第7話 おじいちゃん活動停止

 公園の静かなベンチで、エンディングノートは静かに過去の記憶に浸っていた。その記憶は、結衣と翔太のおじいちゃんのものだった。過ぎ去った日々、家族との笑顔、幸せな瞬間。そんな中、彼の元に知らない若者が近づいてきた。


「エンディングノートさん。あなたの元の身体、おじいちゃんが危篤だって知ってる?」若者はソフトに、しかし真剣な目で話しかけてきた。


 エンディングノートは、驚きを隠せなかった。自分の本当の身体、すなわち、おじいちゃんが危篤状態にあることを、自分では気づけなかったからだ。この矛盾に、彼は心を乱される。


 若者は、ゆっくりと話し始めた。「私の祖母が昨年、亡くなったんです。その時、エンディングノートには、たくさんの思い出が詰まっていました。あなたのように動くエンディングノートは見たことがないけど、その大切さはわかります」


 エンディングノートは、深く考え込んだ。自分の中に宿る魂、おじいちゃんの過去と現在、それに未来。すべてが交錯する中、彼は何をすべきかを考えた。


 公園を後にしたエンディングノートは、おじいちゃんの家へと向かった。待っている家族、そして自らの魂の元となる身体。この矛盾を解消するために、そして、おじいちゃんの家族のために。



 エンディングノートは、家族のもとへと向かっていた。町を駆け抜け、人々の間を、ぴょんぴょんと跳ねて進む彼だったが、まだ家までの距離は遠く、目的地は見えてこなかった。


 ところが、突如として彼の動きが遅くなり、ある公園のベンチの近くで、ピタリと止まってしまった。エンディングノートは、力尽きたかのように、その場に倒れ込んだ。


 公園を訪れていた家族やカップル、散歩中の人々が彼の異変に気づき、次第に、その周りに人だかりができ始めた。空気は一気に重くなり、心配そうに彼を見つめる目が増えていった。何人かはスマホで、その様子を撮影し、ネット上に投稿した。♯エンディングノート停止のハッシュタグが、瞬く間にトレンド入りした。


 家の中では、結衣と翔太がSNSの情報を追っていた。エンディングノートの動きが停止したとの投稿を目にし、心が冷たくなるのを感じた。結衣と翔太は何も言わず、おじいちゃんのことを思い、二人で涙を流した。



 周囲の人々が距離を取りつつ、ただ眺めるだけの中、ユーチューバーは動かなくなったエンディングノートを、ゆっくりと拾い上げた。彼の顔はカメラのフレームに、しっかりと収められており、その表情は普段の陽気なものとは違い、深い重みを帯びていた。


 カメラを、じっと見つめながら、彼は言葉を紡ぎ始めた。「このエンディングノートに宿っていた、おじいちゃんの魂。お悔やみを申し上げます」


 ネット上の視聴者たちも、彼の真剣な表情と言葉に心を打たれ、一瞬の静寂が流れる。


 ユーチューバーは、言葉を続けた。「皆さん。このエンディングノートを家族の元へ届けることが、今の僕にできる、最も大切なミッションだと思っています」


 カメラを回したまま、彼は車へと向かった。エンジンをかける音が、静寂を破った。


 家にいた結衣と翔太は、ユーチューバーのライブ配信を、スマホで見つめていた。二人の心は複雑な感情で満ちていたが、エンディングノートが無事に家に戻れば、それでいいと思った。


 ネット上は、彼の真摯な言葉と行動に感動する声が上がり、同時にエンディングノートが無事に家族の元へ届くことを祈るコメントが溢れていた。



 結衣と翔太は、リビングのソファに腰を落としていた。二人の目には、涙が浮かんでいる。何度もティッシュを手に取りながら、時折、互いに言葉を交わしては胸の痛みを紛らわせていた。


 そのとき、結衣のスマホが震え始めた。画面に映るのは「お母さん」という名前。心臓が高鳴る中、彼女は通話を受け取った。


「結衣。翔太。聞いて」母の声は震えていたが、前よりも遥かに明るく聞こえた。「おじいちゃん。少しだけど、意識が戻り始めているの!」


 結衣の瞳に、驚きと希望の光が浮かんだ。翔太も、その言葉を聞き逃さなかった。兄妹の目が合った瞬間、涙が溢れてきた。


「まだ、安定しているとは言えないから、すぐには喜べないけれど……」母の声は途切れ途切れだったが、それでも彼女の希望を感じることができた。


 通話を終えた結衣は、その情報をすぐにSNSでシェアすることに決めた。彼女の投稿には、こう書かれていた。


「おじいちゃん、少し意識が戻り始めました。まだ完全には安心できませんが、皆さんの温かい応援、本当にありがとうございます。私たち家族も、最後まで諦めずに応援していきます」


 彼女の投稿には、すぐに多くの「いいね」と心温まるコメントが寄せられ、全国からのエールが兄妹に届いていた。



 ユーチューバーの車内は、エンディングノートを持つことで得られるであろう「感動的な映像」のために、準備万端にセッティングされていた。LEDライトが柔らかく照らし出す中、ユーチューバーは涙ぐんだ瞳でカメラに向かって語りかけていた。


「これは、ある家族の大切なエンディングノートなんです。亡くなられた、おじいちゃんが、この世に生きた証として……」


 彼の背後から、補助カメラマンが「あと3分で家に着くよ」と声をかけた。その直後、彼のスマホが震える音がした。それはファンからの通知だった。


「おじいちゃん、意識が戻り始めたって」


 ユーチューバーは驚きの表情を浮かべて、すぐさまスマホを手に取った。彼が目にしたのは、結衣のSNSの投稿だった。


「え、マジで……」補助カメラマンも、その投稿を見て、目を白黒させた。


 カメラの前で情熱的に語っていたユーチューバーの顔色は、一変して青ざめた。撮影していた感動的なストーリーが、一瞬で崩れ去ったのだ。


「ど、どうしよう……」彼はファンへの言い訳を、数えきれないほど頭に浮かべた。


 家に到着すると、結衣と翔太が玄関で待っていた。ユーチューバーは車から降り、緊張した様子でエンディングノートを手渡した。


「これ、お返しします」彼の声は少し震えていた。カメラを回し続けるスタッフは、動画の再生回数を想像していた。


 結衣は、エンディングノートを受け取りながら、「ありがとうございます」とだけ答えた。その表情には、感謝と複雑な思いが交錯していた。


 翔太も「ありがとう」と言葉をかけたが、その声には少し、怒りが含まれていた。


 ユーチューバーは深く頭を下げ、「本当に申し訳なかった」と謝罪の言葉を繰り返した。彼のバツの悪さは、全国の動画視聴者に届けられた。

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