第七十一話 愛し合う二人

旧道を歩き始めてからしばらくすると

私の横の草むらから物音がする・・・


周平が警戒して私をかばう位置に移動しようとした瞬間


草むらから見上げるような大きさのヒグマが現れ

あっという間に私に襲い掛かってくる


とっさに出した左腕をヒグマの鋭い爪が切り裂き鮮血が飛ぶ


だが、ヒグマの第二撃が来るより早く私は周平に突き飛ばされた


引き裂かれた腕が砂利にこすれて無茶苦茶痛い


そんな私に周平の声が飛ぶ

「逃げろ!!!!サチ」

「走れ!!!!!!!!!早く!!!!!!!!!!!!」


一瞬迷う

いっそ一緒に・・・


だが必死の形相の周平が涙を流しながら私に叫ぶ

「サチ!!!!!!!!生きるんだ!!!!!!!!!!!!」


そしていま一度私に狙いを定めようとするヒグマに道端の石をぶつけて注意を引き付けようとする


「早く行くんだぁああああああああ!!!!!!!!!!」


そんな周平の私を守る決意を秘めた魂の叫びのような声に押し出されるように私は砂利道を下る


周平が自分を盾にして私を守るため注意を引き付けて

私を逃がしてくれている


北海道ファンの周平は私によくヒグマの獣害事件の話をしてくれていた

ヒグマは人間の味を覚えると柔らかい女の肉を好むと


そのためなのか周平は私をとにかく逃がそうとしてくれている

私には逃げることしかできなかった


とめどなく溢れる涙にぐしゃぐしゃになりながら


頭の中で何度も何度も何度も周平を呼ぶ


守ってくれたのは嬉しいが、同時に周平にも一緒に逃げて欲しかった・・・


本気で襲い掛かってくるヒグマに対して人間が全く無力であることは周平から何度も聞いていた


周平がそれで私を守るためそうしたと頭では判る


でも、それでも、一緒に逃げて欲しかった

たとえ一緒に殺されることになっても・・・


左腕の激痛で悲しみの嗚咽も漏らせないがそれでもふらふらになりながら歩いた


そして誰かに抱き留められて私は助け出された


あいつから逃げようとしていた私たちを捜索している女性警察官だった


その腕の中私は必死に

「周平を助けて・・・お願い・・・」

それだけ言って、そこで気を失った










僕は焦っていた


サチを守れずに大けがをさせてしまった


目の前にはサチをまだ狙おうとするヒグマがいる


とにかくこいつの注意を僕に引き付けないと


こいつはもしかして人間の味を覚えている?


そしてヒグマが人間の味を覚えたら好むやわらかい女を狙っている?


そう考えるとサチを守るためとにかく戦わないと


逃げようとするサチを凝視するヒグマ


道端の石ころを二三個掴むとそんなヒグマの顔面に石を投げつける


一つがうまくヒグマの顔に命中した

ヒグマの注意がこちらに向いた


全身を戦慄が走る・・・

膝ががくがくと震えうまく動かない


ヒグマの身体がこちらを向くと僕は必死で道を上る方向に

サチから遠ざける方向に走った


背後に迫る気配がする

振り返ると死ぬ・・・


その恐怖にかられ必死に走る


しかし砂利に足を取られて転びそうになる


転ぶ寸前何とか体制を立て直し再び走ろうとしたその瞬間

背中にすさまじい激痛が走った


僕は一瞬でその場に立ち止まるように無理やり巨大な力で引き留められた


右肩から左脇腹にかけて激痛が走る


右肩を見ると右肩の筋肉が服毎ごっそりなくなって右腕がブラブラしていた


そして振り返ろうとした瞬間右顔面を衝撃が襲う

それで僕は意識を手放した








どのくらい経ったのだろうか


突然の腹部の激痛に強制的に意識を回復させられる


生臭い、獣臭いにおいが充満する中、腹部にすさまじい激痛が走る

妙に冷静な脳でこう考えた・・・お腹から食べられてる・・・


骨をかみ砕く不気味なボリボリという音が聞こえる


そんな不気味で不快な音の中、僕の意識は完全に刈り取られてしまい、魂を失った身体が食い荒らされていった










早千江が救助されてすぐ


警察官とともに猟友会の熊撃ちハンターが何人か現場にさしかかった


旧道を前進していく


一つの血だまりがあり道がカーブする


そのカーブを曲がりしばらく進むとその先で大きなヒグマが男性を襲っていた


体長が二メートルを超える大きなヒグマが男性の腹部に食らいついている


そのヒグマはすぐに猟友会のハンターに射殺され男性が救助された


先に救助された早千江という女性が言っていた

周平という男性だろう


ハンターたちがヒグマに近づきヒグマが絶命していることを確認すると

警察官たちに安全になったことを伝えてきた


その合図をもって警察官たちが駆け寄り男性を救助しようとするが

あまりの惨たらしさに息をのむ


右肩の肉がごっそりなく、右顔面がなく眼球がぶら下がり、腹部が食い荒らされて絶命していた


救助は間に合わなかった









私は目を覚ました


薄らボンヤリした視界の中に一瞬天井が見える

しかしすぐにまぶしい照明が煌々と点いていて私の視界を白一色に染める


すぐ近くで誰かが叫ぶ声が聞こえる

「意識を取り戻しました!至急先生を呼んで」


医師が駆け込んでくる気配


私の視界は相変わらず白一色で一瞬見えた天井以外何も認識できない


混濁する意識の中、医師の声が何か聞こえる

「早千江さん聞こえますか?」

医師が静かに問いかける


医師の目には、うつろな早千江の目が医師の方向を向くのが見えた


「あなたは今大変危険な状態です」

「ヒグマに襲われた際に傷口から細菌が侵入し全身に回ってしまってます」

「我々も全力を尽くしますので頑張ってください」


看護師の女性も声をかけてくれる

「一緒に頑張りましょうね」


私はかろうじて何とか絞り出した声でとぎれとぎれに聞く

「しゅ・・・う・・・へ・・・い・・・は・・・?」


薄らボンヤリした視界の中、私の問いかけに医師が首を横に振るのが見えた・・・


やはり周平は死んだの・・・


看護師の女性がすすり泣きながら語ってくれる

「あなたの弟さん・・・いえ、ご主人はあなたを守るため勇敢に戦ったのよ・・・」


私を守って・・・


「そうして身をもって時間を稼いであなたを逃がしてくれたの」


そうなの・・・

死んだの・・・


「あなたを愛していたご主人はあなたに・・・生きててほしい・・・って願ったのよ」


それで私だけ生き残ったの・・・


「だから・・・頑張って・・・」

「彼の・・・ぶん・・・まで・・・」

看護師は泣き崩れた


周平がいない世界になっちゃった・・・

・・・

もう、どうでも良くなった・・・


医師と看護師の目の前で生きる気力を失くした早千江は静かに息を引き取った











秋の道東に冷たい風が吹き、あの峠道であった出来事を覆い隠すように一陣の砂塵が巻き起あがる

まもなく訪れる冬には純粋で真っ白な雪が、こんな悲劇がなかったかのように辺りを美しい白一色に染めるだろう・・・


~~~~~~~~~

次回は「終曲」です

これで最終章完結です

ラストスパート20:15公開予定です

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