冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋

第1話 痴漢冤罪

 電車に揺られ、正面の窓には雪景色が映し出されている。

 休日の十七時。車内はピークで、肩がふれあう程に混雑している。

 

 本当なら家のこたつで、ゆっくりして温まっていたいところ。

 しかし、そうはいかない。


 俺には付き合っている自慢の彼女がいる。


 中島咲希なかじま さき

 読者モデルであり、クラスの人気者。

 半年前に交際を始め、寝る前の電話が日課になる程に仲は良い。

 

 そんな彼女から『会いたい』と呼び出され、こうして向かっているのだ。

 何の用かは気になるが、それは本人から直接聞けばいい。


 ……そういえば、咲希の誕生日がもうすぐだったよな。何をプレゼントするか考えておかないと。

 どんなものをあげれば喜んでくれるかな──


 そう彼女の笑う姿をイメージしている時だった。


「い、いま触りましたよね」


 思いも寄らない展開に、俺は「はあ?」と声を漏らした。


「ち、痴漢ですよね?」


「いや、何を言ってるんですか? 俺は何もしてませんって」


 少女の言葉に、周囲の視線が集まりだす。

 言われのない罪に頭が真っ白になり、俺は焦らずにいられなかった。


「大丈夫ですか?」


 不安を逆撫でするよう、サラリーマンの男は少女へ声をかけた。

 周りは痴漢かと騒ぎだし、俺へ軽蔑の視線が向けられる。


 このままでは、本当に痴漢をしたことになってしまう。

 何とか弁明しなくてはと、俺は思考を巡らせる。


 そうだ、防犯カメラは……っ!


 天井を見渡すが、それらしきものは見当たらない。

 状況は最悪だが、諦めるわけにもいかない。


 下手に謝っては、認めたのと同じ。

 とにかく、こういう時は決して認めずに否定しなくては。


「だから、痴漢も何もしてないですって。第一、俺がやったって言い切れるんですか?」


「と、とぼけないでください! 私はあなたに触られたんです!」


 話にならない。向こうは維持でも認めないつもりだ。

 というか、こいつ。どこかで見たことがあると思ったら、同じ学校の奴じゃないか。

 確か三組の伊藤──


「彼女の言う通りです。私、見てました!」


 怒気を孕んだ甲高い声が、俺に追い討ちをかけた。


 あるはずもない証言に耳を疑う。


 ヤバイヤバイヤバイ。


 どんどん不利な方向へとなっていく現状に動揺を隠しきれず、冷や汗が止まらない。


 実は、俺が知らないだけで無意識のうちに触っていたとか?

 いや、そんなのはあり得ない。絶対にだ。


 想定外の事に理解が追い付かず、動揺している俺は、さぞ怪しく見えるのだろう。

 周囲の白い目は、完全に犯罪者を見るそれだった。


 伊藤は可哀想な被害者であり、悪者は自分。


 それを裏付けるよう、伊藤には次々と慰めの言葉が掛けられている。

 俺がなんと言っても、この認識は覆すことはできないのだろう。


 電車は次の駅に着き、チャイムと共に扉が開かれる。


 この先の事を考えると怖くなり、足が一歩後ずさる。一歩、また一歩と。

 はっきりいって、すぐにでもここから逃げ出したくて堪らなかったのだ。


 しかし、それを見逃さなかった女は口を開く。


「あっ、逃げるな! 誰か、その人を捕まえてください。痴漢です!」


 駅のホーム全体に響き渡る声に、その場にいた多くの人々の意識がこちらへ集まる。


「ちょっ……あの、逃げるもなにも、俺は何もやってないですから! 人聞きの悪いこと言わないでくださ──」


 突然、背後から羽交い締めにされ、ホームへと引きずり込まれると共に押し倒される。


「痛い痛い痛い! 急になんなんですか、離してください!」


「暴れんな! 逃げようたって、そうはさせないぞ!」


 強引に押さえ付けられ、抵抗するが虚しく拘束されてしまう。


「やめてください! 俺は本当に痴漢なんてしてないんですよ!」


「やった奴はみんなそう言う。大人しく観念しろ!」


 男はまるでもって聞く耳を持たず、話にならない。


「痴漢を捕まえました! 誰か、警察を呼んでください!」

 

 それどころか、意図的に事を大事にしようとしているようにさえ感じる。

 ふと、辺りを見渡せば野次馬が押し寄せており、中にはスマホを向けて動画を撮っているであろう人の姿もあった。


 もし、こんな映像がネットに出回りでもしたら……。


 考えただけでもゾッとし、ゴクリと固唾を呑む。


「覚悟しろよ、痴漢野郎。たとえ学生だろうと警察に突き出して罪を償わせてやるからな!」


 こちらの気持ちなど知らず、男は俺は自分の手柄だとアピールするかのように、わざとらしく叫んでいる。

 それを目にした観衆からは「よくやった」と称える声や拍手の音があがる。


 すぐ側では、伊藤が騒ぎを聞きつけた駅員に事情を聴かれていた。


「触られたんですか?」


 伊藤は今にも泣き出しそうな顔で、少し間を開けた後に「はい」と答えた。


「だ、騙されないでください! 俺はやってません、信じてください!」


「う、嘘つくのやめてください!」


「……っ、ふざけんな、嘘なわけないだろ! 俺がいつお前に触ったって言うんだ! 被害者ぶってんじゃねえよ!」


 ついに我慢の限界に達し、俺は声を荒げて言い放った。


 けれど、俺の言葉に耳を貸す者など一人もおらず、逆に伊藤へ向けられる同情が増えるだけだった。


 視界には駆け付けた警察官の姿が映り、血の気が引いていく。


 冗談じゃない。こんなので俺の人生は終わるのか?


 どうしようもない理不尽な現実を前に、俺はただ呆然と眺めていることしか出来なかった。

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