第3話 家族にならない?

 真紀の意識が徐々に覚醒し始める中、不規則なリズムで「ツン、ツン」と、おでこに何かが当たる感触があった。目をこすりながら起き上がると、目の前にはエンディングノートがピョコピョコと飛び跳ねている姿があった。真紀は、昨夜の出来事が夢ではなかったことを確信した。


「もう、こんな時間。起こしてくれて、ありがとう」と、真紀はベッドから出る。エンディングノートは、その場で飛び跳ねて、何かをアピールしているようだ。真紀はエンディングノートを取り上げて、そっと手提げに入れた。


 真紀が学校へ向かう道中、胸の中でワクワクする気持ちが止まらなかった。こんなにも胸が躍る登校は、本当に久しぶりだ。昨夜、母親が撮影した動画。あれが投稿されたら、クラスメイト、いや学校中の生徒たちの間で大きな話題になることは間違いない。そんな期待と楽しみが、真紀の一日を特別なものにしていた。



 高校の校門をくぐった真紀は、どこか心の中で期待を膨らませていた。昨夜の動画がSNSで話題になって、自分が学校中の注目の的になるかもしれない。そんな期待感を胸に、教室に入ると、真紀はクラスメイトたちの様子を盗み見た。


 しかし、特に変わった反応はなかった。まるで昨夜の出来事がなかったかのように、友達たちは通常の朝の会話を楽しんでいた。真紀は、何気なくスマホを取り出して母親のSNSアカウントを確認するが、昨夜の動画の投稿はなかった。


「やっぱり投稿しなかったのかな……」と、少し落胆する真紀。放課後、帰宅すると、母親はキッチンで夕食の準備をしていた。


「おかえり、真紀。あの動画は結局、投稿しなかったよ。特別な思い出だから、二人だけのものにしようと思って」母親は、そう言って微笑んだ。


 真紀は、少し残念な気持ちと、温かい気持ちが入り混じる中、母親に「うん。そうするか」と答えた。エンディングノートを手提げから出し、母親とともに食卓を囲む準備を始めた。



 真紀と母親は、向かい合って夕食をとっていた。部屋の隅で、一風変わった存在であるエンディングノートが静かに座っていた。真紀は、箸を置きながら、母親の顔を上げて言った。


「お母さん。ノートくんを家族にしてもいいよね?」


 母親は真紀の顔を見つめながら、少し考え込んだ。「真紀。エンディングノートは、私たちのものじゃないの。本当の家族のもとへ帰らなきゃ」


 真紀は、悲しくなった。「こんなに仲良くなったのに……」


 エンディングノートは、ゆっくりとページをめくるような動きを見せた。まるで、自分の気持ちを伝えたいかのようだった。


 母親は、優しく言葉を続けた。「私たちとエンディングノートの出会いは奇跡だけど、彼には元の場所へ帰る必要があるの。彼は、ある家族の大切な思い出なんだから……」


 真紀は、うなずいた。「分かった。でもノートくんが、居たいだけ居ていいよね?」


 母親は微笑みながら、「もちろん」と答えた。


 エンディングノートも、まるで感謝の意味を込めて、穏やかにページを揺らすような動きをした。夕食の時間は、家族としてのひとときを大切に過ごす時間となった。食事が終わるとエンディングノートは、静かに部屋を出ていった。



 エンディングノートは、マンションのエントランスを静かに出て、石畳の道を、ぴょんぴょんと跳ねるように進んでいった。


「待って!」


 真紀の声が、後ろから響いた。駆け足でエンディングノートの後を追ってきた真紀は、足を止めたノートを、両手でつかみ上げた。彼女の目は、涙で濡れていた。


「もう一度だけ、ありがとうって言いたかった」


 エンディングノートは、静かにページを揺らした。言葉はなくとも、その感謝と名残惜しさが伝わってきた。


 真紀は、エンディングノートを地面に置いた。「もう行っていいよ。きっと、君の家族が待ってるから」と言った。


 エンディングノートは再び、ぴょんぴょんと跳ねるような動きで、夜の闇の中へと消えていった。


 真紀は、その場に立ち尽くし、彼の去る後ろ姿を、ずっと見つめていた。彼が本当に家族のもとに帰るのかはわからない。でも、彼と過ごした時間は、真紀にとって永遠の宝物となった。



 病院の冷たく静まり返った廊下を抜け、夜の街を急いで家に戻ってきた、お父さんとお母さん。二人の表情は暗く、疲れ切ったように見えた。


 リビングにいた結衣と翔太は、ふたりの帰宅を待ちわびていた。翔太の目は心配そうにキョロキョロと動き、結衣は胸を抱えるようにして座っていた。


 お母さんが、静かに声を落として言った。「おじいちゃん、状態がとても危ないの。お医者さんも、何とも言えないって……」


 結衣は目を閉じ、一瞬の間、息を呑んだ。「でも、おじいちゃんは強いから。きっと大丈夫だよね?」と言葉を絞り出す。


 翔太は、空気を読まない。「おじいちゃんのエンディングノート、どうしよう?」


 お母さんは、翔太の頭を撫でて、「それも心配よね。でも、今はおじいちゃんのことを一番に考えないと」


 お父さんが、言葉を続けた。「おじいちゃんは、大丈夫。エンディングノートも、きっと戻ってくるさ」


 結衣と翔太は、うなずいた。家族四人は、それぞれが心の中で、おじいちゃんの回復を祈った。

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