平穏だった日常は崩れ去り、家からは笑顔が消え、常に暗い雰囲気を漂わせていた。


 噂は近所中に広まっているらしく、母さんからはため息が増えるようになった。

 最近では、父さんの会社にまでイタズラ電話が来るようになり、肩身の狭い思いをしているようだ。

 妹の佳乃よしのは、俺が原因でクラスの男子にからかわれ、泣いて帰ってきた事があった。


 皆、疲労やストレスが限界に達している。


「人様に迷惑をかけ、家族を滅茶苦茶にして、お前が痴漢なんてしなければこんな事にはならなかったんだぞ!」


 父さんに胸ぐらを掴まれ、直ぐ横のテーブルに体がぶつかる。


 そんな状況に嫌気が差し、俺はふて腐れるように顔を反らす。


「…………」


「黙ってないで何とか言ったらどうなんだ!」


「…………俺はやってない」


「まだ言うか! いい加減、少しは反省の態度を見せたらどうなんだ!」


「…………」


 これ以上は言っても無駄だろうと、口を閉じる。

 そんな態度が気にくわなかったのか、父さんが拳を上げる。


 その時だった。


 ピンポーンというインターフォンの音で、場が凍りつく。


 呆気にとられ、父さんの胸ぐらを掴む手が離れる。

 母さんと佳乃は完全に怯えており、身を震わせている。


 インターフォンの画面には誰も映っていない。

 嫌がらせによるピンポンダッシュのようだ。

 ここ最近、何度かあったため直ぐに分かった。


 しばらくして落ち着きを取り戻すと、佳乃が瞳に涙を浮かべて訴える。


「何もかも、お兄ちゃんが痴漢なんてしたから!」


 佳乃は続けて言い放つ。


「お兄ちゃんなんて大嫌いっ! 大嫌い大嫌い大嫌い大嫌い! お兄ちゃんなんて、いなくなっちゃえばいいんだ!!」


 その言葉が胸の奥深くまで突き刺さる。


 佳乃はハッと我に返ると、やってしまったと言わんばかりに、みるみると顔を青ざめさせた。


 俺は突き放されたショックで、居ても立ってもいられなくなり、その場から離れようとする。


「お、お兄ちゃん!」


 止めようとする佳乃の手を振り切り、俺は部屋へ逃げ込んだ。


 カーテンが閉ざされ、暗闇に包まれた部屋の角にうずくまる。


「なんで誰も信じてくれないんだっ……!」


 悔しくて悔しくて堪らない。


 唇を噛み締める力が強まり、血が滲み出る。


 






 ──あれからどれくらいが経っただろう。


  薄暗いながらも、じっくりと目を凝らしてみると時計の針は十一を示しているのが分かる。


 無音の空間に、グウゥと腹の虫が鳴る。

 夕食を取らず、何も口にしていないので無理もない。


 仕方ない。何か、食べ物がないか見に行くか。


 重い扉を開け、俺はたどたどしい足取りで階段を降りる。


 リビングに差し掛かった頃、なにやら母さんの話し声が聞こえてくる。

 盗み聞きをするつもりはなかったのだが、自然と耳を澄ましていた。


 中を少し覗いてみると、酷くやつれた様子で頭を抱えている母さんの姿があった。


「こんな事になるなら…………こんな事ならいっそ、産むんじゃなかったっ!」


 母さんの失言に、俺はたまらず後ずさる。


 ガタッと鳴った物音に気付くと、母さんの顔は次第に血の気が引いていく。


「ま、正俊なの……?」


 震える母さんの声を背に、気付けば“また”逃げ出していた。


 部屋にたどり着くと、膝が崩れ落ち、堪えていた大粒の涙が頬を伝う。


「俺が、俺が何をしたって言うんだよ……っ!」


 なんでこんなに憎まれる。

 どうしてこんなに恨まれる。


 我慢していた感情が溢れだし、部屋には押し殺した嗚咽だけが響き渡る。


 今も言葉が頭の中に焼き付いて離れない。


 無意識に心が救いを求めるよう、気が付けば咲希へと電話を掛けていた。


「こんな時間にどうしたの?」


 咲希のいつもと変わらない声に、俺は安堵する。


「咲希……、咲希っ……!」


「…………。何があったかは分からないけど、大丈夫だよ。私がついてるから、咲希はずっと正俊の味方だよ」


 欲しかった言葉、聞きたかった言葉。


 それらの一つ一つが深く傷付いた心に染み渡り、俺は子供のように泣き叫んだ。

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冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい 一本橋 @ipponmatu

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