2-5
「お前、これでなんにもなかったらぶっ飛ばすからな」
私服警官となった蘇芳が、黒木の家を睨みながら言う。顔には「寒い」と書いてある。
「そんなの「今日」やるかどうかなんてわからないわ」
「そもそも、妙なことすんなって言っただろ。片須冷って奴がお前の身内じゃねえのはわかったが、なら尚更深入りすんのはやめろ」
「わかったって……調べたの?」
「当たり前だろうが。お前、怪しまれても仕方ねえ立場にいんのわかってんのか」
却って身内の方が怪しまれなかっただろう。連絡のつかなくなった弟を探している姉なら、不自然な点は何一つない。だが、嘘でもあれと身内になるなど御免だ。
「そもそも、その黒木とかいう漫画家と片須冷がどういう……!」
蘇芳が言いかけて言葉を呑んだ。黒木が出てきたのであろうということは見なくてもわかる。
「……行くぞ」
本当はここで待っていろと言いたかったのだろうが、恋が聞かないことを予想したのだろう。
数時間前と同じ格好で黒木は歩いていた。その手にはあのスケッチブックがある。
夕方と違って、もはや真夜中に差し掛かった今、周囲に人気がない分尾行に気づかれやすい。大人しく本職の蘇芳に任せて、恋はその後を忠実に着いていく。
辿り着いたのは、駅前のロータリーだった。何人かフラフラと歩いている者がいる。この時間であれば、三ツ門町あたりから帰ってきた酔客が終電で帰ってきていてもおかしくはない。
何をしているのかと注目していると、黒木はその内の一人に話しかけた。派手な格好をした女だ。とても知り合いには見えないが、女は酔っているのか特に警戒せずに黒木と話している。一体何を話しているかまでは聞こえなかったが、黒木はその女と連れ立って歩き出す。てっきり、風路寺にもまだ少し残っている飲食店やバーにでも向かうのかと思ったが、彼らが進んでいった方向は新興の住宅街だった。その方向は、確かあの墓地があったはずだ。
「どこに行くつもりだ?」
「向こうには、墓と家しかないと思う」
「まさか墓ってわけでもねえだろうし……」
訝しみながら進んでいく。歩いている道は、個展の前に緑川と歩いた道と同じだ。このまま行けば、本当に墓に行き当たる。
恋達の疑問など知る由もなく、黒木と女は歩き続けている。とうとう件の墓地にまで来た。二人はそこへ入っていこうとする。
「まずい、あいつ、なんかしでかすつもりだ。お前はここにいろ」
そう言うと、恋が何か言うより速く蘇芳は墓地に走っていく。だが、彼が想定しているのはおそらく「黒木が」女に犯罪行為を働くことだ。恋の想定とは違う。
「待って!」
蘇芳を追って恋も走る。しかし流石本職と言うべきか、すっかり離されてしまったらしい。その上、周囲には灯りが少なく、普通に走ることすら覚束ない。携帯ライトを持ってはいるが、それが照らせる範囲よりも闇は深い。
不意に深夜の静寂が破られる。爆竹が破裂したかのような音が数発響いた。間違いなくこれは発砲音だ。音のした方に走り出す。いくらなんでもこれで蘇芳に死なれては目覚めが悪い。
「蘇芳さん!」
「来るな! この墓にはなにかがいる!」
声がした方にライトを向けた。地面に倒れている人間の頭部が見えた。一瞬血の気が引く。
しかし、それはあの派手な女だった。血の臭いはしない。どうやら気を失っているだけのようだ。
だが、安心はできない。蘇芳を探してライトを奥に向ける。揉み合っている人影が照らし出された。片方がもう片方を押し倒す。その拍子に、さらに奥にいた人影にライトが当たった。
内出血のような、あるいは肉が腐ったかのような色をした皮膚。犬のマズルに似た形をした横顔。金色に光る、濁った虚ろな眼球と目が合った。
心臓が破裂したかと思うほどの衝撃が恋の胸を叩く。ひゅう、と喉が鳴って、呼吸がつかえる。足が動かない。
怪物はそのまま身を翻して闇の中に駆け出していった。
「動くんじゃねえ!」
蘇芳の怒声が響いた。誰かを制圧している。制圧されている相手が、ライトに反応してこちらを見た。黒木だった。
「片須さん……?」
「おい、来るな! この墓には化け物がいる!」
黒木を押さえつけながら、蘇芳は恋に叫ぶ。ようやく生きた心地が戻ってきた。
「そのようね。どこに逃げたかはその人が知ってるはずよ」
「どういうことだ」
「説明は後。急がないと取り逃すわ」
恋は黒木を睨む。
「観念して白状しなさい。
「何故、喰屍鬼のことを……」
「とっとと吐け! 奴らはどこだ!」
蘇芳に乱暴に肩を地面に押しつけられ、黒木の口から呻き声が漏れる。
「墓地の中に、隠れ家があります……」
「よし、案内しろ。妙な動きするんじゃねえぞ!」
蘇芳は黒木を引っ張り上げ、無理矢理立たせる。そうして軽く小突くようにして「隠れ家」まで案内させた。
黒木は迷いなく墓地の中心地まで来ると、とある墓石の裏を指した。
「この裏に、隠れ家への階段を塞ぐ「蓋」があります」
墓石の裏には、石に申し訳程度の取っ手が取り付けられた「蓋」があった。蘇芳が取っ手を持って、力一杯引っ張り上げる。その下には、歪だがしっかりとした土の階段があった。
「なんで墓の下に、こんな……」
「奴等が自分達で掘ったんでしょう」
ぼやくような蘇芳の疑問に恋が答える。
「喰屍鬼は力仕事が得意だから、奴等が数人いたらこんなことは簡単だわ」
「……お前にも聞きたいことがあるが、それは後だな」
先陣を切る蘇芳の後ろに、恋と黒木が着いていく形で、慎重に階段を下りていく。一体どこから奴等が飛び出してくるかわからない。足音一つ立てないよう、最新の注意を払った。
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