2-6
階段を下りきると、まさしく洞穴のような場所に出た。丸く地中がくり抜かれたような空間だ。ライトで照らすと、床には何枚もの布が敷かれている。部屋の隅には薄汚れた骨が無造作に積まれていた。あれが人骨であろうことなど、もうわかりきっていることだ。
部屋のあちらこちらに、洞穴の中に似つかわしくない色とりどりの洋服が散乱していた。犠牲者から奪った物だろうか。これらは、間違いなくここで
土の中の空気は不気味に冷え切っていて、静まり返っている。居住空間らしき空洞からはまだ先に道が続いていた。喰屍鬼達はここを放棄して逃げたのだろう。依然、
瞬間、前方に広がっている暗闇の中で金色の目玉がぎらりと光った。恋の喉から引き攣った悲鳴が溢れたのと、蘇芳が発砲したのは同時だった。
「待て! 彼女は殺すな!」
黒木の叫びに恋が振り返ると、目の前にもう一体の喰屍鬼が迫っていた。
「片須!」
前方の暗闇から襲い掛かる喰屍鬼と揉み合いながら叫ぶ蘇芳の声。後方の喰屍鬼は一体どこに隠れていたのか。恋に襲い掛かる喰屍鬼を止めようと手を伸ばす黒木の姿。様々な事象が一気に脳内を駆け抜けていく。
不意に、視界の端にきらりと何かが光った。この煤けた洞穴の中で、やけに光沢を持った異質な布だ。咄嗟にそれを掴み、投げつけるようにして頭に被せた。一瞬で視界を奪われた喰屍鬼は、狼狽えるように暴れて布を剥がす。しかし、それだけの時間があれば十分だった。
蘇芳が揉みあっていた喰屍鬼を蹴り飛ばし、振り向きざまに発砲する。火薬が炸裂する音と共に、もう一体の喰屍鬼の腐ったような肌から鮮血が噴き出した。
野獣のような唸り声を上げ、撃たれた喰屍鬼は蘇芳を突き飛ばして暗闇の中へ走っていく。形勢不利と判断したのだろう。蹴り飛ばされて地面に転がっていたもう一体も、不恰好な四つん這いでその後に続いた。二人も追おうと試みたが、あまりにも視界が悪すぎる。なにより、文字通り死に物狂いになった化物の速度に人間が追いつくのは無理があった。
「クソッ、化物が」
蘇芳が吐き捨てる。
「仕方ないわ。でも、お互い生きててなにより。戻りましょ」
先ほどの洞穴に戻ると、黒木が光沢のある布を持って立ち尽くしていた。先ほど恋が咄嗟に掴んだものだ。
「なにかあった?」
「いえ……この布だけ、やたらと綺麗だなって気になって……」
彼の言うとおりだった。この洞穴に散乱している衣服はどれも泥や血で薄汚れている。そもそも、洞穴それ自体が清潔とは程遠い。
恋は彼の手から布を取り、広げてみた。色は暗い黄色で、広げてみると羽織れるように袖もついている。
「なにかしら、これ」
「見せてみろ」
蘇芳が布を両手で広げて観察する。恋は彼の視線の先をライトで照らすことに集中した。不意に、蘇芳の顔色が変わる。
「おい、これ、黄衣の王のマークだ」
「なんですって?」
蘇芳が広げているのは袖口だった。そこに、赤い糸で奇妙なマークが刺繍されている。クエスチョンマークを頭に据えて、二本のぐねぐねとした足を生やしたような、なんとも名状し難いおかしな図柄だ。
「間違いない。例の店に踏み込んだときもこのマークがあった」
「喰い殺した中に偶然関係者がいた……というわけではなさそうね」
なにせこれだけは異様に小綺麗に保たれている。犠牲者の遺品ではないだろう。
「取りあえず、上に戻るぞ。こんなとこに長居したくねえ。それに黒木にも、お前にも、訊きたいことが山ほどある」
歪な土の階段を上って地上に戻る。気を失っていた女は自分で意識を取り戻したのか、もう墓地にはいなかった。
すっかり人通りのなくなったロータリーに戻ってきた。逃走防止のため、黒木には手錠がかけられている。尤も、ぐったりと路上に座り込んだ彼からは、逃げようという意志は見受けられなかった。
「まずはお前からだ。一体どういう経緯で、人喰いの化け物に手を貸すことにしたのか、洗いざらい全部話してもらおうか」
腕を組んで見下ろす蘇芳が黒木に詰め寄る。一方の黒木は、もう隠し立てするつもりもないのか、項垂れたままでぽつりぽつりと話し始めた。
「あなた方が言っている黄衣の王とやらについては、僕は一切知りません。僕はただ、死のモデルは入り用ではないか、というメッセージを貰っただけですから」
「送り主は誰だ」
「冷、と名乗っただけで何も訊いていません。僕は、その人物に指示されて、人気の無い場所に獲物を誘い込むように言われました。そうして彼等……喰屍鬼が獲物を喰らう様を、スケッチしていただけです」
「ふざけやがって! 殺しをなんだと思ってやがる!」
激高した蘇芳が黒木の胸倉を掴む。
「殺し、と言いますが、僕を逮捕できますか? 死体もなく、喰屍鬼達も取り逃がしているこの状況で」
「……クソッタレが!」
蘇芳に突き飛ばされて、黒木はよろめき、再び路上に座り込んだ。
「立件は置いておくとして、仮説は立てられるわね。片須冷は喰屍鬼達を取り込んでいた。三ツ門町の件も彼等を使ってやらせたとしたら、あの女の子の死体の惨状も説明がつく。推測だけど、定期的に獲物を提供する代わりに、労働力として使ってたんじゃないかしら」
「僕も、片須さんに訊きたいことがあります」
恋の言葉に、黒木が割り込んだ。おどおどとした喋り方を捨てたのは、もう誰にも気を遣う必要がなくなったからか。
「片須さんは、どうして喰屍鬼達の事を知っていたんです? 僕だって、出会ったときは目を疑ったというのに」
「あたしは探し物をしてるの。それで調べて回ってる道中、奴等について書かれた本を見つけた。それだけのことよ。まあ、流石に本物を見たのは初めてだから、ぞっとはしたけどね」
「もっと詳しく教えてもらおうか」
蘇芳が言う。
「三ツ門町のガキを助けて回って、片須冷を追い、化け物の正体を見破った……お前、一体何者だ? 俺を脅迫してまで果たそうとしてる目的ってのは、なんなんだ?」
「それを知ったら、あんたは今まで生きてきたこの世界を信じられなくなる。自分の足下に、隣に、何かが這いずり回っているんじゃないかって、疑わずにはいられなくなる」
「あの禿げた人喰いの化け物を間近で見てるんだぜ。今の俺ならこの東京の地下に巨大蜘蛛が巣食ってるって言われても納得する」
「長い話になるわよ」
「夜が明けるまで、まだ時間はあるぜ」
言う必要がなければ、決して言わないつもりでいた。知らない方が良いことだから。知ってしまったら、今まで見ていた世界を真っ逆さまにひっくり返してしまうから。しかしもう、彼等は恋の口から真相を聞かなければ納得しないだろう。恋は深い溜息をついた。
「あたし、三年前……片須冷に喰い殺されそうになったの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます