戦争

オキタクミ

戦争

 ウクライナで戦争が始まったとき、まとまりのないことをぐるぐる考えてから、とりあえず寄付先をいろいろ調べて、けっきょくウクライナ大使館の口座に直接お金を振り込んだ。それから、大学生協書籍部のサイトで「ウクライナ 文学」と検索して、ヒットした短編集を一冊取り寄せた。

 一週間くらいして、届いたという通知がメールで来たのだが、しばらくキャンパスに行く用事がなくて放置していた。三週間くらい経ってようやく、事務手続きのためにキャンパスに行き、そのついでに書籍部に寄って本を買った。

 帰り道、井の頭線のホームで電車を待ちながら、買ったばかりの本を読んだ。電車が来た。夕暮れ時の車内はそれなりに混んでいて、私は右手で吊り革に掴まり、左手で本を持って、続きを読んだ。

 最初の短編を読み終わったところで一息つき、本を閉じた。すると、自分の目の前の席に座っているふたり連れが目に入った。右側には、三十代か四十代くらいだろうか、ややふっくらした体型の小柄なひとが座っていた。服装が少し変わっていて、下は無地の灰色のパンツ、上も無地の灰色のパーカー。パーカーのフードをしっかりかぶっていたのだが、その下に黒のチューリップハットもかぶっていた。そして、服装よりも目を引いたのは、そのひとが泣いていたことだった。後ろ頭を窓ガラスにもたせかけて少し上を向き、目を閉じ、声もあげず、ゆっくりと胸を膨らませたり凹ませたりしながらさめざめと涙を流していた。そしてその左には、その父親らしく見える、さらに小柄で、痩せて骨張ったひとが座っていた。そのひとはまっすぐに前を向いたまま、泣いているひとの右手を自分の右手で包み込み、空いた左手で、パーカーのフードとチューリップハット越しの頭を優しくたたいていた。とてもゆっくりとした、一定のリズムで。

 渋谷駅に着いて電車が停まり、私はそのふたりとおんなじタイミングでおんなじ角度だけ進行方向に傾き、揺り戻され、止まった。ドアが開くと同時にプラットフォームの騒音が車内に流れ込み、同時に車内の人混みが外へと一斉に流れ出した。その人混みに押されているうちに、私は、あっというまにふたりを見失った。

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