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 一週間後、恋は神威歌劇団が主な稽古場にしているというスタジオに向かった。今日は稽古前に時間を取って、復帰した主宰にインタビューをする予定になっている。

 スタジオはビルのフロア内に入っている。約束通り一階のロビーでソファに座って待っていると、時間の五分前に一組の男女がやってきた。男は車椅子に乗り、女はそれを押している。主宰が生まれながらの障害で車椅子に乗っているということは事前の調査で知っていた。恋が驚いたのは女の方だ。

「アカシア出版からの、ライターの方ですか?」

 鈴の音のような凜とした声が響く。彼女は間違いなく、神威歌劇団の看板女優である桔梗紫ききょうゆかりであった。彼女まで同席してくれるとは、嬉しい誤算だ。

「はい、片須と申します。歴史ある神威歌劇団に取材をさせていただけて、大変光栄です」

 立ち上がり、二人と名刺を交換する。

「主宰の犬養誓いぬかいちかうだ」

「ちょっと……もうちょっとちゃんとしてよ」

 ややぶっきらぼうな響きがあった犬養の態度を、紫が咎める。

「すみません、休養から復帰したてで、長らくメディアの方とお話していなかったもので……」

「とんでもありません、どうか気楽になさってください。公演前に余計なストレスがかかってはいけませんから」

「ありがとうございます。私は、女優の桔梗紫と申します。今はあくまでも主宰の介添えですので、私のことはお気になさらず」

 名刺を差し出す手は指先まで真っ白だ。艶やかで豊かな黒髪も相まって、大和撫子という言葉が相応しい。

 車椅子に座る犬養も美青年と言って間違いない、整った容姿の持ち主だ。やや憮然とした態度も、却って人形のような雰囲気を醸しだし、その美しさを引き立てている。

 実に画になる二人だ、と声に出しかけて呑み込んだ。どうも犬養は気難しそうだ。余計なことを口に出すと、機嫌を損ねそうな予感がした。

 紫がソファに座ったのを見計らい、恋も再び腰掛けた。ボイスレコーダーのスイッチを押す。

「まず、三年間体調の関係で休止されていたとのことですが、もう快復されたのですか?」

 ひとまずアイスブレイクとして、先方としても想定しているだろう質問から始める。

「問題ない。寧ろ脚本や演出のアイデアが湧いて、いてもたってもいられないくらいだ。つい最近までは何も書けずに寝たきりになっているしかできなかったが、今は違う。寝る時間すら惜しい」

「なるほど。そこまで気力を快復させた切欠はなんだったのでしょうか」

「今回の公演の脚本を思いついたことだ」

 思ったより早く核心に迫る質問ができそうだと、内心小躍りする。

「黄衣の王、ですね。特徴的なタイトルですが、なにからインスピレーションを受けたのでしょうか」

「父の蔵書だ。初心に帰り片端から読み漁っていたら、件の本を見つけた。今回の脚本はそれを大幅にアレンジしたものだ」

「休養中も学ぶことを辞めなかったのですね」

「学ぶ、というのは少し違うかもしれない。なにせ子供の頃から演劇に関する知識に触れていることは至極当たり前のことだったから、勉強と思ったことはない」

「子供の頃から、既に演劇の道に進むことを意識されていたのですか?」

 蔵書について掘り下げたいところだが、これは仕事でもある。万人が望む情報も引き出さなければならない。

「意識というより、当然そうなるものだと思っていた。だが、この体だから役者にはなれない。必然的に、父と同じ脚本家、演出家になるのが当たり前で、それ以外のことは考えたことすらなかった」

 アーティストの家庭に生まれた人間はこういうものなのだろうか。三十を越えてライターに転身した恋にはどうも感覚がわからない。一つのことを人生と等しいものにしてしまったら、それに失望した時一体どうするというのか。それこそ、死ぬしかないのではないか。

「特別勉強しているつもりはなかったが、人よりも多くのものに触れなければいけないという意識はあったかもしれない。やはりこの体だからな、どうしても人よりできないことが多い」

「素人からすれば、芸術にハンディキャップは無いように思えますが、やはりままならないことも?」

「ままならないことだらけだ。役者達は演技を繰り返すことによってあらゆる方向からフィードバックを受ける。いわば体で演技を覚えていくわけだ。だが、僕にはそれができない。加えて、二代目だ」

「厳しい目で見られる、ということですね」

「ああ。父の代から観ている観客は目が肥えている。僕達よりも知識が深いことだってざらだ。そう言った観客達を失望させ、離れさせるようなことは、決してあってはならない。そういった事情も、僕をいつまでも寝ていられないと動かした力になっている」

「なるほど。ところで、今回のモチーフとなった黄衣の王についてですが」

 遂に恋にとってのメインテーマに迫る。事前に黄衣の王というワードについてインターネットで検索したり、関連書籍が見つからないか調査はしたが、成果はなかった。

「不勉強で恐縮ですが、聞いたことのない本でして。どういった本かお教えいただきたいのですが……」

「全世界で数冊しか出回っていない貴重な本だ。知らないのも当然だろう。僕が持っているのも原本ではなく写本だ。内容は、黄衣の王という圧倒的な存在を巡って、あらゆる存在が右往左往する。形式としては戯曲だ。僕が手を加えるにはお誂え向きの作品というわけだな」

「お父様は、写本とはいえどうやってそんな貴重な本を?」

「それはわからない。父は顔が広かったし、海外旅行慣れもしていたから、海外の古書店や知識人から手に入れたのかもしれない」

 蔵書の中にあったなら、出所を探すのは難しいだろう。しかも原本ではなく写本となれば、個人的に取引した可能性もある。

「一つ、ご提案があるのですが」

「なんだ」

「今回、神威歌劇団の復活に伴う取材です。私としてもいつも以上に記事に力を入れたいと思っていまして……作品に対する理解を深めるために、黄衣の王を拝見させてはいただけないでしょうか?」

 三年もの間あらゆる超自然的存在に関する調査をしていただけあって、我ながら良く口が回るものだ。

「悪いが、それには応えられない。かなり古い物のせいか保存状態が良くないんだ。外に持ち出すと破損してしまう可能性がある。僕としては父の形見でもあるものだ、どうか理解してほしい」

「勿論です。こちらこそ無理なことを申し上げました」

「すみません、そろそろ稽古の開始時間が……」 

 紫が遠慮がちに口を挟む。

「ああ、すみません。最後に一つ。神威歌劇団と言えば伝統とも言える火を使った演出ですが、すでに構想は?」

 うっかり忘れそうになった大切な質問を投げると、犬養はキッパリと答えた。

「勿論できている。父の代からの観客も驚くような、美しい演出にして見せる」

「ありがとうございます」

 一礼して、ボイスレコーダーを止めた。

「今日は稽古もご覧になる予定でしたよね? 稽古場までご案内しますね」

 車椅子を押す紫の後について歩く。稽古場としているらしいスタジオに入ると、役者と思わしき人々が既に集合していた。特に挨拶や雑談も無く、犬飼の号令で稽古が始まる。途端、稽古場内の空気が一気に張り詰めた。心なしか、役者達の表情も引きつっているように見える。それが気のせいではなかったと確信するまで、一時間と経たなかった。

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