アスファルトに咲いて
寿甘
雑草という名の草は無いと、誰かが言った。
夏が過ぎて秋になり、肌寒さすら感じるようになってきたある晴れの日、道端にしゃがみ込んで草むしりをする男がいた。
一貴はアスファルトのひび割れから顔を覗かせる、名前も知らない草を指でつまんで引き抜いた。スルリと細長い根っこが抜けると、何となく気持ちがいい。だが、引き抜かれた草の哀れな姿を見ていると、なんともいたたまれない気持ちがこみあげてくる。この草は本当なら、広い大地に太い根を張って大きく育つはずだったのだ。少なくとも種のうちはそう育つものだと信じて疑わず、親の手を離れ、風に乗って空を舞い、あるいは地面を転がり、新天地を目指して旅をした。
その結果がこれだ。
この何と呼べばいいのかも知らない一本の草は、ろくに栄養もないわずかな土にしかありつけず、貧相な根を必死に地下に伸ばして、それでも何者かになろうとしていたのに。
何者でもないこの貧相な男が、はした金のために引き抜いた。
「こいつの一生はなんだったんだろうな。生きづらい場所で、ろくに大きくもなれずに、何も残せず死んでいく……まるで無意味な命だ」
自分のようだ、と思った。この世界は広いのに、自分が生きる場所はあまりにも狭く、窮屈で。貧相な自分は何も成し遂げられず、何も残せず死んでいくのだろう。
「確かにその草は無駄死にだね」
隣で草をむしっていた年配の男性が、一貴の言葉に反応した。同じ草むしりのバイトを引き受けた、今日初めて顔を合わせる人物。名前を聞くつもりもない。どうせ今日限りの付き合いだ。それでも、話し相手がいるというだけでいくらか心が軽くなった。男性は一貴が耳を傾けたことに気を良くしたのか、そのまま話を続けた。
「草ってのは、いや、ほとんどの生き物はみんな、
一貴の手によって命を奪われたこの草は、種存続の為の犠牲になったのだと言うのだろうか。一貴にはそう思えなかった。
「でも、こいつがここに生えていようがいまいが他の草は他の場所でのびのびと生きていると思いますよ」
「そうかもしれないね」
「俺も、この草のように何も残せずに死んでいくんだろうなぁ」
引き抜いた草をゴミ袋に放り込むと、自分でも意外なほどに大きな声で愚痴が出た。久しぶりに他人と言葉を交わしたことで、閉じられていた声の門が開いてしまったようだ。そんな一貴に、年配の男性は微笑みを向けた。
「君はまだ生きているじゃないか。生きているうちは何が起こるかわからないよ。その草だって、人間に引き抜かれたから命が無駄になったけど、引き抜かれなかったらアスファルトの間で花を咲かせて、子孫を沢山作っていたかもしれない。命が失われて初めて、その生が無駄になったんだ」
「……そっか、こいつが無意味に生きていたんじゃなくて、俺がこいつを無駄死にさせたんですね。こんな何の役にも立たない人間が」
「何の役にも立たなかったら賃金は貰えないさ。この草むしりにも意味がある。もし我々が草をむしらずに放置していたら、この草たちがどんどん増えて、アスファルトは粉々に砕かれて土に変わり、人間の土地から草の土地に変わってしまう。これは人間と草の戦争なのさ。そして君は一本の草を無駄死にさせるたびに少しだけ人間を勝利へと導いているんだ。十分に意味があるし役に立っているよ」
なんとも大袈裟な話だ。だけど、その大袈裟な物言いが一貴の心に染みた。何より、役に立っていると言われることが嬉しいと感じる、その事実こそが一貴にとって思いがけない収穫だった。何者にもなろうとしてこなかった自分にも、人の役に立つことを欲する心があったのだ。
「命に意味があったかなかったか、それは命が失われた時に初めてわかることだよ。生きていれば何かを成せる可能性は常にある。アスファルトに咲くように、大変な場所で成功することだってあるだろう。君よりずっと年を取ってから新しい世界に足を踏み入れて、成功者として歴史に名を刻んだ人物も沢山いる。人生を諦めるにはまだ早すぎるよ」
説教臭い励ましだと思った。それでも、初対面の相手が実の家族よりも熱心に自分を励ましてくれた。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけだけど、何かに挑戦してみようかという気持ちになれた。
草むしりの仕事を終え家に帰る一貴は、あの草が何という名の植物だったのか調べてみようと思っていた。
ほんのわずかだが、前向きな気持ちになれた。アスファルトに咲けなかったあの草の命の分だけ、止まっていた人生を動かしてみようか。
見上げた空はどこまでも高い。窮屈だった世界が、少しだけ広く感じた。
アスファルトに咲いて 寿甘 @aderans
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