融解のしるべを君に

小花衣いろは

第一話 氷の国



 遥か南の大陸に位置するインヴェルノ王国。そして、その更に南の果てには、冬を生み出すといわれている、名もない小国があった。


 そんな小国の辺境に存在する、氷で覆われた巨大な城は、人々から〝氷の国〟と云われている。

 何故、南の地域に〝氷の国〟があるのか、聞いた人は不思議に思うだろう。


 この大陸の諸国に住まう人々は、元々は、冬とは無縁の生活を送っていた。年中季節なぞ関係なく、ぎらつく陽光が照りつける地帯だったからだ。

 そのため、身に染みるような冬の冷たさや、降り積もった雪によってすべての音が遮断されたような静謐な空気、雪化粧をなされた自然の美しさや、抜けたように澄んだ空の高さを知らなかった。


 氷の国は、そんな人々を天界から眺めていた神様が、気まぐれでお創りになられた国だった。


 氷の国は、氷の心を持った、冬を司る女王が治めている。

 女王も、その家臣の精霊たちも、皆が常に青白い顔をしていて、顔の筋肉も寒さで強張り、ピクリとも動かない。

 笑うことも、悲しむこともしない。何の感情も持ち得ない。ただただ、冬を生み出すためだけに、在り続ける国だった。


 ある日のこと。今年十三になる女王の娘、プリムラは、現女王に大切な話があると呼び出されていた。


 プリムラは(やっとこの時が来たのね)と思った。


 氷の国の女王になるためには、為さねばならない儀式がある。


 それは、人間界で五日間過ごしてくること。そして、人間界にあるモノを、何か一つ持ち帰ってくること。


 氷の国の祭壇には、歴代の女王たちが人間界より持ち帰ってきた品々が収められている。

 ボロボロに擦り切れた茶色の革靴に、所々ほつれた毛糸が飛び出している赤色の手袋。鏡面の端がひび割れている手鏡に、すっかり萎れてしまった野花まである。


「プリムラ、あなたも十三になりました。人間界に赴き、五日間過ごしてくるのです。そして、あなたが気に入ったと思う品を一つ、持ち帰ってきなさい」

「はい。わかりました、お母様」

「これを持っていきなさい」


 母親が手渡したのは、オーロラの結晶だ。

 一年に一粒だけ採取できるこの結晶は、一つだけ、どんな願いも叶えることができるという。けれどこの結晶を、氷の女王が私利私欲に使うことはできない。人間の願いを叶える時にのみ、力を発揮するのだ。


「これは、神より授かりし結晶です。私たちは、人の子を愛している神の御力で、冬を生み出す使命のために創られました。ですからこの力も、人の子のために使うのです。いいですね?」

「はい。わかりました、お母様」


 プリムラは受け取ったオーロラの結晶をポケットにしまうと、長い長い螺旋階段を下っていく。

 そして、地上に降り立った。


 プリムラは、恐怖も不安も、何の感情も持ち合わせてはいない。


 ただ、人間界で五日間過ごして、そこらにある適当なものを見繕って、戻ればいい。そして再び、堅氷けんぴょうの城の中で、冬を生み出すため、祈りを捧げる日々を送るのだ。それが、自分に課せられた責務だから。


 城を出たプリムラは、行く当てもなく足を進めた。


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